金時鐘さんは本名をなぜ語らないのか?2019/07/02

 金時鐘さんは在日問題等でかなり鋭い指摘をしてこられた方で、私もこれまで大いに参考にさせてもらってきました。 しかし彼の本名が「金時鐘」なのか「林大造」なのか、彼自身が曖昧にしてきたことに違和感を抱き、彼の主張が色褪せて見えてきました。

 彼は「金時鐘」という名前を親からもらい、その名前で1949年まで朝鮮で生活し、学校に通われました。 そして済州島4・3事件によって官憲から逃れるために日本に密航し、その際に不法に入手した外国人登録証の名義である「林大造」を得て、そのまま日本に現在まで生きてこられました。     2003年に韓国の戸籍に登録(今は家族関係登録簿)した際、親から得た「金時鐘」名ではなく、日本で不法に得た「林大造」名で韓国籍を取得されました。 従って彼の法律上の正式の名前は日本でも韓国でも「林大造」であり、「金時鐘」は仮の名前あるいはペンネームということになります。

 彼ほどの有名人で、しかも在日や朝鮮問題で各界からしょっちゅう意見を乞われるような方が、このことについて何も言及しないことは果たしていかがなものか、と疑問を抱きます。

 毎日新聞によると、彼の業績を称賛するシンポジウムが最近あったようですが、やはりご自分の本名について何も言っていません。  https://mainichi.jp/articles/20190701/dde/014/040/007000c

 韓国の文在寅大統領がG20で来日した際に開いた在日同胞との集いに、金時鐘さんは出席されたそうです。 その時に「金時鐘」という名前だったのか、「林大造」の名前だったのか、大いに気になるところです。

 私が金時鐘さんに期待していたのは、名前なんてどうでもいいことだ、外国人登録や戸籍といった法律なんかに束縛されないぞ、という法治主義に挑戦する言葉でした。 そんな信念もなく、ただ惰性というか行きがかりで得た名前を続けてこられたことに、大きな違和感を抱いています。

【拙稿参照】

毎日の余録に出た金時鐘さん http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/27/8950717

本名は「金時鐘」か「林大造」か http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/23/8948031

金時鐘『朝鮮と日本に生きる』への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/28/7718112

金時鐘さんの法的身分(続)     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/13/7732281

金時鐘さんの法的身分(続々)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/26/7750143

金時鐘さんの法的身分(4)    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/31/7762951

金時鐘さんの出生地        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/05/7700647

金時鐘『「在日」を生きる』への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/01/8796038

済州島4・3事件の赤色テロ(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/10/8890890

済州島4・3事件の赤色テロ(5)―右翼家族へのテロ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/07/05/8909472

済州島4・3事件の赤色テロ(6)―評価は公平に http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/07/10/8912907

経済制裁は有効でない2019/07/05

 昨日から発動した「韓国 輸出規制」について、経済制裁と誤解する人いるようです。 日韓のマスコミなどが徴用工問題等に対する報復だなんて書いていますから、そう考えても無理はないのかも知れません。 韓国はきっと困ってしまって、すぐにでも日本にひれ伏すだろうなんて言う人もいましたねえ。 韓国に対してザマー見ろと溜飲を下げているだけで、韓国の反日とレベルが変わらないと思います。 

   ところで経済制裁であったとしても、今の世界では有効なものではありません。 思い起こせば、冷戦時代はアメリカを始めとして西側諸国は対共産圏に経済制裁を課しましたが、果たして有効だったと言えるかどうか。 キューバや北朝鮮には今も厳しい経済制裁を課していますが、変化はありません。 また中国はTHAAD問題で韓国対して不買運動を展開しましたが、韓国はアメリカを慮って結局は中国の思いのままになりませんでした。 

 世界史を紐解けば、経済制裁によって実際に政策と体制が平和的に覆ったのは、南アフリカぐらいです。 南アフリカのアパルヘイト(人種差別)政策は国際社会からの経済制裁に耐えかねて放棄され、ついには黒人政権が誕生するまでになりました。 これは経済制裁が有効になった極めて珍しい例です。

 今回の「韓国 輸出規制」は、徴用工・慰安婦などの問題とは関係なく、また経済制裁でもなく、軍事に関係することがあり得る物資の輸出について韓国への特別措置を取り消して一般の貿易関係に戻すだけだ、という本来の主張を繰り返すしかありません。 

 しかしおそらく韓国は報復による経済制裁ととらえて、日本は貿易の自由の原則に反していると世界に訴えるでしょう。 世界が日本に味方するか、韓国に味方するか分かりませんが、日本の政府高官や政治家などが徴用工問題などを口にすれば、韓国側に有利となる可能性が高くなると考えます。

 日本では日韓関係は重要な問題ですが、世界では日韓関係なんて悪くなろうがどうなろうが、あまり関心がありません。 日韓関係が悪くなって困るのは米軍ぐらいですから、そこが注目するぐらいでしょう。 世界は日本に味方してくれるはず、なんて思わない方がいいです。

 ちょっとまとまらない文章になりましたね。

【拙稿参照】

韓国では日本の存在感はない    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/02/17/8789342

日韓関係はどうなる?       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/02/25/9040406

李洛淵首相のツイッター発言―天皇は指導者 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/05/01/9066727

韓国が天皇訪韓を望む!?-朝日インタビュー http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/09/23/8681910

慰安婦合意の検証         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/12/31/8758841

韓国の反日外交の定番       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/01/22/7546410

慰安婦問題の日韓合意は混乱を呼ぶか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/01/02/7968787

児童虐待の暴言「橋の下で拾ってきた子」は日韓共通だが‥2019/07/09

 まだ小学校にも行っていない幼い子に対し、親が「お前は橋の下で拾ってきた子だ」と言うのは風習と言っていいのか分かりませんが、よく聞く話です。武内徹『お前はうちの子ではない 橋の下から拾って来た子だ』(星和書店 1999年11月)によれば、昔から最近に至るまで全国的に広く分布し、男性の35%、女性の60%が親から言われた経験があります。 そんなことを言わなかった親も多数いますが、言ってしまった親も多く、内容は共通して「橋の下」が大半だということです。 また男性よりも女性にその経験が多いのですが、その理由がどうも分からないようです。

 言われた子供は大きな衝撃を受けるので、多くの場合忘れることができず、何十年経っても思い出します。 幼児の記憶は断片的であやふやな場合がほとんどですが、親からのこの言葉だけは鮮明に残っているものです。 親たちは何故こんな酷いことを言うのか、いろいろ説明(言い訳)があります。 一つは「躾け」であり、もう一つは「冗談・からかい」です。

 親からこれを言われると、子供は衝撃のあまりシュンとなってしばらくおとなしくなります。 親からしたら、子供をおとなしくさせるための効果的な言葉ですし、子供は親の言うことを聞くものだと教えようとしたかも知れません。 だから「躾けだ!」と言い張ることになります。

 冗談で言ったとしても、幼い子供には冗談というものが理解できませんし、一番に愛してくれているはずの親から発言ですから、衝撃のあまり号泣してしまいます。 それが面白いのか、近くの橋の名前を出して「あそこの橋の下の河原で見つけたんだぞ」と更にからかって追い打ちをかける親もいます。 親にとっては何かのストレス解消なのでしょうか。

 これは言葉の暴力であって、児童虐待と言ってもいいと思うのですが、問題化しませんねえ。 ところでこれは日本だけのことだと思っていたら、韓国でも全く同じ言い方があることを最近知りました。

 「넌, 다리 밑에서 주워온 아이야!」。 訳すと「お前は橋の下で拾ってきた子だ!」ですから、全く同じです。 親や祖父母が言うようで、子供はショックで泣きます。 そして本当の母親を探して家出をしたりしますが、幼子の家出ですから橋や近所を回って結局は家に帰ることになるようです。 このあたりまでは日韓共通と言えます。

 ところで韓国語では「橋」を「다리(タリ)」というのですが、これにはもう一つ「足」という意味もあります。 もう少し詳しく言いますと、「다리」は腰から下の足の意で、足首から先は「발」です。 漢字では「脚」と「足」の違いですね。 従って「다리 밑에서」は、「橋の下で」という意味と「足(脚)の下で」という二つの意味があります。 「股下・股ぐら」の意味にもなりますね。

