関東大震災―朝鮮人虐殺 寄居事件2023/08/21

 関東大震災からちょうど100周年を迎えて、各地で行事が行われます。 大震災の時に起きた朝鮮人虐殺事件についても、追悼行事が行われます。 ところで「虐殺事件」という言葉だけでは抽象的で、なかなかイメージを持てないでしょう。 そこで具体的な資料を紹介し、どんな虐殺であったかをもっと詳しく知ってもらおうと思います。

 そこで数ある資料のうち、埼玉県の大里郡寄居で発生した朝鮮人虐殺事件の資料を紹介したいと思います。 寄居町では殺された朝鮮人の追悼行事が行われる予定だというニュースを聞いたので、資料を集めてみました。  https://mainichi.jp/articles/20230806/k00/00m/040/019000c

 まずは事件の概要です。

日  時:   大正12年(1923)9月6日 午前2時ごろ

場  所:   埼玉県大里郡寄居警察署内

犯人氏名:   芝崎庫之助 外12名

被害者氏名:  具学永

罪  名:   殺人

犯罪事実:   署内保護中の鮮人を日本刀、棍棒、竹槍等にて殺害す

 この事件は裁判にかかりました。 その予審決定書が記録に残っています。 読みやすくするために現代文に書き直し、時系列によって幾つかに分割して、それぞれに簡単に解説します。 不明部分は〇〇としました。 関東大震災の朝鮮人虐殺事件を理解するために、読んでいただければ幸いです。

埼玉県下惨虐事件の予審決定書  寄居事件 

主文  本件被害事件を浦和地方裁判所の公判に付す。

理由  被告らの居村において、大正12年9月1日、東京横浜両市および隣接府県に起こりたる大震災に際し、これに伴い起りたる火災は〇〇旨の流言蜚語、しきりに宣伝せられ、なお地方より上京したものは惨状を目撃し、憎悪の念に駆られおりたる折柄、〇〇〇〇はなおまた多数地方に入り込み、凶暴を逞しくする旨の流言、しきりに宣伝せられたるより、

 関東大震災発生に伴い、「朝鮮人が火をつけた」とか「井戸に毒を入れた」「爆弾を持って襲撃してくる」などの流言飛語が飛び交った事実を語っています。

被告等居村民はその襲来に備うべく警戒をなしおりたるところ、同年9月5日午後12時ころ、埼玉県児玉郡本庄町警察署勤務の警部補の坂本武之介が大里郡用土地内を通行するを鮮人なりと誤認し、これを取り押さえて調査のため大里郡用土村役場に拉致したるも、真実本庄警察署在勤の警部補なると判明したるところ、

 流言飛語を信じ込んだ村民たちは、たまたま通りかかった警察官を朝鮮人と誤認し、暴行を働きました。

被告の庫之助は右役場庭前において集まり居りたる群衆に対し、鮮人数名が木賃宿の真下屋に滞在しているを以て襲撃殺害すべき旨演説し、もって群衆を扇動し、殺害を教唆したるに、各被告らおよび群衆はこれに応じて殺害の意志を持って被告庫之助とともに真下屋に赴く途中、

 誤認が判明しても、村民たちは朝鮮人に対する憎しみを高揚させて、旅館に泊まっていた朝鮮人への襲撃・殺害の意思を一致させ、行動に移そうとしました。 その途中で、

鮮人は大里郡寄居警察分署留置場に収容保護せられることを知り、同月6日午前2時ごろ、被告らは群衆とともに各々日本刀、竹槍、鳶口、棍棒などの凶器を携帯し、同警察分署に押し寄せ、引き渡すべき旨を交渉し、同分署長の星柳三は鮮人保護の理由を説明し、迫害するべからざる旨を懇論したるにも拘わらず、被告らは群衆とともにあくまで〇〇〇〇と誤認してこれに応ぜず、ますます喧騒を極め、午前3時過ぎに至るまでの間、騒擾をなし、その間に被告らは左記犯行を敢行したるものなり。

