鄭大均さん ― 2007/02/19
鄭大均さんの近著『在日の耐えられない軽さ』(中公新書)は、彼の自叙伝風のもので、興味深いものです。特に彼の父母の生き様については、ちょっと考えさせるものがありました。 好著なので皆様にもお勧めするのですが、一点だけ間違いを見つけました。
「わが家のがらくたの山を探っていたら、白と青のチマ・チョゴリを着た女性が、川辺で砧を打つ姿が描かれた板切れを見つけたことがある。絵の横には“ぱろれー”とひらがなで記されていて、“洗濯”を意味するらしい。‥‥ ある霧の深い朝、北上川の堤防を歩いていたら、その女性が砧を手に、川辺で洗濯をしているではないか。」(7~8頁)
朝鮮の洗濯は昼間に川辺で汚れを落とすために叩き洗いするもので、その後に洗濯物を家に持ち帰って夕方頃から皺を伸ばすために打つのが砧です。洗濯は朝鮮語で「パルレ」、砧は「タドゥミ」です。 鄭氏は叩き洗いに使う木槌を「砧」としていますが、洗濯で打つ槌と砧で打つ槌は、形状が違うし、叩き方も違います。 洗濯と砧を混同しているだけでなく、木槌を「砧」とすることも間違いです。