 だから「다리는 다린데, 엄마 다리 밑에서 주웠단 말이야!」、つまり「タリはタリでも、お母ちゃんのタリ(足・股)の下で拾ったということだ!」と言い換えられて、「だからお母ちゃんの本当の子という意味なんだよ」と、フォローが可能なのです。 だからなのでしょうか、韓国では日本の場合のような衝撃は小さいように感じられます。

 この言い方が日本と韓国にあることは分かりましたが、世界中にあるのかどうか? インドではガンジス川から拾ってきた、或いはアフリカではサハラ砂漠で拾ってきたというのがあるようです。 ただしこれは‘桃太郎’伝説や‘かぐや姫’伝説のように、「子供は授かりもの」という考え方であるかも知れません。 ヨーロッパでの‘コウノトリが運んできた’伝説も同じでしょう。 こうならば「お前はうちの本当の子ではない」と言われても、衝撃は少ないと考えられます。

 やはり「橋の下で拾ってきた」は「橋の下」に薄汚いイメージがあって真実味もあるせいか、衝撃は非常に大きいと言えます。 韓国では上述のように言い換えて衝撃を和らげることが出来ますが、日本ではそれがありません。 そういう意味で、日本独特の残酷な児童虐待の暴言と言えるのではないかと思います。

 この言葉がその後の成長過程でどのような影響を与えるのかは、よく分かっていないようです。 しかし大人になって、うちの親は昔そんな馬鹿な冗談を言っていたと笑って振り返るような人でも、その時に親が喋った一字一句やその表情まで鮮明に記憶しているものなので、トラウマになっているのは確実でしょう。 ただしトラウマの度合いが個々人で違いがあるように思われます。

 なお本稿は日本では「橋の下」という暴言の衝撃が大きく、韓国では衝撃が小さいということだけです。

 ところで「橋の下」ではありませんが、自分の子供に対する暴言は韓国でも負けず劣らず激しいものがあります。 男尊女卑の厳しいお国柄ですから、特に女の子に対する暴言は甚だしいと思えます。 一例を挙げますと ‘너가 배 속에 있었을 때 딸인 줄 알았으면 지웠을텐데’(お前がお腹にいる時に娘だと分かっていたら堕ろしていたのに)というのがあります。 韓国では出生前診断で「女」と判定されると中絶する場合がよくあります。 特に1980~90年代、今でも第三子でかなり多いようです。 ですから親からのこの暴言は実に真実味があります。

特別永住者数の推移2019/07/16

 在日の特別永住者の数が30万人を切ったと言う人がいて、へー!! もうそんなに減っているのかと思って、久しぶりに調べてみました。

 出入国在留管理庁の統計によりますと、2017年末の韓国籍の特別永住者は29万5826人、朝鮮籍の特別永住者は3万243人で、計32万6069人です。 だから30万人を切ったというのは、韓国籍に限っての数字でした。 ついでに、ここ10年間の特別永住者の数を調べました。 

  特別永住者数(韓国・朝鮮籍)の推移

   2008年   416,309

   2009年   405,571 (10,738減)

   2010年   395,234 (10,337減)

   2011年   385,232 (10,002減)

   2012年   377,351 (7,881減)

   2013年   369,249 (8,102減)

   2014年   354,503 (14,746減)

   2015年   344,744 (9,759減)

   2016年   335,163 (9,581減)

   2017年   326,069 (9,094減)

 昨年(2018年)末の数字は、まだ出ていないようです。 見ての通り、特別永住者数は毎年9,000~1万人程が減っています。 この調子では、33年後の2050年には0になります。 特別永住制度ができたのは平成3年(1991年)でしたが、それまでに法務省の坂中英徳さんでしたか、2050年までに在日は消滅するだろうと見通しを立てていました。 その見通しが、ずばり大当たりしているということになります。

 減少の原因ははっきりしています。 帰化により日本国籍取得者が増えていること、および日本人との婚姻が90%で、その子供のほとんどは日本国籍となって特別永住資格を受け継がないことです。

 在日韓国・朝鮮人のなかに、「自分は日本人でも韓国人でもない、在日だ」なんて言う人がいます。 自分のアイデンティティを主観的にどう考えるかは自由ですが、「在日」を客観的に証明するものは特別永住資格しかありません。 その資格者が消滅しつつあるのです。 そのうちに、自分は日本人だが気持ちは在日だ、とか言う人が出てくるのですかねえ。 

