福岡安則さん2007/03/14

 福岡安則さんは、中公新書『在日韓国・朝鮮人』(1993)などを出しておられるなど、在日や人権問題の専門家の方です。  彼は共著『黒坂愛衣のとちぎ発《部落と人権》のエスノグラフィPart.1』(創土社 2003年12月)のなかで、藤田敬一さんについて次のような言説を開陳しておられます。

>10年くらい前に、藤田敬一さんという人が『同和はこわい考』という本を書いて、かなり評判になったことがあるのを思い出したからです。この本、いま書架をさがしたけど、すぐにはみつかりませんでした。─たしか、そこで、藤田さんは、同和問題の講演では、聴衆の大部分が寝ている。聴衆が同和問題の講演を真剣に聞こうとしないのは、同和問題にあいそづかしをしている人びとを無理やり動員で集めているからだ。そして、同和問題に人びとがあいそづかしをしているのは、部落解放運動がむちゃなことをやって『同和はこわい』とみんなから思われてしまっているからだ……というふうに議論を進め、そして、一般の人々に変われと要求するだけでなく、部落の側も変わらなければならない。両側から越えていくことが必要だ、という論理の展開をしていたはずです。  藤田さんの議論を読んでいて、違和感をおぼえたのは、同和問題の講演では聴衆の大部分が寝ている、と言うけれど、それは、藤田さん自身が講師となった講演のことではないか。自分が聴衆を寝かしておいて、寝かせてしまった講師としてのじぶんのを自己批判することなく、運動を批判するなよ、というふうに思ったものでした─もちろん、運動批判は批判としてあっていいのですが、それは自分を棚上げにした批判じゃダメだ、ということです。」 (148~149頁)

 このなかで「この本、いま書架をさがしたけど、すぐにはみつかりませんでした。─たしか、そこで、藤田さんは‥‥という論理の展開をしていたはずです。」というところに注目してください。

 要するに福岡さんは藤田さんに対して、10年前に読んだ本のウロ覚えで名指し批判をされたのです。内容は当然ながらデタラメとしか言いようがありません。これでは性質の悪い個人攻撃でしょう。

 これに対して藤田さんはHPのなかで、次のような感想を書いておられます。

「●2004.2.3(火)  こういう人を何と呼べばいいのかしら。『こわい考』が見つからないまま学生に送ったメールらしいけれど、それならそれで活字になる前に本を探し、探してもないのなら買うなり借りるなり図書館で調べるなりして確認するのが研究者としてのまっとうなやりかたではないか。うろ覚えとはったりと勘でやっているから、こういうことになる。この人はもう一度学問をはじめから学び直したほうがいい。そうでないと埼玉大学教授・社会学者の肩書きが泣く。ま、この人物の肩書きが泣いたって、わたしにはどうってことはないけれど。」 http://www.h7.dion.ne.jp/~k-fujita/diary/diary_bak/2004/200402.html (2月3日付けなので、かなり下のほうにあります。)

 福岡さんの他の著作・論文にも、同様のものがあると考えた方がいいのかも知れません。  人権関係の専門家には、こういった類の方が多いという印象を持っています。

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