在日韓国人と華僑―成美子2018/09/25

 二十年以上も前に買って、そのまま積ン読していた成美子『在日二世の母から在日三世の娘へ』(晩聲社 1995年9月)を読む。 自らの目で見た1970~80年代の在日韓国人社会や、自分の日常生活についてのルポ・エッセイ集です。 750ページの大冊で、いつか読もうと思ってそのまま読まずに過ごし、本棚の奥の見えない所にずっと置かれていました。 この度ちょっと本棚を整理してこの本を発見し、ようやく読んだという次第。

 著者の身近な話が多く、知人・友人ならば面白く読めるでしょうが、私には昔の在日社会はそうだったなあ、或いはそういう在日もいたんだなあと思う程度で、ざっと読み流しただけでした。 しかしその中で、在日と華僑を比較した「得体の知れない自由」と題するエッセイ(129~133頁)は、あ、そうか、そう言えばそうだなあと新鮮に感じられるものがありました。 それを紹介します。

4歳になる長女が中華街にある保育園を卒園した。そこは中華街の華僑のひとびとが自分たちの子弟のためにつくった私設の保育園で、30名ほどの園児の約8割を華僑の子供たちが占めているという特徴のある保育園であった。娘はそこで、圧倒的多数の中国人と少数の日本人にまじって、唯一の韓国人として、ほぼ2年近くお世話になった。

 中華街ですから飲食店がほとんどで、昼食時と夕方からが本格的な仕事となる家庭ですから、真夜中の11時過ぎからが一家揃っての食事になります。 従ってその子供たちは普通の保育園では間に合わない生活スタイルとなります。 だから私設の保育園が必要なんですねえ。

その2年を通じて、多くの華僑の母親たちと親しくなった。私とほとんど同年齢の彼女たちは、日本に渡ってきた親をもつ二世の華僑であり、中華街に立ち並ぶ店々を実質的にきりもりする嫁や娘たちである。日本語を常用するという点では私たち二世と変わるところがなかったが、生活態度や人生観に、私たち二世とはまったく異質なものを見出し、驚かされることが多かった。

 そして在日韓国人から見た、華僑との比較が始まります。

まず第一に驚かされたのは、彼女たちの生活態度が非常に質素であるという点であった。大部分の母親たちは、洗いざらしのズボンにただ束ねただけの髪、労働着というスタイルで、子供を園に預けては店にすっとんで行き、帰宅時間になるとエプロン姿で迎えに来た。 その服装は、家長会と称する父母会の会合でも、学芸会でも、卒園記念写真撮影の日でも変わるところがなかった。 私は、男物のごっつい自転車で二人の子供を送り迎えして、親子ともども着古した服を身につけた彼女たちの一人から、「ここがうちなの」と五階建ての赤や緑で装飾された建物を指さされたとき、えもいわれぬショックを受けたものである。

 これは私の体験とも一致します。 華僑の人々は日常生活が実に質素で、使えるものはどんな古びていても最後まで徹底して使うという生活スタイルです。 こんなお古じゃ恥ずかしいというような感覚は皆無といっていいです。 といって全てにケチかといえばそうではなく、どうしても必要なものとか冠婚葬祭なんかにはお金を惜しみません。

保育園に預ける年齢の子供をもつ母親の手というものは、総じて荒れているものであるが、学芸会の歌の練習や会合に集まった彼女たちの手は、その度を越えた、子供の頃から身を粉にして働くことを当然としてきた鍛えられたごっつい手であった。 そして彼女たちは、その手で黙々と家業に励んで、浮いたところが少しもなかった。 「代替え」と彼女らが称する世代交代もスムーズに進み、一世の親たちは一歩退いて、若い息子や嫁たちに店の実質的権限を譲り渡していた。

 華僑二世は親が創業した店を幼い時から手伝い、その店を誇りに思い、継承するという文化があります。 これを在日の著者が感心して書いているということは、在日にはそのような文化が希薄だということです。