【拙稿参照】

特別永住の経過             http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/08/25/1750381

特別永住制度の変更は非現実的      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/01/1762857

在日の法的問題は解決済み        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/08/1781500

米国籍などの特別永住者         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/15/1798285

在日の特別永住制度           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/14/6864389

トルコ国籍の特別永住者?!―毎日新聞 ― http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/10/27/7870629

『現代韓国を学ぶ』(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/06/08/6472916

これまでの在日とその将来について(仮説) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/01/348943

ニューカマーが特別永住者?!―毎日新聞2019/07/21

 7月20日付の毎日新聞に「参院選2019 外国人願う、共生社会実現 日本在住、最多266万人」と題する記事に、ビックリ内容がありました。 https://mainichi.jp/senkyo/articles/20190720/ddm/041/010/130000c?pid=14509

同中(松戸自主夜間中学)事務局長の高永子(コウヨンジャ)さんは、胡さんらの姿に自分を重ねる。高さんは30年前、20代で韓国から来日した。韓国籍のまま日本で子育てもし、仕事にも打ち込んできたが、特別永住者のため選挙権はない。高さんは「選挙の時だけは外国人だと実感させられる」と話す。

 高さんは「30年前、20代で韓国から来日した」とありますから、いわゆるニューカマーです。 その人が「特別永住者」だとされていたので、ビックリ仰天しました。

 特別永住者は平成3年5月10日法律第71号の「特例法」に、「平和条約国籍離脱者およびその子孫」と定められています。 分かりやすくいえば、戦前から日本に在住してきた旧植民地(朝鮮・台湾)出身者とその子孫という意味です。 そういう人に限り「特別永住」という資格を有することができます。

 つまり本来は、戦後来日した韓国人が取得できる資格ではないのです。 しかし毎日のこの記事をどう読んでも、30年前に来日した韓国人のニューカマーが今、特別永住資格で暮らしていることになります。 こういうことがあり得るのか? あり得るとしたらどういう場合か? ちょっとした頭の体操です。

 まず考えられるのが、親が特別永住(当時は協定永住か126-2-6など)の韓国人で、時々家族と一緒に韓国に帰っていた場合です。 「時々」とは、特別永住資格は1年以上(今は5年以上)日本を離れるとその資格が喪失するからで、1年以内に日本と韓国を行き来する必要があります。

 極端に言えば、1年のうちの数日を日本の家で暮らし、他の3百何十日間は韓国で暮らしていれば、一応特別永住資格は維持されます。 こうなると子供ならば、日本人意識よりも韓国人意識を持つかも知れません。 しかし日本での永住資格を有していますから、韓国での住民登録はできません。 こんな人が20代になって日本にやって来て、今度こそ本格的に日本でずっと生活し続けてきた‥‥ これならば、本人はニューカマーの気持ちだが実際は特別永住者ということになります。

 頭の体操で考えていくとこうなるのですが、どうなんでしょう。 やはり毎日の記事にある「30年前、20代で韓国から来日した特別永住者」は、あり得ない話ですねえ。 おそらくは、この記事を書いた記者は特別永住について知識がなく、いい加減な記事を書いてしまったものと推測します。

 ところで世には特別永住については、誤解が多いですねえ。 いつでしたか、特別永住のトルコ人という新聞記事が出てビックリしたことがありました。 また米国や英国などの外国籍の特別永住者がいることについて、それはあり得ないと反論してきた方がいました。 特別永住の無知にこれまたビックリしました。

 少なくとも報道機関は仕事でやっているのですから、正確な知識を身につけてほしいものです。

【拙稿参照】

トルコ国籍の特別永住者?!―毎日新聞 ― http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/10/27/7870629

米国籍などの特別永住者         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/15/1798285

特別永住の経過             http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/08/25/1750381

特別永住制度の変更は非現実的      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/01/1762857

在日の法的問題は解決済み        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/08/1781500

在日の特別永住制度           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/14/6864389

伊藤亜人さん 「法」より「惻隠の情」―毎日新聞2019/07/25

 毎日新聞の7月24日付けの「どうする日韓関係」という記事のなかで、文化人類学の伊藤亜人さんが次のように論じています。 https://mainichi.jp/articles/20190724/ddm/004/070/021000c

