感謝!アクセス60万 ― 2011/09/04
拙HPがアクセス60万を数えました。 http://www.asahi-net.or.jp/~FV2T-TJMT/
この頃はサボッてばかりして、ろくに論考を書いていません。 しかし、それでも拙HPにアクセスして下さる方は多いようで、感謝していおります。
1999年8月 HP開設
2001年2月10日 アクセスカウンター設置
2002年2月10日 1万7千(設置1年)
2003年2月10日 5万6千(設置2年)
2004年2月10日 12万6千(設置3年)
2005年2月10日 20万3千(設置4年)
2006年2月10日 30万4千(設置5年)
2007年2月10日 40万1千(設置6年)
2008年2月10日 47万1千(設置7年)
2009年2月10日 51万7千(設置8年)
2010年2月10日 54万8千(設置9年)
2011年2月10日 57万7千(設置10年)
同年9月4日 60万
コメント
_ 在特会 ― 2011/09/07 21:54
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ブログだけでなく、「歴史と国家」雑考にも期待してます。
在日について、少しわたくし事を書きます。
在日と付き合ったのは、はっきりしてるのは2回あります。
1回目は、中学生の時。
根室の田舎で事情があって、在日の家族に下宿しました。その家族は衣類の行商をしてました。
クラスメートにその家族の親戚がいましたが、当時は特に変わったこともなく、学校でも、在日がどうこう言う話は皆無でした。
特に在日差別などというものはなかったと記憶してます。
私の父は教員でしたが、そんな話を聞いたこともありません。下宿した家族には姉、弟の2人の子供がいましたが、ともに養子、養女だったようです。
たしかテレビで在日の一家が貧しいながらも懸命に生活しているという番組があり、熱心に見てましたが、息子は、おもしろくないといい、在日の父はいやいや、いいドラマだったよなどと諭していました。
下宿先が在日だということは後日母から聞きましたが、だからどうなの?という感覚で、今思い出しても通常の日本人の下宿と変わったことはなかったと思います。
35年前のことです。
2回目は大学で付き合った友人で、彼が在日であることはクラスメートでもよく知られていました。
彼は日本人と結婚したのですが、両親は強く反対したそうです。彼は「彼女は自分の1番の理解者だ」といい、結局、結婚しました。
彼曰く、「どこにでも住んでいいという権利は確立していない」。
いろいろ悩みはあったようですが、結局、結婚後日本に帰化。
彼とは在日がどうのこうのいう話はほとんどしなかったと記憶してます。
まして、両親は強制連行されたとか、在日差別があるとか、そんな話は皆無でした。
いずれも北海道の話です。