映画史に見る部落とヤクザ―『文芸春秋』(2)2023/01/25

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/01/18/9556169 の続きです。

 月刊誌『文芸春秋』2022年12月号に掲載された伊藤彰彦「仁義なきヤクザ映画史⑨ ヤクザとマイノリティ―民族と差別が葛藤する只中で」は、映画史を通して在日と部落民のヤクザを取り上げています。

やくざ映画は、近現代史において秘匿された被差別部落や在日コリアンに向かい合った‥‥一般にヤクザの攻勢比率は、被差別部落民、在日コリアン、市民社会からのドロップアウトがそれぞれ三分の一ずつであると言われている。 つまりヤクザ映画を作るうえで、差別問題は避けて通れないのだ。(388頁)

 その一例として、あるヤクザ映画に京都の部落が登場することを取り上げます。

実在する京都の侠客、図越利一(会津小鉄会三代目)の若き日々を描いた後藤浩滋の映画の遺作『残侠 ZNKYO』(99年)で、監督関本郁夫は京都最大の被差別部落「崇仁地区」を初めて撮影する。 会津小鉄会では、多くの組員がそこに出自を持ち、組を縄張りでもある崇仁地区のロケを今まで誰にも許さなかったが、彼らの親分の伝記映画を撮る関本だけには許諾したのだ。 関本は『残侠』でここを戦後の闇市に見立て、その後の『極道の妻たち 死んで貰います』(99年)では祇園のクラブのママ(東ちづる)が生まれた町として描いた。

このように東映ヤクザ映画は、在日コリアンの集住地区や被差別部落のフィルムに収めたが、それぞれの作家はドラマの中で地域の歴史や由来を詳らかにはせず、分かる人には分かるように、登場人物とその土地の関係を仄めかすだけにとどめた。(以上391~392頁)

 ここでは会津小鉄会三代目が出てきていますが、次の四代目会長が高山登久太郎(本名 姜外秀)で、在日韓国人として有名ですね。 テレビに時おり出ていたし、マスコミからのインタビューにも応じていました。 任侠道を強調して、堅気さんには迷惑をかけるな、が信条だったといいます。

 私の知り合いだった人ですが、京都で交通事故を起こしてしまい、相手が何と会津小鉄会の組員。 事務所に呼び出されて恐る恐る行ったら、ヤクザ映画に出てくるような事務所の構えで、そこにこの四代目が出てきて優しく応対され(というより普通の応対)、結局はごく常識的な線で収まったということでした。 たまたま「任侠道」を発揮されたのでしょうかねえ。

 ところでさらに記事では、部落解放運動の父といわれる松本治一郎を描いた映画について、次のようなエピソードを報告しています。

中島貞夫は‥‥部落解放運動家の伝記映画「夜明けの旗 松本治一郎伝」(76年)の監督を最初に依頼され、解放同盟本部に当時、中央執行委員長だった上杉佐一郎を訪ねた。 この映画を社会運動の「英雄伝」にしたがる上杉に対し、中島は「上杉さん、これヤクザものでやらしてくれ」と言った。 しかし上杉は「それやんなきゃ本当は駄目だよ。 だけど駄目だ」と釘を刺したという。(『遊撃の美学 映画監督中島貞夫』04年 中島貞夫著)

上杉は、被差別部落出身者がヤクザと隣接する存在たらざるを得ないことを知りながら、その現実を描かれたくなかったのだ。

「その問題をきちんとやんないと日本のやくざ映画の意味がないというのは、どっかにあるわけですね。 だけどきっちりは出来ない。 匂いを出すっていうんですかね」と中島は前掲書で語っている。 中島が志向したことは、同時期(1976年)に竹中労が唱えた「松本治一郎その人『博多から筑豊炭田の川筋にかけて知らぬ者のない』暴れん坊・侠客・土建業者の大親分として」とらえ直す(『竹中労の右翼との対話』)という問題意識と重なるだろう。(以上392~393頁)

