「賄賂は腐敗ではない」民本主義と法治主義(続)―趙景達2014/03/02

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/02/28/7233914  前回で趙景達さんが論じる、朝鮮民族の政治文化の「儒教民本主義」というのが、実は賄賂を肯定するものであることを論じました。 この伝統は今の韓国の政治にも受け継がれていると考えられます。

 古田博司氏は韓国の歴史を振り返って、「韓国の歴代大統領は、亡命・暗殺・不正蓄財・親族の汚職・自殺などで不吉な末路を遂げた」と言っておられますが、正にその通りです。 このうちの「不正蓄財・親族の汚職」というのが「儒教民本主義」の結果でしょう。

 全斗煥大統領(第11・12代)は退任後、不正政治資金・不正蓄財で収賄罪に問われ、2900億ウォン(約290億円)の追徴金を命じられました。

 盧泰愚大統領(第13代)も退任後、不正政治資金隠匿が発覚し、追徴金2200億ウォン(約220億円)が課せられました。

 盧武鉉大統領(第16代)も退任後、親族・側近が不正献金や贈収賄罪で逮捕され、さらに本人へも収賄罪容疑の捜査を受け、逮捕間近の時期に自殺しました。

 以上は事件となって公にされたものですが、それ以外の大統領も暗殺や亡命などで追及されなかっただけで、おそらく似たり寄ったりと見てもいいでしょう。 最高権力者がこうですから、取り巻き連中から権力末端に至るまでどういう状態であったか、想像できます。

 趙景達さんが「独裁時代には賄賂で交通違反を許すことが結構あった」と回想されていることは事実であり、独裁時代が過ぎて民主化されてからも続いてきたと言えるでしょう。 しかしそんな韓国も西欧近代の法治主義(規律主義)を目指しつつあるからこそ、大統領の賄賂は事件として立件され、明るみになったものと思われます。

 しかしながら趙さんは「それは、単に腐敗というものではなく、違反者の事情を斟酌してのことでもある。 韓国社会というのは、本来規律よりも教化を重視する社会なのだ」として、賄賂を肯定的に見ています。 この考え方は、彼の大学教授という立場上いかがなものかと思います。

 ところで北朝鮮ではどうなのでしょうねえ。 脱北者や北を訪問した総連関係者の手記などを読むと、賄賂は当然のことで何ら罪意識がないようです。 趙さんの言う「儒教民本主義」は北朝鮮でもっと力強く生きているのかも知れません。

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