君が代「戦争に使われた」は反対の理由になるか?2011/06/04

 大阪で学校教員に対し、君が代の起立斉唱を義務付ける条例が出たことで、これについての意見が新聞に報道されています。

 この中で一番理解できないのが、反対する理由として「戦争に使われた歴史がある」ことを挙げていることです。

 この反対理由は昔からあるもので、だから私も昔から違和感を持っていました。なぜなら、戦争に使われたあらゆるすべてに反対するのならいいのですが、その中の君が代・日の丸の二点だけを取り上げて反対するのは何故か?という疑問です。

 戦争に使われたと言うのなら、日本語もそうでしょう。旧日本軍の侵略は、日本語を使って行なわれ、現地では日本語を強制することもありました。

 朝鮮では公用語として日本語が強制されました。北も南も、そして在日の活動家たちも、これを屈辱の歴史と考えています。

 君が代・日の丸は戦争に使われたからと反対する人たちは、同じく戦争に使われた日本語を何の躊躇もなく使っています。そこに、矛盾を感じるのです。

 戦争に使われたあらゆるすべてに反対する、だから日本語も使わないと行動しておられるのであれば、一貫していて尊敬に値するのですが、君が代・日の丸だけに反対するというのでは、いかがなものかと考えます。