 解放同盟委員長だった上杉佐一郎さんがヤクザと部落の関係について、「本当はやらなければならない」と言いながら、「だけど駄目」と言ったところが興味深いです。 つまり解放同盟は、ヤクザとの関係を知っていながら隠蔽してきたということを自ら認めていたのです。 

 解放同盟はヤクザとどのような関係であったのか。 解放同盟は飛鳥会事件の際に「暴力団」「反社会団体」関係者が加入していることを認めましたが、事件が明るみに出たので仕方なく認めたという感じでした。 そしてそれだけで終わりましたねえ。

 それまでどれだけのヤクザが同盟に加入し、どのような活動をしたのか、そしてヤクザ組織にどれくらいのお金が流れていったのか、同盟はこのような検証をしませんでした。 またヤクザとどのように縁を切るのかも言明しなかったです。 それから16年が経ちましたが、解放同盟はこれからもヤクザとの関係を隠蔽したまま続けるのでしょうねえ。 (終り)

【拙稿参照】

差別とヤクザ      http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuuyondai

飛鳥会事件―「心から謝罪」は本当か?  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/02/24/1206080

解放運動に入り込むヤクザ        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/05/04/1482616

これが「真摯に反省」?   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/27/382079

ラムザイヤー部落論(5)―反社に行く者,地区から出る者 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/01/15/9456213

「いわれなき差別」あれば「いわれある差別」あり https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/11/22/9542764

コメント

_ 竹並 ― 2023/01/25 04:55

僕の父は、江戸時代からの家業を「帯刀御免の町人だった」と言っていて、一度も「ヤクザ」と言ったことはないんですが、「一本差(いっぽんざし)感」がぬぐい切れないですね(w
父とは思春期に生別なので、大人の話はしたことがないのですが、子どもの頃、「日露戦争、旅順要塞の攻撃で28サンチ榴弾砲の土台のペトン(=コンクリート)が乾くまでウンヶ月かかった」と言うのを聞きましたが、その工事に祖父が関係したのか、父本人が「大連(だいれん)」生まれだからにすぎないのか不明ですね。
バクチの話は一切せず、「吞む、打つ、買う、は悪いこと」という単純な道徳観でしたが、子どもの頃(「主権回復」の前?)、一度だけ、お寺の向かいの自宅に、他所の人が集まって来て「賭場-開帳罪?」という光景は記憶に残つていますね。

異論は御ありでしょうが、ついでに…> ヤクザ(文春-3) 2022-07-17

この『文藝春秋』誌の8月号だけでないと思うが、「ヤクザ」表記には問題があります。
ヤクザとは、明治10年の「西南戦争」から、昭和20年の「終戦」までの組織名称です。
昭和21年以降は、「暴力団」表記が正しいのです。

「ヤクザ」とは貧乏な(日本の)軍隊の補助組織です。
会社の仕事でいえば、外注なのです。
(軍港である)横須賀の小泉組はヤクザ組織でしたが、「暴力団」ではありません。

山口組-田岡三代目親分は、暴力団をヤクザ組織に戻せないか、と苦闘した一生を送ったのです。

外国人の流入が多くなりました。
「ヤクザの再建」が必要になってきました。
暴力団の一部を(ヤクザに戻して…)陸上自衛隊及び警察の補助機関化する時代の目前にいる感じです。

安倍晋三(元)首相の暗殺など、ヤクザ組織があれば防げたでしょう。
ヤクザ組織は、統一教会的組織を潰(つぶ)すからです。

警察では潰せないでしょうから。
https://ameblo.jp/abe-nangyu/entry-12753838733.html

_ 辻本 ― 2023/01/25 07:59

>暴力団の一部を(ヤクザに戻して…)陸上自衛隊及び警察の補助機関化する時代の目前にいる感じです。

 ビックリ仰天。
 冗談なのでしょうが、こんなことを言うべきではありません。

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