李朝時代の文化衰退(2)2019/06/24

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/06/18/9088742 の続きです。

 前回の最後の部分で「小宮は朝鮮の美術工芸の歴史について以上のように非常に否定的ですが、実は将来のことについては肯定的です。 これは次に紹介します。」としました。 小宮の小論は表題が「朝鮮芸術衰亡の原因およびその将来」とあるように、将来の展望も論じているものです。 過去の否定的な姿を描いた次に、朝鮮の芸術・美術の将来を論じています。  なおこれが発表されたのは100年以上前の大正4年(1915年)ですので、その点を念頭に入れて下さい。

今日の朝鮮でなお芸術もしくは美術と称し得べきは朝鮮人の冠っておる帽子、靴などで、意外に精巧なのは裁縫である。 例えば朝鮮人の着る夏季用の薄物の縫い方などは、一種の芸術を言い得る。全く美術的で巧みに曲線に縫っていくところは、日本の足袋、股引きの裁縫に似ているが、あの難しい裁縫を鮮人は平気でやっている。 これは朝鮮芸術の一つの名残りと言ってよい。

朝鮮人は元来芸術を解せない国民ではないのは勿論、特に手指は精巧な働きを為し得るのであるから、芸術品、美術品を拵え出すことについては、むしろ適当な国民である。 ただ今日は芸術についても美術についてもその思想が枯渇しているから、かくの如き現状にあるに過ぎない。

 小宮は、朝鮮人は手先が器用で裁縫などでは芸術と言っていい、またかつて青磁や螺鈿、漆器、建築の優れた作品を製作していたのであるから、李朝時代に廃れたとしてもこれから再興が容易であろうと展望します。 そして絵画については更に詳しく論じます。

朝鮮の絵画も同様な運命に陥った ‥‥ 絵を描くことは士大夫の潔しとしない所であったから一向に振るわなかった。 もっとも近世に至りては阬堂とか大院君とかいう高貴の人々が画筆を弄したが、これはむしろ例外にて、一般はこれを為すことを恥じた傾向がある。‥‥ 今日若干の画家あれど、内地の有り様に比較せば、ほとんど言うに足らぬ。 絵画もまた他の美術品と同じく単独に発達することは出来ないものであって、一般社会の進歩と運命を同じうするもの故、朝鮮の社会が進んでくるに従って絵の再興することは決して絶望ではない。

李朝に至りて絵画の衰えたことは前述の通りであるが、ひとり肖像画は意外なる発達を遂げている。 李朝の肖像画は西洋の油絵に比しても遜色なき程にて、いわんや支那の肖像画とは比較にならぬ位に優秀であって、狩野や土佐や文晁、応挙、崋山等の肖像画にも比するも上であるから、具眼の士はこれを見て驚嘆するが、その理由は王侯貴人は必ず肖像を用いて祖先の祭をなす習慣があるから、王侯の肖像画は画工が食禄をもらって描いた。 ゆえに極く真摯で丁寧に写生・著色してある。 これは李朝の芸術品として特色をもっている。

   小宮は小論を次のようにまとめています。

要するに今日の朝鮮人は工芸美術に対する趣味・観念が枯渇しているから、にわかに復興を期待するは無理ではあるが、漸次これが再興を待望することは可能であって、また新たなる芸術が興起してくることも今日より想像し希望することができる (以上 朝鮮総督府『朝鮮彙報 大正4年8月1日』17~19頁)

 これを現代にまで敷衍して考えると、植民地時代では芸術・美術を目指す朝鮮人の多くの若者が東京に留学するなどして、その分野の知識や創造力を磨き、力を発揮しました。 解放後は南の韓国では1960年代以降の産業化・高度経済成長によって国か豊かになるのに伴い、芸術・美術はさらに発達しました。

 一方、北朝鮮では首領様を強調するものばかりで、主体思想によって芸術・美術の観念が枯渇してしまった状態と言えるでしょう。 つまり李朝時代に先祖返りしたのが今の北朝鮮と考えればいいですね。 朝鮮総連なんかでは北朝鮮の芸術・美術を称賛する人がいますが、本当に心の底から感心しているのでしょうかねえ。