深沢潮さん―毎日記事への違和感2021/07/22

 7月15日付の毎日新聞に、深沢潮さんを取材した記事である「差別が許されないのは恥だから? 在日作家・深沢潮さんの違和感」を読む。 (有料記事なので、関心のある方は図書館にでも行ってください) https://mainichi.jp/articles/20210714/k00/00m/040/333000c

 こんな在日像(被差別・被害者)を公言する人が今でもいるんだなあという感想ですね。 深沢さんは1966年生まれとありますから、この世代までもがこういう感覚を持ち続けているのだろうか、と思いました。 在日をどう考えるかは人それぞれですから、それはそれでいいのですが、昔を知る私にとっては、これはちょっと一言しておかねばならないと思うところがありました。 それを紹介します。

普段は日本の通称名を使っている女子大生の「金田知英」はパスポート取得を機に自分の国籍を改めて意識し、「日本人ではない」事実に戸惑いを覚える。

 これはご自分が書いた小説での話ですが、おそらくご自身の体験談だと思われます。 「パスポート取得を機に自分の国籍を改めて意識し、『日本人ではない』事実に戸惑う」とありますが、パスポートを見て初めて「国籍を意識」するなんて、ちょっとビックリ。

 在日は16歳の時に外国人登録をするのですが、普通はこの時に「国籍を意識=日本人でない」ことを自覚するものです。 深沢さんは1966年生まれですから、1982年頃に指紋押捺をしたはずです。 その時に黒く塗られた左手人差し指を見ながら、自分は日本人ではないと意識するものですがねえ。 

 またそうでなくても、自分が外国人であることはどこかで判明するものです。 例えば住民票の提出を求められたら、代わりに外国人登録済証を出したとか(2012年までは外国人には住民票がなかった)、そんな経験をしたはずです。

 ですから大学生時代にパスポートを取得して初めて「国籍を意識」するなんて、あり得るのだろうかという疑問が湧きます。

小学6年生の時に初めて韓国にある父の田舎に行ったんです。確か冬休みで、日本に帰ってきた後に自分のことをみんなに言いたくなったんですよね。学校で朝、スピーチする時間があって『実は韓国人です』と話した

 小学6年生の時に、学校でみんなに「韓国人」だと明らかにしたということです。 小学生時代に親の故郷である韓国に連れられて行って、そこで親戚から歓迎されたという話ですね。 これは日本人の子でも親の故郷に行ったという話はよく聞くもので、それと変わらないと思います。 ところが中学校になると、次のような事件が起きます。

中学3年生のときには別の意味でショックを受けた。通称名を使っていたのに、なぜか友達に在日であることが知られ、突然距離を置かれるようになった。

 つまり小学校の時に自分は日本人ではなく韓国人だと名乗ったのですが、中学校の時は周囲の級友たちは誰もそれを知らず、3年になってようやく知られて差別されるようになった、ということです。 果たしてこんなことがあり得るのだろうか? という疑問が湧きます。 中学校は遠く離れていて、小学校時代の彼女を誰も知らなかったということなのでしょうか。

大学時代にはケーキ屋でアルバイトをしようとして、日本国籍ではないことを理由に断られたことも。在日に対する構造的な差別が社会に組み込まれ、就職活動では多くの一般企業に応募すらできなかった。採用されたのは、国籍を問わない外資系の証券会社。やりたい仕事ではなく、「入れる会社に入った」結果だった。結局仕事が合わず、半年で退職した。

 ここが一番ビックリしたというか、あり得ない話だろうと思ったところです。 彼女は1966年生まれですから、大学時代は1985~1989年頃と判断されます。 この時期の日本はいわゆるバブルに差し掛かる時期で、人手不足が深刻化し始めた頃です。 その時にアルバイトを申し込んだら「日本国籍ではないことを理由に断られた」とは、ビックリ。絶対にないとは言えませんが、当時を知る私には信じられない気持ちです。

