韓国映画『チスル』 ― 2014/06/01
韓国映画『チスル』を鑑賞。チスルとは韓国済州島の方言で、ジャガイモの意味だそうです。 韓国の『標準国語大辞典』を調べてみたら、確かに済州方言に「지슬」があります。 映画は1948年に起きた済州島4・3事件をテーマにしています。映画のチラシでは、次のように説明しています。
許されざる慟哭の歴史が、劇映画として初めて完成。 第二次世界大戦で日本が連合軍に降伏すると、アメリカ軍とソビエト連邦軍が朝鮮半島を北緯38度線で南北に分割占領した。 アメリカ主導で進められていた南だけの単独選挙が国の南北分断を決定的にするとして、1948年4月3日、選挙に反対する済州島民が武装蜂起。 それが発端となり、米軍が作戦統治を行っていた韓国軍と警察は、海岸線5㎞より内陸にいる人間を暴徒と見なし、鎮圧の名の下、無差別に虐殺する。 事態は熾烈を極め、7年もの間に約3万人が犠牲となったが、その大半は政治やイデオロギーとは無縁な人々であった。 日本に逃れた島民も多く、事件前に28万人いた人口は激減した。 「済州島4・3事件」は時の体制に“アカの島”で起きた“共産暴動”と烙印を押され、近年まで語ることさえタブーとされてきた。
映画の題名『チスル』は、チラシでは「優しい気質の島民は、負傷した軍人にまでジャガイモを差し出したという」ところから付けられたとしています。
この映画で一番の疑問は、武装蜂起を決行した南朝鮮労働党(以下「南労党」)が全く出てこないことです。 これについては平凡社の『韓国・朝鮮を知る辞典』の「済州島4・3蜂起」の項に、
4月3日、南朝鮮労働党は武装蜂起を決定し、党のもとに人民遊撃隊を組織した。 その規模は300人余り。 警察から奪取した武器、弾薬で武装した遊撃隊は、政治犯を釈放し、西北青年会など右翼テロの粛清を行うなど、一時はほとんど全島を掌握し、5月10日の単独選挙の実施を阻止した。
と書かれているように、この事件は南労党が島民を巻き込んで起こしたものと言っていいでしょう。 しかしこれを映画では「島民の武装蜂起」と表現しています。 そして幼い子供や女性までが武装蜂起側に付いていって、最後はみんな犠牲となったとしています。
4・3武装蜂起の結果は3万人もの犠牲者を出して敗北しました。 犠牲者には女・子供が多く含まれていたというのですから、鎮圧した韓国軍や警察だけでなく、蜂起を決定し指導した南労党の責任も大きいと思うのですが、この南労党が映画では出てこないのは何故なんだろうか?と思いました。
南労党は敗北が決定的になった時点で、島民の犠牲を最小にするために「全責任は我々にある。島民には責任はないから殺すな」として白旗を掲げるべきだったのではないか、あるいは島民たちは生かして自分たちだけで玉砕すべきだったと思うのですが、最後まで島民を抱え込んだまま徹底抗戦してしまったという事件でした。
人民遊撃隊=人民戦争は軍隊と人民大衆とが有機的に結合して戦う方式で、4.3事件はこの戦争方式を取り入れたものです。 映画ではこの事件を「南労党の武装蜂起」ではなく「島民の武装蜂起」と表現したのは、この故だろうと思います。 しかし一般人を巻き込んで犠牲にする軍隊は、果たして正当化できるのかどうかという疑問を持ちます。
次にこの映画のもう一つの疑問は、ある韓国軍兵士が暴徒鎮圧をためらったために罰として厳寒の屋外に裸で放置されるという場面です。 この時代は南労党員が多数韓国軍に入隊し、軍隊内反乱を狙っていた時代です。 実際に麗水・順天でそのような反乱事件が発生しました。 従って韓国軍は内部に入り込んだ南労党員の摘発に全力を挙げていたのです。その最中に暴徒鎮圧をためらう兵士がおれば当然南労党員を疑いますので、裸で屋外に放り出す程度の罰では済まなかっただろう、と思います。
実際の鎮圧の際には、女・子供にまで銃を向けなければならなかったのですから、各兵士には躊躇いの気持ちは出てくることもあったでしょう。 しかし、そんなことを素振りにでも出したら自分が南労党員を疑われて処刑される可能性があった、そんな時代だったのです。