 村民たちは旅館に行く途中で、朝鮮人が警察署に収容・保護されていることを知り、警察署に押し寄せました。 そして署長の制止を振り切り、署内に保護されていた朝鮮人を殺害したのです。 殺人の意思を固めた村人たちの集団に対し、警察はその数の多さと勢いに押されて後退してしまったのでした。

 次に村民たちは警察署内で朝鮮人をどのように殺害したかが記されています。

被告庫之助および顕蔵は同所において、携えて行きたる日本刀をもって同分署に収容保護中の朝鮮人の具学永を斬り、被告忠治、丑次郎、錦十郎はそれぞれ棍棒、被告熊吉は長鳶、被告池田次作は竹槍、被告浜二、三八吉は鍬の〇〇、被告彦二は木刀をもって同人を殴打し、被告清水治作は日本刀を携帯して留置署内に侵入し、被告義重はピストルを同人に差し向けて群衆に対して殺害を扇動し、被告善吉は同人の逃走を防ぐために抜刀をもって同所裏口の警戒をなし、共謀して前記の具学永を殺害す。 よって前記騒擾を率先加勢したるものとす。

 ここには朝鮮人の具学永を殺害した犯人として起訴された庫之助、顕蔵、忠治、丑次郎、錦十郎、熊吉、池田次作、浜二、三八吉、彦二、清水治作、義重、善吉の13人の名前が挙がっています。 うち最後の善吉は殺害に直接加わっていませんが、共謀犯とされたようです。 そして殺害の際に用いた道具は、日本刀、棍棒、長鳶、竹槍、鍬、木刀、ピストルです。 13人が寄ってたかって一人の朝鮮人を、朝鮮人であるという理由だけで殺した、という事件でした。

 後に『東京日々新聞』は10月に次のように報道しました。

温良な鮮人を保護中に刺殺す 寄居署の惨劇

9月5日夜半の2時ごろ、大里郡寄居町警察署にかねて留置中の朝鮮人飴屋、蔚山生まれ、金湘(ママ)を同地自警団員30余名が竹槍その他で滅多突きに突き殺した。 ‥‥午前2時すぎ、隣村の用土村自警団員数十名が来襲し、星署長に対し留置中の鮮人を引き渡せと怒号し、署長以下署員総出で弁解したがきかず、署内に闖入し、留置場の格子の間から突き刺し、他に留置保護中の支那人5名にも負傷させ逃げまどう泣きわめく凄惨ななかに、鍵をねじ切り鮮人のみを引きずり出して突き殺した。 かくて20日にいたり、浦和地方裁判所と同熊谷支部検事7名、寄居署に出張、警備隊兵士数十名の警備のもとに、用土村より左記12名を殺人ならびに騒擾罪として起訴、浦和刑務所に収監した。

 寄居事件は関東大震災で発生した数多くの朝鮮人虐殺事件のうちの一つにしか過ぎません。 このような悲惨な虐殺事件が、関東一円で他にも多数発生しました。 『現代史資料6』(みすず書房)の427頁に採録されている「震災後に於ける刑事事犯および之に関連する事項調査書」によれば、朝鮮人を殺したとして立件起訴された日本人は303人で、殺された朝鮮人は233人と記載されています。 件数は53件で、それぞれの事件発生の日時、場所、犯人氏名、被害者氏名、犯罪概要が一覧表で出ています。

 〝朝鮮人虐殺事件はでっち上げだ″と言う人がいるようです。 ネットの投稿欄などで見かけますね。 こういうウソ話を平然と広める人がおり、そしてこのウソを信じ込む人がいるのには困ったものです。

【拙稿参照】

水野・文『在日朝鮮人』(19)―関東大震災・吉野作造 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/04/8169265

水野・文『在日朝鮮人』(13)―関東大震災への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/19/8134282

関東大震災時の「在日朝鮮人虐殺者」の数 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/06/09/398058

関東大震災の朝鮮人虐殺  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/08/26/8163009

関東大震災の日本人虐殺  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/15/8189607

関東大震災「朝鮮人虐殺事件」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/09/01/8663629

「十五円五十銭」の練習―こんな在日がいるとは!? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/02/15/9347314