玄善允ブログ(1)―金時鐘さんの日本名2024/03/31

 玄善允さんのブログ「連作エッセイ『金時鐘とは何者か』2(第一部 金時鐘の年譜)」を読む。  https://blog.goo.ne.jp/sunyoonhyun5867kamakiri/e/14b31cbf81eda5ac72f05dac66804bb5

 ブログでは、金時鐘さんが小学校時代(当時は普通学校)に使っていたとされる日本名は年譜では「光原」となっているが、出身校と推定される済州北初等学校(現在)同窓会誌の1943年卒業生名簿には「金山時鐘」となっているとしています。

『同窓会誌』に付された歴代の卒業生名簿の内、33期(1943年3月25日卒業)の欄では、総116名の卒業生の名前と、番地はないが町名までの住所は記載されており、 ‥‥ 学校の公式記録に劣らぬ信憑性がありそうな総同窓会の卒業生名簿では、金時鐘の卒業時の姓名は「金山時鐘」、住所は「済州二徒」、済州北初等学校の前身である済州北公立普通学校を「1943年3月25日に卒業」したとされている。

 つまり金時鐘さんには「光原」以外に、「金山」という日本名があったことを指摘するものです。 「金山」は卒業者名簿と発見するに至った経緯とを明らかにしていますので、信頼できる情報でしょう。 また「光原」は金時鐘さんの自叙伝である『朝鮮と日本に生きる』には次のように記述されており、確認できます。

そのことを金(金容燮)君に息苦しくてならないと話しましたら、彼は私の手を握って「光原(これが私の日本名でした)! それが詩なんだ! お前の詩はそれなんだ!」と諭してくれました。 (金時鐘『朝鮮と日本に生きる―済州島から猪飼野へ』岩波新書 2015年2月 42~43頁)

 金時鐘さんは「光原」について、わざわざ括弧書きで「これが私の日本名でした」と記しています。 しかし「金山」には全く触れていません。 金さんの小学校時代に「金山」と「光原」の二つの日本名があったと推定されることに対し、金さんの説明がほしいところです。

 まとめますと、金時鐘さんには親に名付けてもらった「金時鐘」、日本に密航した際に不正に入手して今まで使い続けてきた法律上の名前「林大造」、そして今回は「光原」「金山」という二つの日本名、計四つの名前があるということです。

【拙稿参照】

本名は「金時鐘」か「林大造」か  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/23/8948031

金時鐘さんは本名をなぜ語らないのか? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/07/02/9110448  

金時鐘さんが本名を明かしたが‥‥ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/10/26/9169120

金時鐘『「在日」を生きる』への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/01/8796038

金時鐘氏は不法滞在者なのでは‥(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/10/07/9623500

金時鐘氏は不法滞在者なのでは‥(2)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/10/12/9624809

金時鐘氏は不法滞在者(3)―なぜ自首しなかったのか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/10/17/9626078 

金時鐘さんの法的身分(4)    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/31/7762951