申京淑の三島由紀夫盗作事件2015/07/23

 今は旧聞になりましたが、先月の韓国は申京淑の三島由紀夫盗作事件で、大きな話題となっていました。 申京淑は韓国の人気作家の一人で、ベストセラーの小説を次々に出し、日本をはじめ世界各国で翻訳され、韓国の文学賞の選考委員をやっているなど、韓国文壇の大御所的存在です。 そんな彼女が日本の三島由紀夫の作品から盗作したと批判されたのです。

 まずは韓国のハンギョレ新聞の報道(2015年6月17日付)です。

韓国文壇を代表する小説家、申京淑(シン・ギョンスク)氏が、日本の小説家の三島由紀夫の作品を盗作したという主張が出され衝撃を与えている。 申氏の盗作論議はこれが初めてではないが、今回の主張は申氏の盗作疑惑に十数年間にわたり沈黙してきた韓国文壇に対する正面からの問題提起であり、波紋は一層大きくなるものと見られる。  三島由紀夫は1970年11月、自衛隊の覚醒と決起を叫んで割腹自殺した代表的な右派だ。            小説家であり詩人であるイ・ウンジュン氏は16日、ハフィントンポスト・コリアのブログに書いた「偶像の闇、文学の堕落」というタイトルの文で、申京淑氏の短編小説『伝説』の一部が三島の短編小説『憂国』の翻訳本を盗作したものと主張した。  三島の『憂国』の翻訳本の中の 「二人とも実に元気な若い肉体の所有者であったせいで、彼らの夜は激烈だった。(中略)初夜を過ごして一カ月が過ぎようかという時、すでに麗子は喜びが分かるからだになっていたし、中尉もそんな麗子の変化を喜んだ」 (『金閣寺、憂国、宴のあと』233ページ、1983)という文章が、申京淑の『伝説』では 「二人とも元気な肉体の持ち主だった。彼らの夜は激烈だった。(…)初夜を持ってから二カ月余り、女はすでに喜びが分かるからだになっていた。(…)女の変化を最も喜んだのはもちろん男だった」 (『ずっと前に家を出た時』240~241ページ、1996)に変わったというのだ。            イ氏はこの点を提示して三島の作品を翻訳した詩人キム・フラン氏が「(以前、他の人の翻訳で)「愛の喜びを知った」という地味な表現を「喜びが分かるからだになった」という流麗な表現に翻訳した」として「このような言語の組合わせは(中略)意識的に盗用せずには絶対に飛び出し得ない文学的遺伝工学の結果である。 (中略) 純粋文学のプロ作家の一人としては、とうてい容認されえない明白な作品窃盗行為、盗作」だと明らかにした。            イ氏は「もともと申京淑は盗作論議がきわめて頻繁な作家」だとして、申京淑氏が小説『いちご畑』に在米留学生アン・スンジュンの遺稿集『生きてはいる』の序文を無断で使ったこと、長編小説『汽車は7時に出る』と、短編小説『別れのあいさつ』がパトリック・モディアノと丸山健二の小説の中の文章とモチーフ、ムードを盗作したなど、1999年にハンギョレの紙面等を通して疑惑が提起されたことに言及した。  申氏は『いちご畑』盗作疑惑に対して、出所を明らかにせず使ったことは認め謝ったが、盗作疑惑は強く否定した。          イ氏は盗作問題を提起した理由について「申京淑は単なるベストセラー作家ではない。 申京淑は韓国文壇で処世の達人である評論家から神様のように持ち上げられ、東仁文学賞の終身審査委員を受け持っている等々の理由で、韓国文壇の最高権力でもある」とし、何度も盗作論議が起きたにもかかわらず、文壇の沈黙の中で「韓国文学にみじめな堕落を持たらすことになった」と嘆いた。 さらに「今私がこの文を書いて誰かがこの文を読むということは、誰かが誰かの欠陥をつかみ出して攻撃する性格では決してない」として「韓国文人の誇りを回復するためであり、浅薄な環境の下でも血と汗の雫で韓国文学を編み出して来た先輩作家と読者に謝罪しようとする今日の韓国文人すべての姿だ」と強調した。           イ・ジェソン記者

 この記事を検証するために、申京淑の「伝説」という小説、三島由紀夫の「憂国」を韓国語に翻訳した本、三島由紀夫の原文を探しました。

 申京淑の「伝説」の該当部分は次の通りです。 正確を期すために直訳しました。

二人とも健康な肉体の主人公だった。 彼らの夜は激烈だった。男は外から帰って土ほこりの付いた顔を洗っても、何かもどかしくて急いで女を押し倒すのは毎回だった。 初夜を持った後の二ヶ月あまり、女はもう喜びを知る体になった。 女の清逸な美しさの中へ、官能は香ばしく豊穣に染み込んだ。 その成熟は歌を歌う女の声の中にも豊かに染み入り、今は女が歌を歌うのではなく、歌が女に吸い取られるようだった。 一番喜んだのはもちろん男だった。  (申京淑「伝説」〈『ずっと以前に家を出た時』創作と批評社240~241頁〉1996年9月)

 次に三島由紀夫を韓国語に翻訳した文です。 1980年代に韓国では世界文学全集に採録されていました。 これも直訳です。

二人とも実に健康な若い肉体の所有者だったせいで、彼らの夜は激烈だった。 夜だけでなく、訓練を終えて土まみれの軍服を脱ぐ間すらもどかしくて、帰宅するや否や妻をその場で押し倒すことは一度や二度ではなかった。 麗子もよく応じた。初夜を送って一ヶ月が過ぎるかどうかの時、もはや麗子は喜びを知る体になり、中尉もそんな麗子の変化を喜んだ。  (三島由紀夫、金フラン訳「憂国」〈『金閣寺、憂国、宴のあと』主友世界文学全集二〇 233頁〉1983年1月)

 それでは三島の原文はどうなのか。

二人とも実に健康な若い肉体を持っていたから、その交情は激しく、夜ばかりか、演習のかえりの埃だらけの軍服を脱ぐ間ももどかしく、帰宅するなり中尉は新妻をその場に押し倒すこと一再でなかった。 麗子もよく応えた。 最初の夜から一ㇳ月をすぎるかすぎぬに、麗子は喜びを知り、中尉もそれを知って喜んだ。  (三島由紀夫「憂国」〈『花ざかりの森・憂国』新潮文庫 1968年9月)

 事実関係は以上です。これはやはり申京淑の盗作と言わざるを得ません。 申京淑は「三島由紀夫の『憂国』は読んだことがない」と主張し、出版社の創批社が「三島の作品より申の作品の方が文学性に優れている」と居直ったことから、騒ぎがさらに大きくなったという経過です。

 結局は、申も出版社も盗作を認めたのですが、後味の悪い事件でした。