支配者側の名前をつける性向 ― 2007/02/07
ちょっと昔の朝鮮史の本には、時どき面白い記述が出てきます。
>蒙古の影響は‥‥数多くの高麗貴族が自分の名として、朝鮮名以外に蒙古式人名をつかった。そのあまりの熱心さに、さすがのフビライ汗も疑いを抱いたにちがいない。ともあれ、一二七八年かれは高麗王に、“なぜ、なんじは自国の習俗を捨てるのか”とたずねたという。> 李玉著、金容権訳『朝鮮史』(白水社 1983) 75頁
これが史実かどうか分かりませんが、朝鮮民族が支配者側の名前をつけようとする性向は、結構古くからあるということです。 創氏改名の理由の一つに、朝鮮人側が日本名を求めたから、というのがありましたが、これに関連して考えると興味深いものです。