「法」を守るという価値観2007/05/11

 佐藤勝巳さんは『在日韓国・朝鮮人に問う』(亜紀書房 1991)で次のように論じておられます。

>多くの在日韓国・朝鮮人が持つ価値観の一つに、法律とは破るもので守るものではないという考えがあると、かなり確信をもって思うようになった。両民族の間には“法”の受けとめ方に大きな落差があることを実感した。それは、この七年間の体験が、もとになったものである。>(15~16頁)

 このことについて拙論 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuuichidai の(追記)におきまして、彼らは「法」はお上が下々を規制するためにあるもので、下位の者こそが「法」を守り、上位は「法」を守らなくてもいいという考えがあり、それは古代アジア的価値観であろう、と論じました。

 つまりこれは、人類の古くから長年月にわたって存在してきた価値観であって、当然ながら近代とともに否定されるべきものなのですが、朝鮮人では否定されずにそのまま残存したものではないか、という推論です。

 従って朝鮮人の民族的特性と言えなくもありませんが、日本人でもこの価値観の残滓が見られるものですので、なかなか否定することが難しいのではないか、と考えています。

 例えば、解放運動においてはこの価値観がかなり残っていると思われます。  自分たち被差別者を上位に置き、周囲の差別者を下位に置いて、差別されているのだから何をしても許されるという考えがあると思われるからです。

 また一般人でも、自動車を運転する時に警察にさえ見つからなければ少々の違反は構わない、という意識を相当多くの人が有しています。上位の目があるところだけは「法」を守る、他では守らなくてよいとするものですので、あの価値観が表に出てきたと言うべきものと考えます。

 古代アジア的価値観は、朝鮮人では否定できずに残存し、日本人では否定してきたのだが完全否定には至っていない、ということになるでしょうか。