 さらに大学卒業時は1989年前後ですから、正にバブルの真っ最中です。 人手不足が最高潮でしたねえ。 また1970年代半ばのいわゆる日立闘争で在日の就職差別が違法とされて、それ以降一般企業は採用時に国籍を問わないようになりました。 日立闘争以後とバブル最盛期という時期に、一般企業が外国人からの応募を最初から断るなんて、およそあり得なかったと思うのですが‥‥。 

 ただし在日の中には、どうせ日本企業に入れないだろうし、入っても在日だからと差別されるだろうからといって、最初から就職活動しなかった人も少なくなかったです。 当時、在日の就職活動を支援し就職情報誌を発行していた人は、在日は日本企業、とりわけ大企業へは就職活動する前から躊躇する傾向があると嘆いておられましたねえ。 深沢さんもこういう類の人だったのだろうかと想像しました。

「韓国人の血は入れられない」「韓国人なんてガッカリだ」。付き合っていた日本人男性は相手が在日だと分かった途端、こんな言葉を平然と言い放った。

 彼女はこの男性と付き合っている間、自分が韓国人だということを知らせていなかったのですねえ。 前後の文脈から、これは彼女が25歳前後と推定されます。 とすると1991年前後。 この時代に「韓国人の血は入れられない」「韓国人なんてガッカリだ」という男がいたことに、ビックリ。 こんな男と知って、早く別れてよかったですね、と言うしかないです。

 なお「韓国人の血は入れられない」というのは、1980年代までは「部落と朝鮮はダメだ」と強く主張するお年寄りがよく言っていました。 理由は「そんなのと結婚したら、血が濁る」というものでした。 お年寄りの差別発言はエゲツないものでしたね。 しかし1990年代にはそんなことを言う年寄りはいなくなりました。 しかし深沢さんは若い男性から言われたといいますから、ビックリです。

深沢さんは27歳のとき、お見合いで知り合った同じ在日韓国人の男性と結婚した。

深沢さん自身は妊娠を機に、30歳で日本国籍を取得した。

 昔は、在日は結婚相手も在日でなければならないと、在日専門の結婚仲介所があちこちにありました。 しかし在日の若者も日本の若者と同様に、親の言う通りにお見合いして結婚するなんて嫌がる傾向が強くなり、1990年代に衰退していきましたね。 しかし彼女はそんな時代に在日同士で見合い結婚したというのですから、何と親孝行な娘さんなのかと感心します。

 しかし彼女は結婚3年後に妊娠を機に帰化したとあります。 ふつう在日同士の結婚の場合、国籍や民族で悩むことがありませんので、直ぐに帰化することはあまりないものです。 子供が小学校に上がる頃か、あるいは子供が成人になる前に帰化を考える人が多いです。 結婚わずか3年後に子供が生まれる前に帰化を決めたのは、ちょっと珍しいですね。

 なお在日同士で結婚した場合、その子は韓国籍となります。 注意しなければならないのは、韓国籍の男子には兵役の義務があり、在日は単に免除されているだけだということです。 韓国人男子は韓国領事館に行って兵役免除の証明をしてもらわねばならず、これを怠ると、韓国に入国する時に徴兵されるかも知れないということです。

 そうでなくても韓国では、徴兵年齢期間中の男子は徴兵に応じない限り国籍離脱を認めてはならないとする主張が強くなっています。 そうなれば、20~29歳に軍隊に行かない在日男性は韓国の国籍離脱が出来ませんので、日本への帰化が困難になることでしょう。 あるいは日韓の二重国籍でしたら一方の韓国国籍離脱ができませんから、国籍がややこしくなります。

 以上は将来の話で実際のことではありませんが、私は在日男子のいる家庭には、19歳の徴兵検査年齢に達する前に帰化した方がいいですよと勧めています。 (韓国では19歳に徴兵検査、20歳以上が実際の兵役となります)

 毎日新聞の記事を読みながら、感想を書いてみました。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック