朝鮮語を勉強していた大正天皇2011/09/24

 久しぶりに朝鮮近代史の本を読んでいます。小田部雄次著『李方子』(ミネルヴァ書房 2007年9月)

 このなかで、へー!とビックリしたのが、大正天皇が朝鮮語を勉強していたことです。知ってる人はとっくの昔からご存じだったようですが、私には初めて聞く話なので、非常に印象的でした。当該部分を引用します。  なおこれは、原武史『大正天皇』からの再引用になります。

>嘉仁(大正天皇のこと)は、翻訳官に対して、「度々韓太子[李垠]に会ふから少し朝鮮語を稽古して見たいが、何か本はあるまいか、あれば侍従まで届けてもらいたい」と漏らしていたほか、李垠に会うたびに「けふの話の文句を朝鮮の諺文[ハングル]で書いて、それに発音と訳文を付けて差し出す様に」と命じていたという。

 嘉仁は天皇になってからも、韓国語の学習を続けたばかりが、侍従に時々韓国語を話していたようだ。侍従の黒田長敬は、大正天皇の死去直後に「ある時の事である。何か奉答したら御笑みをうかべながら妙なお言葉を賜った。変だと思って考へているとそれは朝鮮語であったので、ハッと恐懼した」と述べている。>(32頁)

 大正天皇は芳しくない噂の多い方でしたが、例えば奇声を発していたという場合、それはひょっとして朝鮮語ではなかったか?と想像します。  天皇という孤独な立場で、気安く話ができる人が周りにいなかったでしょうから、自分と同じような立場である朝鮮の皇太子李垠氏と親しく話しようと努力したのかなあ、と勝手ながら想像しています。

 かつてヨーロッパ諸国がアジア・アフリカ等々に多くの植民地を設けましたが、ヨーロッパ諸国の王様が植民地の言葉を勉強するなんて、あったんでしょうかねえ?

コメント

_ 金 国鎮 ― 2011/09/25 21:25

大正天皇ですか。
昭和天皇はどうでしょうか。

日本のメディア・平民は果たして天皇・皇族に向かい合っていたのでしょうか。
明治維新に貢献した士族いわゆるサムライのみが天皇
を日本の礎と考えていたというのが正解でしょう。

日清・日露の戦争に勝利して、東京の町を提灯行列で
闊歩した日本人平民を天皇はどう見ていたのでしょうか。
昭和天皇が日米開戦の前に恐れたいたのは日本人平民が暴徒化し天皇を殺害することであったと聞いています。
戦前のクーデターについては何おか況やです。

満州国の基礎を築いた石原莞爾は朝鮮人に対して好意的な発言をが多い。
彼らに共通するのは彼らを支えてきた日本の伝統と文化に対する愛着ですそしてそれが朝鮮の伝統と文化に触れてそれを朝鮮と朝鮮人に置き換えたと私は
考えています。

それでは彼らを支えた日本の伝統と文化とは何でしょうか。
日本人の問題です。

_ 宇宙飛行士 ― 2011/09/27 11:36

金 国鎮 様

>昭和天皇が日米開戦の前に恐れたいたのは日本人平民が暴徒化し天皇を殺害することであったと聞いています。

→どこで聞いた話ですか?本とか資料がありましたら教えてもらえますか?


>満州国の基礎を築いた石原莞爾は朝鮮人に対して好意的な発言をが多い

→石原は「朝鮮人」ではなく、「アジア諸国」に対して好意をもっていました。朝鮮総督の南次郎が石原に「満州での朝鮮人の待遇を日本人並みに…」と頼んだことを拒否したこともあります。五族を平等に扱うというのが彼が理想にしていた世界だと思います。

_ izumi ― 2011/09/29 00:09

宇宙飛行士 さん

横レス失礼します。
おそらく、昭和天皇独白録が出典ではないかと思います。
ただ、昭和天皇独白録は、GHQが昭和天皇を戦犯として訴追する可能性があった時期に、弁明の書として作られたという見方もあり、必ずしも昭和天皇の告白を正確に記録したものではないという説もあります。

金さんが指摘している部分について、独白録中では日米開戦を昭和天皇がとめられなかった理由として、以下のように告白されています。

「国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保証出来ない、それは良いとしても結局狂暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨事が行はれ、果ては終戦も出来兼ねる始末となり、日本は亡びる事になつたであらうと思ふ」

ここで天皇が恐れていた対象は、「日本国民」というような漠然としたものではなくて、国家運営の能力がないにもかかわらず、2・26事件のような捨て鉢の国家転覆を図る勢力だったのではないかと思います。

尚、石原将軍については、わたしも宇宙飛行士さんの考えと同じくします。
彼は満州国の建国スローガンである「五族協和」の精神に忠実だった結果、朝鮮民族に好意的だったのであって、朝鮮民族に対してのみ特別な好意を注いだとはいえないと思います。
※ただ、彼が少年期から歴史に関心が高かったそうなので、朝鮮の歴史に対しても一般の日本人より知識・関心が高かったとしても不思議ではないと思いますが。

_ izumi ― 2011/09/29 08:59

引用ミスがあったので、訂正します。

>ここで天皇が恐れていた対象は、「日本国民」というような漠然としたものではなくて、国家運営の能力がないにもかかわらず、2・26事件のような捨て鉢の国家転覆を図る勢力だったのではないかと思います。

「日本国民」ではなく、「日本人平民」でした。
失礼しました。

_ 宇宙飛行士 ― 2011/09/29 09:22

izumi様

丁寧な説明ありがとうございます。
大変勉強になりました。

私が疑問を持っていたのは「平民の暴徒化」です。
軍部が暴走したのは事実で昭和天皇がそれを恐れたとしても違和感はないのですが、いくら暴走したとはいえ「暴徒化した平民」が天皇を殺害するという仮定は飛躍ではないかと思われたからです。

izumiさんの指摘通り、その対象が「国家転覆を図る勢力」という設定(表現)なら私も納得です。

_ 在特会 ― 2011/09/29 12:56

>昭和天皇が日米開戦の前に恐れたいたのは日本人平民が暴徒化し天皇を殺害することであったと聞いています。

>ここで天皇が恐れていた対象は、「日本国民」というような漠然としたものではなくて、国家運営の能力がないにもかかわらず、2・26事件のような捨て鉢の国家転覆を図る勢力だったのではないかと思います。

日本には古来から、家臣の意にそわない主君は
「押し込め」称するクーデターの伝統があります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E5%90%9B%E6%8A%BC%E8%BE%BC

主君は絶対で、家臣は「君、君足らずとも、臣、臣たれ」と言われてますが、これは少なくとも江戸時代の中期以降のことです。
すなわち、江戸時代から儒学が政治思想として取り入れられた4代将軍以降のことです。

>改革をなそうとする藩主が、既得権を維持せんとする重臣から「悪政」を咎められ、押込められる例も少なくなかった。一般に名君と評価される上杉鷹山も、一時は改革に反対する老臣から押込を受ける寸前まで追い込まれた事件もある(七家騒動)。

昭和天皇の危惧はいいわけではないのです。
5.15、2.26は彼らの一方的な思い込みですが、伝統として日本にねづいた考え方なんです。

要するに天皇絶対主義というのは見かけだけで、
日本の歴史で絶対君主はほとんど暗殺されてます。
暗殺されなくとも1代限りで続かない。

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