「親の因果が子に報い」と「自己否定論」 ― 2012/10/18
「親の因果が子に報い」という考えは、かなり古臭い封建的思想と思われがちですが、拙稿でたびたび論じているように、革新・左翼系人士において現在も横行しているものです。
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/10/17/6605358 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/09/25/6584335 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuuhachidai
この何故こんな思想が先進国のこの日本に根強く残っているのか? これについて、1960年代末から1970年代にかけて広まった全共闘・新左翼運動の「自己否定論」が影響しているのではないかと思っています。これについてはWikipedia で要領よくまとめられています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%90%A6%E5%AE%9A%E8%AB%96
学生運動をしている自分たちも、実は「学生」という「恵まれた」身分に胡坐をかき、社会的弱者を抑圧しているのではないかという疑問から生じた理論である。 そして遂には、自らが所属している「学生」の立場をも否定することで「加害者性」を克服し、弱者の立場に立たなければならないとする。この自己否定論の登場以降、新左翼は「社会的弱者との連帯」を掲げて反差別闘争に力を入れるようになった。[1] しかし、この理論は後に「日本人=犯罪民族=民族浄化されるべき民族」という反日亡国論の論理へと行き着くことになった。というのも新左翼活動家の父や祖父は、一部の徴兵免除者を除き、かつては日本軍兵士(中には下士官や将校)として「日本帝国主義の侵略」に加担しており、そんな「侵略者」の子孫である自分たちは、弱者である「アジア人民」に対する原罪を負っている日帝本国人に他ならない。そんな自分たちが為すべきことは、自らが所属する「犯罪国家・日本国」と「犯罪民族・日本人」を徹底的に断罪し抹殺しなければならない。そうしない限り「アジア人民」に対する贖罪は永遠に成立しないとする[1]。 日本国及び民族は償いきれない犯罪を積み重ねてきた醜悪な恥晒し国家・民族であり、その存在価値が全くないので、積極的に民族意識・国民意識を捨て去って「非国民」になり、反日闘争に身を投じよと説く[2]。
このなかで「そんな『侵略』の子孫である自分たちは、弱者である『アジア人民』に対する原罪を負っている日帝本国人に他ならない。」とあるのが、まさに「親の因果が子に報い」の思想です。
本田靖春という作家は 「私の亡父は、初め朝鮮総督府の役人をしていて、後に新設の重工業会社へ移り、敗戦時には本社の筆頭課長をしていた。その次男である私は植民地支配に直接手を下したわけではないが、自分のことを朝鮮への侵略者であり、朝鮮民族に対する加害者であったと思っている。 その罪は四十七年間くらいでは消えない。私の子も、そして孫も背負うべきであろう。それが歴史認識というものではないか」(『時代を見る眼』講談社) と堂々と発表するほどでした。
当時は「DNA」は一般的に通用する言葉ではなかったので、「DNA」という言葉はありませんでしたが、今だったら日本人は侵略者=差別者=悪人のDNAを持っている、となるところでしょう。
先の『週刊朝日』は、「親の因果が子に報い」を「DNA」という科学的用語を使って立証しようとした、と思われます。