金時鐘氏への疑問(9)―韓国否定と北朝鮮容認2025/05/09

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/02/9772477 の続きです。

⑭	「韓国」建国選挙を否定しながら、「北朝鮮」建国選挙は容認

 1948年は「大韓民国(韓国)」を建国するための選挙と「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」を建国するための選挙、この二つの選挙が実施されました。 言い換えれば、南北を分断する選挙が「南」と「北」で行われたのです。

 まずは「韓国」建国に至る経過を簡単に記しますと、

・1948年2月:   国連は全朝鮮での選挙を企図したが、ソ連の占領下にある北朝鮮への立ち入りを拒否されたので、南朝鮮での単独選挙を決議。

・同年3月1日:   5月10日に選挙実施と公告。

・同年3月15日:  南朝鮮労働党(南労党)済州島委員会は選挙を阻止するために4月3日に武装蜂起すると決定。

・同年4月3日:   武装蜂起(4・3事件)勃発。

・同年5月10日:   選挙実施。 ただし南朝鮮のなかで済州島の北済州郡だけが選挙無効となる。

・同年5月31日:   制憲国会を開く。

・同年7月29日~:  第二次世界大戦後初のロンドン五輪に朝鮮代表として出場。 直後に建国される「韓国」が国際的に承認されたことになる。

・同年8月15日:   「大韓民国」樹立を宣言。 李承晩が初代大統領となる。

 国連は当初は朝鮮全土で選挙を実施するつもりが北朝鮮側から拒否され、南朝鮮だけでの単独選挙となりました。 そして金時鐘さんは南労党の党員としてこの単独選挙に反対する4・3事件に参加し、済州島の北済州郡での選挙を無効とすることに成功しました。 (なお翌年5月に再選挙が実施されたので、結果的に「成功」とは言えません)

 

 ところが金時鐘さんは同時に進められていた朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)建国の選挙について、全くと言っていいほどに言及していません。 「北朝鮮」建国に至る経過を簡単に記しますと、

・1948年5月:     民族統一政府樹立のために朝鮮全土で選挙すると決定。

・同年7月:      南朝鮮のなかの南労党支配地域で、「人民代表者会議」の代表者を選ぶ地下(秘密)選挙を実施。 済州島でも同様に実施され、金達三ら南労党幹部が選出される。

・同年8月初~中旬:  選ばれた代表者が南朝鮮を抜け出し、北朝鮮へ行く。 済州島からも金達三ら6人が向かった。

・同年8月21~26日: 北朝鮮の黄海道海州で「南朝鮮人民代表者会議」が開かれる。 金達三は済州島における4・3事件の戦果を報告。 この代表者会議で「最高人民会議」代議員を選ぶ。

・同年9月2日~:   平壌で「最高人民会議」を開き、新政府の樹立と政府要員を決定。

・同年9月8日:    朝鮮民主主義人民共和国憲法を制定・

・同年9月9日:    「朝鮮民主主義人民共和国」建国を宣言。 金日成が首相に就任。

 このように当初は朝鮮全土での選挙を目指したのですが、南朝鮮では米軍政下にあって全面的に実施できず、南労党支配下のごく狭い地域に限っての地下(秘密)選挙となりました。 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)建国のための選挙は以上のような経過であり、金時鐘さんがおられた済州島でも地下選挙を実施するなど、北朝鮮の建国過程に沿っていたことが分かります。 

 なお金時鐘さんの岩波新書『朝鮮と日本に生きる』によれば、彼は1948年5月末に起きた中央郵便局火炎瓶襲撃事件に関わって警察に追跡され、知り合いの協力で逃亡し、米軍基地内の兵舎に9月末まで潜伏していたといいます。(225~227頁) このためか7月の地下選挙に関わらなかったようですが、

月に2度くらいは、厳戒の街のなかを連絡を取りに、指定場所の〝定点”と道立病院にK君のジープで出向くこともできました (227頁)

とあるように、南労党との連絡は保っていました。 そもそも南労党員なのですから、地下選挙については知らされていたはずです。

 ところで金時鐘さんの著作では、南の単独選挙阻止のための4・3事件について詳しく書いておられますが、「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」建国のための地下選挙については全くと言っていいほどに触れておられません。 つまりあの時、祖国の分断をもたらす選挙が「南」だけでなく「北」でも行なわれ、南では「北」の選挙に合わせて地下選挙まで実施されたのに、彼は「南」の単独選挙だけを取り上げて、身近で行なわれていた「北」の地下選挙には黙っておられるのです。 少なくとも南労党員として党と連絡を取っていたのですから、地下選挙の情報はあったはずなのですが‥‥。 書かれて当然のものが書かれていないとなると、何故なのか?と疑問となります。

 どちらの選挙も当初は朝鮮全土で実施するつもりだったのものが、それぞれの事情により不完全な選挙となり、祖国が分断されたまま二つの国家が成立したのでした。 金さんは「南」による分断選挙に否定する考えを今でも維持しておられますが、もう一方の「北」による選挙について何も語らないところをみると、その裏に何かがあるのではないか?という疑問を抱きます。        (続く)

 「北朝鮮」建国と南朝鮮地下選挙に関しては、下記の拙ブログをご参考ください。

朝鮮民主主義人民共和国の正統性は何か? https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/11/21/9636056 

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の建国日は本当か? https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/10/10/9723031 

 

【追記】

 南労党指導者の朴憲泳は、南朝鮮の現地南労党員からの〝南朝鮮の全域で地下選挙が実施された”という報告を受けて、これを金日成とスチコフ(北朝鮮駐屯ソ連軍司令官)に伝えました。 この最終報告書には実施率77.52%と信じられないような数字が出ています。 南労党員たちは成果があったように捏造の報告をしたものと思われます。 済州島ではさらに高い85 %の投票率だったといいますが、これも信じていいものかどうか‥‥。 ただ権力側は鎮圧する際に地下選挙の投票用紙等を押収しており、それによればほとんどが白紙の委任投票で、民主的な選挙とは言い難かったようです。

 南北分断の元となったのは、「南」の単独選挙と「北」の選挙の二つの選挙でした。 金時鐘さんは「南」の単独選挙だけが分断の元凶のように語っておられますが、「北」の選挙もまた分断の元凶だったのです。

金時鐘氏への疑問(1)―在留資格       https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/03/26/9763626

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