在韓米軍の慰安婦の話(2)2014/10/30

食堂で下働きの仕事をしていた時、店の女主人がクラブに出入りする女性を一人紹介してくれた。彼女が17歳の時であった。 彼女は女主人が自分を自立できるようにしてくれたものと信じた。 それまで一度も、その意図を疑って見たことがなかった。 梨泰院のクラブに通い始めた。 幸いと言っていいのか、女主人のくれたお金で部屋を借りることが出来た。 客は多かった。 年が幼く見える彼女はテキーラを飲んだ。 酒を飲むと寝てしまうのが彼女の癖であった。 クラブの社長はテキーラの代わりに麦茶を与えた。 彼女は米国軍人に人気が高かった。 しかし彼女は誰も愛することができなかった。米国軍人たちは1年一緒に暮らしても、別れると蛇のように冷たくなった。

死んでしまいそうだった。 夢であの米国軍人が出てきたりしてね。 おそらく今生きていたら63歳になってるだろうね。

12年の間、ある男と暮らした。 そのうち彼が日本で勤務した時と本国に行って来た時が10年余りだ。 除隊した彼と暮らしたかった。 ところが結婚しようとすると住民登録証が必要だった。住民登録証を作ろうと依頼していた事務所の男が、金だけ持って逃げていった。 二回もそのようなことがあった。 彼女は、結婚は天の定めではないと諦めるようになった。男は気を落として本国に帰っていった。お金のために、そして生きていかねばならないために米国軍人と暮らした。 梨泰院から松炭へ、松炭から大邱へ、そしてまた松炭へと回ってくるなどして、彼女は年を取った。 身体は傷つき、男といえばうんざりした。 クラブの社長たちは、人気の高かった彼女に偽の検診カードを作ってくれた。 米軍が出て行かないようにするために、韓国政府は米軍を相手とする女性たちに定期的に性病検査をした。 性病にかかった女性は治療のために検査不合格者収容所に収容した。 ペニシリンショックで死んだ女性もいたし、逃げて死んだ女性もいた。 運よく彼女は一度も検査に引っ掛かったことがなかった。 彼女は朝鮮戦争でも生き残り、他の多くの女性が米国軍人の暴力の犠牲となって収容所で死んでいったなかで、運よく生き残ったのだった。

早く年取ればいいなあと考えていたよ。毎日クラブに出かけて酒を飲んでたから。 米国軍人と一緒に暮らす時も、ショートタイムでクラブに出かけたよ。 本当にうんざりだね。

彼女は神が自分にそうさせたのだと考えている。 11歳の時に、自分が他人とは違うんだということを知った。 しかし神のネリムクッ(神が憑依する)はなかった。 どうせ荒っぽく生きるだけが天の定め、神のネリムクッを受けても何の意味があるのか、彼女は何も信じなかったのである。小さいものでも分け合って暮らした。 そうやって生きればいいと信じた。 彼女は、神がネリムクッを受けない自分の身を傷つけることはあっても、殺すようなことはしないと信じた。 そのようにして彼女は年を取った。 今家族同様に一緒に暮らす犬と平穏に過ごしたいと思うだけである。 誰かの干渉も受けたり、米やおかずが無くなったりするようなことさえ無ければいいと思っている。 しかし引越しする所も金もない。 彼女たちに、愛国者なんだからたくさんの米国軍人と出会ってにこやかに優しく接してあげろと言って回った人たちは、病気になって老いていく彼女たちの人生を振り返って見ようとしない。 責任を取るべき人は、彼女たちに一生「米軍に体を売った女」という烙印を深く刻み込んだ。 ただ彼女たちは生きていかねばならなかったし、生き残った人たちであるだけだ。 彼女は、人は誰でもちょっとの間この世に言ったり来たりするお客であるだけだと信じている。 (以上、イ・ソンジュ記)