朝鮮の飢饉2007/01/25

 李朝時代に飢饉は慢性的にありましたが、その具体的な様相を示す資料がなかなか見当たりません。その数少ない資料のなかにシャルル・ダレ『朝鮮事情』金容権訳(東洋文庫 1979)に次のような報告があります。

「しかし政府は、おのれの保持のためには必要であると信じこんでいるこの鎖国を、細心に固守しており、いかなる利害や人道上の考慮をもってしても、これを放棄しようとしない。一八七一年、一八七二年の間、驚くべき飢饉が朝鮮をおそい、国土は荒廃した。あまりのひどさに、西海岸の人のうちには、娘を中国人の密貿易者に一人当たり米一升で売るものもいた。北方の国境の森林を越えて遼東にたどりついた何人かの朝鮮人は、むごたらしい国状を図に描いて宣教師たちに示し、“どこの道にも死体がころがっている”と訴えた。しかし、そんな時でさえ、朝鮮政府は、中国や日本からの食糧買い入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ。」(322頁)

 これは大院君政権時代のことです。そして閔妃は第一子を失ってその供養に国費を乱費するとともに、その原因を大院君に求めて憎悪を燃やし始めた時でもありました。国土に餓死者が累々と横たわっている時に、大院君と閔妃の権力闘争が開始されたのです。

> 李朝時代が慢性的に飢餓であれば約500年も、もたないのではないかという素朴な疑問を感じます。 > いかがでしょうか。

 北朝鮮は戦後数十年、特にここ十数年は酷い飢餓状況で、多数の餓死者が出ています。しかし体制はビクともしません。  李朝時代も同じです。餓死者が累々と横たわっていても、それが原因で体制が変わることはありませんでした。  李朝時代も北朝鮮も、農業生産性が非常に低くそして苛斂誅求の社会です。