李朝はインカ帝国なみか?2015/11/28

 古田博司さんが最近発表した論考「まるでインカ帝国なみ‥‥古代に回帰する韓国」(『歴史通 2015年11月号』所収)では、李朝時代の朝鮮を「インカ帝国なみ」と表現しています。 古田さんはこれまで何回かこれと同じことを論じています。 これについて一年半ほど前の拙稿で疑問を呈したことがあります。 その部分をピックアップして再録します。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/04/20/7289374

 古田さんは、インカ帝国はどの段階に相当するのかと問うておられます。 「原始的」よりは高い段階であるのは確かですが、貨幣がなく奴隷売買がなかったようですから「奴隷制」よりも低い段階と言えます。 とすると「アジア的」なのか、或いはそれより低い「アフリカ的」なのか。 それとも思い切って「インカ的」なるものを新たに設定した方がいいのか、という話になります。 なお一方では古田さんは李朝とインカ帝国とが同一段階だったと説きます。

李朝は、いわば世界が中世期の頃に、古代国家として発生したインカ帝国に近い存在として特筆される。(93頁)

朝鮮中世経済史で有名な横浜国立大学の須川英徳教授‥‥その須川氏に、長い間秘めていた直感を恐る恐る聞いてみたのである。 「あの、ちょっと怒らないで聞いてほしいのだけれど、李朝ってインカ帝国に似ていないかな?」  須川教授は怒ることも、躊躇することもなかった。  「うん、実は僕もそう思う」と、即答だった。(196頁)

 古田さんは一方ではインカ帝国はどの段階にも入りようがないと言いながらも、他方では李朝(=アジア的段階)と同じとしていますので、矛盾していると考えられます。

 ちなみに日本の江戸時代は、各藩の大名を封建領主と言っていいものだし、蘭学や和算学など近代社会を準備するだけの学問が発達していましたから、西欧の中世=封建制に相当すると考えられます。 日本はギリシア・ローマのような奴隷制を経ることなく、近代=資本制の直前段階である中世=封建制に到達していたと言えます。 このように既にその段階になっていたのですから、明治時代になって近代社会にスムーズに移行できたのです。

 逆に中国や朝鮮は封建制に至らず、はるかそれ以前のアジア的段階にとどまったまま、いきなり資本制に巻き込まれたのですから、近代社会への移行がスムーズにいかなかったのです。

【参考拙稿】 朝鮮に封建時代はなかった  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/11/23/7919936