民族名で応召した朝鮮人2014/11/14

 植民地時代の朝鮮における徴兵に関して、次のようなコメントがあり、ちょっとおかしいなあと気になりました。

創氏改名以降は大半が日本名、特に数的に多い徴兵兵は皆そうだったと思います。

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/10/7487557#c

 ところが、上の写真は李圭憲著『写真で見る韓国の独立運動』(高柳俊男・池貞玉共訳 1988年11月 国書刊行会)の158頁にあるものです。

 キャプションは次のようになっています。

日帝は徴兵検査に合格した壮丁に徴収令状を発給すると同時に、その家に「壮行旗」をたて、「栄誉の家」としてほめそやす喜劇を演じた。

 この写真をよく見ると、応召された人の名前は「張埈植」となっています。 日本人でも極めて珍しいですが、トヨタの役員さんのように「張」さんがおられます。 しかし「埈植」は明らかに朝鮮人の民族名です。 つまりこの人は朝鮮人で、日本名に変えることなく、民族名のままで徴兵されたということになります。

 そして民族名で応召された朝鮮人の若者を、隣近所みんなが祝い、激励したということです。

 朝鮮での徴兵制の施行は1944年ですから、創氏改名から4年も経った時期の話ですね。

 宮田節子はプロの歴史家ですから当然この写真を見ているはずですが、どうして「天皇の軍隊の中に、『金某、李某』が混入するのがたえがたいという思いが、にじみ出ているのではないだろうか」 と論じたのか、理解できないところです。