確かに日韓基本条約などの「法」はある。しかし、「法は有効だが、社会の現実から離れた形式的な運用がはびこれば、社会そのものが滅びる」。古代中国の聖賢がそう言っている。日本人にも理解できる考えだろう。明治以降の帝国主義の犠牲になってきた朝鮮半島の人たちには、西洋的な「法」だけでは割り切れない感情がある。彼らの中にある「恨(ハン)」とか「非業の気持ち」に対して日本側は「惻隠(そくいん)の情」を示すべきだろう。傲慢にならず、相手をおしはかろうとする姿勢だ。そうでないといつまでも日本は「法匪(ほうひ)(法解釈に固執し実態を顧みない人)」と呼ばれる。お互いにとって不幸な状態が永遠に続く。

 以前にも論じたことがありますが、韓国では「法」というものは人を束縛するものというイメージが強く、みんなが話し合って決めた約束が「法」だという考えが薄いです。 一旦決まった「法」を、その時のその場の人々の「情」によって無視しても構わないという考え方になります。 今回の場合は日韓条約ですが、もうこれでこの問題は終わったと互いに約束して交わした「法」がこの条約です。 しかし伊藤さんは、そんなものに縛られるのではなく、「情」が重要だと主張します。

 伊藤さんは長年、韓国をフィールドに民俗調査を続けられてきました。 おそらく「法」や「ルール」ではなく、韓国人たちのその場その場の「情」にだいぶ助けられたのではないかと想像します。 日本人ではなかなか体験できないものですが、韓国では特に有力者と親しくなると、「情」によって法やルールを無視するようなサービスを受けることがあります。 これがなかなか有効で、研究にしろ事業にしろ、物事がスムーズに動きます。 この体験を繰り返すと、日本のように杓子定規の「法」順守より、韓国のように人間関係を重視する「情」の方がよっぽど人間らしい社会だと考えるようになります。

 伊藤さんもそんな考えになられたのだろうかと、勝手ながら想像してみた次第。

日本でこの感覚が最も薄いのがエリート、つまり政治や経済に携わる人たちではないか。もともと生活感覚が薄い環境で育ち、アジア大陸に関する素養も経験も少ない。戦前を知る過去の政治家の中には深い反省を含めてアジアへの熱い思いを持つ人が多かったが、今のエリート層には隣国への友愛の情が感じられない。

 「エリート、つまり政治や経済に携わる人たち」は法やルールを率先して守らなければならない人たちだと思うのですが、伊藤さんによれば「隣国への友愛の情」がないそうです。 さらに彼らは「もともと生活感覚が薄い環境で育ち、アジア大陸に関する素養も経験も少ない」のだそうです。 政治や経済で外国と関係を持とうとするなら、「情」に溺れずにドライあるいはクールに行かねばならないと思うのですが‥。 「エリート」に対してちょっと偏見が過ぎるのではないかと思います。

 政治家の中には韓国を訪問して、「日韓友好」の集いに参加し夜の宴会に酔いつぶれるくらいに飲むような人がいました。 昔の社会党・民主党議員にいましたねえ。 翌日に署名した共同宣言に「独島(竹島)は韓国領土」と書かれてあったのですが、前日のパーティで飲みすぎて二日酔いだったそうです。 こういう人が伊藤さんの言う「深い反省を含めてアジアへの熱い思いを持つ人」なんでしょうかねえ。

【拙稿参照】

元徴用工判決「日本は法的な問題とみなしてはならない」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/12/06/9007579

法に対する思想が根本的に違う日本と韓国 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/09/11/6570566

法より情を優先する韓国社会       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/09/16/6575093

韓国の古代的法規範意識         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/10/27/1873691

韓国の法意識              http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/11/10/1900716

韓国の法意識(続)           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/11/17/2393593

朴槿恵の謝罪―親の罪は子の罪か?    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/09/25/6584335

法を軽視する韓国の民族性        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/09/01/6967936

法を守るという価値観          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/05/11/1501343

法治国家かどうか疑問の韓国       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/19/7496467

法治主義と儒教             http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/23/7500552

英雄を救うために法を変えよ―韓国    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/03/25/7597162

朴槿恵の謝罪―親の罪は子の罪か?    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/09/25/6584335

