朝鮮人の出生届の混乱2019/01/27

 1ヶ月ほど前の拙ブログ 「かつて在日の身分事項の混乱」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/12/25/9017006 で、

もともと朝鮮人は日帝機関である総督府が作成する戸籍を信用しない傾向が強かったです。 だから子供の出生届はかなりいい加減だったようです。 特に生年月日は都合のいい日付で届け出ることが多かったのです。

と論じましたが、そのことを少し詳しく書かれたものを 『韓国両班騒動記』(尹学準著 亜紀書房 2000年4月)で見つけましたので、紹介します。

必要があって故郷から私の戸籍謄本をとり寄せたが、そこには1933年3月6日、慶尚北道醴泉郡知保面新豊里で生まれたとなっている。もちろん、いま私が持っている外国人登録証明書にも同様の記載がなされている。いうならばこれは私の公的な「人的事項」で、社会生活を営む上では、これが私の「生年月日」であり、「出生地」なのだ。

だが、これは事実ではない。私は壬申年(1932年)旧暦2月6日、慶尚北道安東郡西後面金渓洞で生まれた。コムジェ(金渓)は母の実家、つまり私の外家(ウェカ)がある村である。我が故郷では初めてのお産は実家に帰ってするのが慣わしであるから、わが家もそれに従ったまでのことだが、出生届を1年も遅らした理由はとなると、どうにもわからない。

思うに、父の世代までは近代的な戸籍に対する認識が驚くほど希薄ではなかったかと思う。そのくせ後生大事と思っているわが家の族譜(家系譜)にはちゃんと正確な生年月日が記載されているのだ。おそらく父や祖父たちの頭には、面(村)の役場は日本のものだという観念があったから、子供の出生届も自然といいかげんに処理してしまうことになったのではなかったかと思う。(75~76頁)

 彼は自分の生年月日の混乱の原因を「父の世代までは近代的な戸籍に対する認識が驚くほど希薄」だったからということと、「父や祖父たちの頭には、面(村)の役場は日本のものだという観念があった」から、の二つの理由を挙げています。

 もし後者のように、日本統治下の役場は日本のものだからいい加減にしたのなら、解放(1945)後の韓国では出生届は正確になされるようになっているはずですが、どうもそうではなかったようです。 1980~90年代に活躍した小説家 梁貴子の小説「遠美洞の詩人」の主人公の少女は両親が2・3年遅れで出生届を出したので、おませな7歳の女の子という設定になっています。 これは小説ですが、実際に解放後の韓国ではそういう事例がかなりあったようです。

 とすると、やはり前者の「近代戸籍に対する認識の薄さ」が原因と思われます。 李朝時代の戸籍は3年ごとに編成されますから、その間に生まれた子供はその時に初めて戸籍に登載されます。 つまり生まれたからといって直ぐに出生届を出すものではありませんでした。 朝鮮人は近代になってもこの感覚からなかなか抜け出せなかったのではないか、というのが私の考えです。 

そして朝鮮に近代戸籍を導入したのは日本でした。 そこが混同されて、朝鮮人は役所が日本の機関だから出生届を出さなかった、それほど日本に対する恨みは強かったという説が生まれたように思われます。

コメント

_ 名無し星人 ― 2019/02/11 10:42

>それほど日本に対する恨みは強かったという説が生まれたように思われます。

朝鮮というのはカースト社会ですから自分に関わるもの全てが恨みに収束するのだと思います。
カースト社会は権威の弱肉強食、つまりは権威が野生化した世界ですから。
恨みとは自分の尊厳の死に対して想いを残す事でしょう。
ですから野性のカースト制である朝鮮社会では身に降りかかるもの全てが恨みに転化されるのだろうと理解します。
全ての憤慨も恨みも全部彼等の社会風土の問題なのです。

_ (未記入) ― 2019/02/12 03:34

カースト社会の本場であるインドでは、どうなるのだろう?
インドで「自分に関わるもの全てが恨みに収束する」とは、聞いたことがない。

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