 著者は自分の大学時代の同胞たちと比較します。

たとえ新宿の目抜き通りの店を一軒あげようといわれても、そこで人を使わずに自分自身が労を惜しまず働かなければならないという条件つきであったならば、その店を放棄するのが私の学生時代の同胞友人であった‥‥ 何か得体の知れない自由のためには、生活の安定や基盤などというものには鼻にもひっかけず、父の家業を継ぐなどということは、自分の人生の敗北の極み‥

同時に彼らは、政治にも思想にも文化にも、悪くいえばヒステリカルだった。 偉大な統一運動は、個人の内面の壁にぶちあたってすぐに挫折したし、ほとばしる才気をもって既成の文学作品を批判し、自己の作品の抱負を述べた友人の一人は、決して彼自身の作品を完成させることがなかった。 たまにお金儲けを野心とする二世に会うと、彼らの語る方法論は実に一発主義で、地道に稼ぐ気など毛頭なく、いかに人の発想にない間隙を縫ってぼろ儲けするかに終始していたものである。

 具体的な中身は書かれていませんが、著者の同胞友人たちの一面です。 汗水流すことを嫌い、いい格好ばかり言うが実際には何もしないし何も出来ない、そんな口先だけの在日が著者の目についたというわけですねえ。 華僑の感心する面と比較しているので、在日のそんな嫌な面が強調されているようです。 

商売というものは、敗北の極みや、生活するためのやむなき手段であっても、自分の全人生をかけてやるものではないという意識は、卒業して何年経っても抜きがたく、全人生をかけてやるものを見出せないままに親の稼いだお金で外車を乗り回す男性や、毛皮や宝石に夢中になり、きらきら着飾る同胞二世の女性をうんざりする思いで見る機会はかなり多い

華僑のひとびとは、実に静かに、そして確実に日本社会に根づこうとしているように私の目には映る。 その勤勉性に裏打ちされた生活の知恵、技術、相互扶助の徹底さは、在日同胞社会のぎくしゃくした世代交代やベンツ志向とまったく対照的なものである。

 ここでも華僑二世との比較が出てきます。 私の経験でも親の職業を誇りと思わず、恥じる在日が多かったですねえ。 親の方も、今の仕事は生活のためにやむを得ずにやっていることだ、子供にはやらせたくないと考えていたようです。 こういう在日は結構目立っていました。 これは昔の話ですので、今とは違うでしょう。

華僑が中国の長い伝統にもとづいて他国に根づくために少なくとも自分の意思で国を出てきた人が多いのに比して、私たちの親たちは、強制連行や徴用で、または食べることができずにやむにやまれずに日本に渡ってきたものが多い。 日本は、自分を故郷から引き離した憎悪の対象であり、たとえ日本の地にあっても心は故郷にあろうとするのは、一世たちのぎりぎりの抵抗心であり、人間としての矜持であった側面もある。

 ここはちょっと異議のあるところです。 「私たちの親たちは、強制連行や徴用で、または食べることができずにやむにやまれずに日本に渡ってきたものが多い」 「日本は自分を故郷から引き離した憎悪の対象」という被害者意識の物語が「一世たちの抵抗心であり、人間としての矜持」と言えるのかどうか。 

そんな親の「仮の宿」意識が、写真の陰画のように、負の部分だけ子供に継承され、一世たちの強さや粘りが欠落したまま、根なし草意識だけが助長される‥‥ 私は中華街の華僑の人々を見ていると、在日二世の青年たちが‥‥日本社会に向かって「おまえたちが俺たちを連れてきたんだぞ、さあ、どうにかしてくれ」と鼓をたたいて酒を飲み、騒ぎ立てているようで‥‥ 自己嫌悪におそわれ、やたらと恥ずかしくなる

 「強制連行」「徴用」という被害者意識の物語は、在日が日本で生きることの積極性を失わせます。 「自己嫌悪におそわれ、やたらと恥ずかしくなる」著者の気持ちが、在日社会にもっと広がればいいのですが。 しかし「強制連行」「徴用」物語を在日の若者に注入して反権力・反日活動に引き入れようとする左翼・革新系日本人や在日知識人が今なお多くいるので、なかなか難しいでしょうね。