金時鐘氏への疑問(10)―北朝鮮批判と擁護代弁 ― 2025/05/14
https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/09/9774295 の続きです。
⑮ 北朝鮮を批判しながらも擁護し代弁
金時鐘さんは早い時期から北朝鮮に対し批判的だったといいます。
その頃(1955年)から、僕の北朝鮮への敬慕にも、北朝鮮への憧れにも、黒い雲がかかっていきました。 ‥‥ 僕も1960年代初頭までは金日成将軍の神格化に見るような国家体制には疑問をもちつつ (金時鐘・佐高信『「在日」を生きる―ある詩人の闘争史』集英社新書 2018年1月 94頁)
金日成の『パルチザン回想記』というのを朝から晩まで勉強させられ‥‥ 幼児以外信じないようなストーリーを作り上げて、こういう虚偽を押し立てて組織活動すること‥‥ そういう形で作られた共和国に対して、その虚偽というのは早くから覚った。 虚像ではなくて、これはもう虚偽だということを。 (金時鐘『わが生と詩』岩波書店 2004年10月 166頁)
たくさんの挫折をへて生きとおすのが人生だが、ぼくの大きな挫折は北と金日成の実相を知ることだった。 総連組織の官僚主義もわかったし。 ‥‥ 当時のぼくは北の共和国は正義の最たるもので、それを信じ切って4・3事件から生き延びたのに、北の実態を知るにおよび‥‥ (『在日一世の記憶』集英社新書 2008年10月 574頁)
金時鐘さんはこのように北朝鮮に対して「疑問をもちつつ」「もう虚偽だ」「実態を知るにおよび」と大きな違和感を抱き始め、1950年代の後半に朝鮮総連の権威主義・官僚主義を批判したために、北朝鮮・総連から「民族虚無主義」「民族反逆者」「思想悪のサンプル」などと糾弾されました。
彼はそれ以降も北朝鮮に対して厳しく批判しています。
私はあの北の特異すぎる政治体制を、生理悪寒と言っていいほど好きではありません。 (『わが生と詩』 15頁)
北共和国のあの、世界に類をみない絶対君主制の体制 (同上 170頁)
「将軍さま」を称えてきた北共和国の尊崇者たちの志の低さ、人としての卑しさ (同上174頁)
北は一族主権体制だけれど‥‥ 北朝鮮の国民は神がかり的な金王朝体制、それを純血継承と言わされていますが、その絶大な権威がなくては国家は成り立たないと、信じ込むまでに至っています。 (『「在日」を生きる』 161頁)
一族王権の閉鎖的な北朝鮮 (同上 176頁)
ところがこのように北朝鮮を厳しく批判してきた金時鐘さんが、今世紀になって北朝鮮を擁護し代弁する発言をします。
核の問題だけは北朝鮮に理がある (『「在日」を生きる』集英社新書 2018年1月 160頁)
まかり間違えば、水爆のきのこ雲が極東の空の一角を覆うかも知れない。 そのただ中に日本も存在している‥‥ 好き嫌いを先立てず‥‥日本には話し合いの糸口をつける有効なカードが手許にある (同上 162頁)
ありていに言って、こと核の問題に関する限り、北朝鮮に道理があります。 金日成主席の生存時から、北朝鮮はアメリカに対して、朝鮮戦争の休戦協定を平和協定に締結し直そうと、ずっと提起してきました。 そうなれば北朝鮮が核を持つ理由がなくなる、とも言い続けています。 金日成から金正日に代わったときも同じことを言ってきたし、今の金正恩も、話し合いをするなら私たちも核の問題を考える、それはお祖父様の遺言だとも言っています。 (同上 162~163頁)
金時鐘さんは一方では「生理的悪寒と言っていい‥‥世界に類をみない絶対君主制の体制」「一族主権体制‥‥神がかり的な金王朝体制‥‥純血継承」などと批判しておきながら、そんな国の三代世襲支配者の言うことを信じているというのが不思議ですね。 「お祖父様の遺言」云々を最初読んだ時は皮肉と思ったのですが、前後の文脈からそうではなく、本当に信じておられるようです。
北朝鮮からすると、米韓合同の大軍事演習が、あの敏感な軍事境界線ぎりぎりのところで砲煙を噴き上げてきたのです。‥‥挑発はむしろアメリカ側がしている‥‥ 北朝鮮が全身ハリネズミのようになって身構えるのは無理からぬことですよ。 だから核の問題を言うなら、北朝鮮側からの平和協定の提案がアメリカに対してあるということ、そして北朝鮮の提案をアメリカにつなぎ得る最も有効な存在が日本であることを踏まえて、北朝鮮の“脅威”に対処すべきです。 (同上 163~164頁)
もしも日本やアメリカが、北朝鮮の体制を物理的な方法で潰そうとしたら、北朝鮮を壊滅させるのはたやすいことかもしれない。 しかし北朝鮮はひとりでは死にませんよ。 必ず日本を道連れにする。 岩国あたり、日本海寄りの原子力発電所、横須賀の米軍基地は当然狙われる。 北朝鮮が水爆を保持しているのは、冷厳なる事実ですから。 (同上 165頁)
北朝鮮は腹を括(くく)っている。 自分らだけで死ぬはずがない。 絶対に日本を道連れにしますよ。 彼らの思いのなかでは、日本との抗争状態、決着を見ない植民地支配はまだ続いているんです。 (同上 166頁)
金さんの「核の問題に関する限り北朝鮮に道理がある」という北朝鮮擁護の発言は、1960年代に革新・左翼系の人たちが〝アメリカの核は戦争のための汚い核、ソ連の核は平和のためのきれいな核”と言っていたのと同じ発想で、核廃絶の理念に反するものです。 ですから一般には理解されないでしょう。 「生理悪寒」を感じるような「神がかり的な金王朝体制」が核兵器を開発し所有しているというのは、脅威そのものです。 しかもそれは「絶対に日本を道連れにする」くらいの脅威なのです。
しかし金さんは北朝鮮にはそんな脅威はないと言います。
「北朝鮮の脅威」を挙げるガセネタ (『在日一世の記憶』集英社新書 577頁)
そして北朝鮮に対抗するのではなく、日本の方から国交を提言せよと主張します。
北朝鮮との間でまず国交正常化の話をしようと、日本から提言すべきです。 (『「在日」を生きる』 165頁)
これは要するに、〝北朝鮮はこれほど威嚇しているのだから日本は恐れおののいて北朝鮮の言うことを聞き、どうしたらいいでしょうかとお伺いして、国交を結べ”と主張していることになります。 別に言えば〝日本は北朝鮮という悪魔に土下座しつつ擦り寄り屈従したら、北朝鮮は国交を結んでくれる”ということです。 彼は「一族王権の閉鎖的な」北朝鮮の代弁者になったと言うほかありません。
金時鐘さんは古くから北朝鮮を厳しく論難してきたのですが、結局は擁護・代弁しました。 この心情がなかなか理解できないところです。 金さんにとって北朝鮮は「正義の象徴」「正義の拠りどころ」(『朝鮮と日本に生きる』268頁)だった気持ちが残っていて、今なお「生理的悪寒の神がかり的金王朝体制」に魅せられているのかも知れません。 似た例を探すなら、オウム真理教の元信者が決別したと宣言してもなお麻原に魅かれる姿ですねえ。 (続く)
【参照】
金さんが北朝鮮を擁護し代弁する発言していることについて、以前にも拙ブログで論じたことがあります。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/01/23/9653071 ご笑読くだされば幸い。