韓国の非常識判決ー対馬の盗難仏像 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/02/27/6732313

非常識がさらに非常識を呼ぶ―対馬仏像盗難事件 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/03/12/6744868

「賄賂は腐敗ではない」民本主義と法治主義―趙景達 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/02/28/7233914

「賄賂は腐敗ではない」民本主義と法治主義(続)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/02/7235833

若者世代の大きな変化2019/07/30

少年犯罪統計

 インターネット記事を見ていたら、少年犯罪が2003年以後に急速に減っているという統計がありました↑。 その減り方があまりに劇的です。 10万人当たりの検挙少年が2003年に16人、2017年に4人と、15年ほどの間に四分の一に減っているのです。 少年というのは学年で言えば小学校高学年くらいから高校卒業時くらいまでですから、この世代は今10代後半~30代前半の若者世代ということになります。 犯罪が減っていることは非常に喜ばしいのですが、何故そのような現象が起きているのか、その理由がなかなか分からないようです。

 ところでこの世代のもう一つの特徴は、安倍政権への支持率が他世代よりはるかに高いことです。朝日新聞の『論座』がこれを取り上げていました。

https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019071600014.html?page=1

リベラルな若者が政権を支持するネジレの謎を追う   イデオロギーを凌駕する「権威ファースト」の出現

若者の安倍政権支持率はあらゆる世代の中で最も高い――。

もはや常識と化したこの傾向に対して、「なぜ、若者は政権を支持するのか」という視点の分析記事がたくさん出ています。     私は、そのような記事を見つけ次第、なるべく目を通してきました。確かにどの記事も一部の若者の声を代弁していますが、その一方で、何かまだ一つ、決定的なピースが欠けているように感じるのです。

若者の権威主義化の問題を指摘しています。儒教的な上下関係の概念が根強く残り、人権、個人の尊厳等に対して理解の乏しい日本でその特徴がより強く出るのも頷けます。 ‥‥つまり、「自分の政治的価値観ファースト」ではなく、「権威ファースト」です。これが、リベラルな価値観の強いはずの人までもが安倍政権を支持するという「ネジレ現象」が生まれるクリティカルな要因のように思うのです。

 記事は若者世代が安倍政権を支持するのが理解できず、何とか理由を求めようとしています。 それが「権威ファースト」だそうです。 これによれば若者世代には権威に阿るような「権威ファースト」が生まれているとありますが、果たしてそうなのでしょうか? また若者世代の権威ファーストが「儒教的な上下関係の概念が根強く残っている」ことに源を求めるのは、いかがなものなのでしょうか?

 若者に「儒教的な上下関係の概念」が残っているのなら、漢文授業で孔子をいっぱい学んだ高齢者にはもっと強く残っているはずです。 しかし記事では高齢者世代よりも若者世代に「儒教の概念」が強く残っているとしており、とても信じられるものではありません。 学校の運動クラブや職場などでは監督や上司・先輩に絶対服従するような「権威ファースト」がありますが、これは若者世代も高齢者世代も変わりないでしょう。 「権威ファースト」を世代論的に論じるは間違いだと言えます。

 「権威ファースト」が若者の特徴だと言うのは根拠となるデータがないもので、単にそんな風に見えるという印象論です。 これは老人が「近頃の若い奴は、なっとらん」と繰り言を言っているのと変わりありません。 客観的事実は、この若者世代の現政権支持率が他の世代よりもはるかに高いということだけです。

 ところで更に、若者世代はいわゆる「ゆとり世代」と重なります。 狭義の「ゆとり世代」は2002年以降に実施された学習指導要領に基づく教育を受けた世代です。 小学校から高校までの12年間のうち、この‘ゆとり教育’を受けた「ゆとり世代」は、今は20代~30代前半ですから、まさにこれまで論じてきた若者世代です。 「ゆとり教育」は、実施期間は短かったですが、意外と大きな影響を与えていると言えるかも知れません。

 世間には若者世代の特徴を表現するものがありますが、たいていが客観的ではありません。 自分の体験やニュースを見ての感想程度の主観的なものが多いようで、参考になりません。 例えば上述の「権威ファースト」論なんかは、その典型例です。

 客観的データに基づくと、この世代の特徴は、①少年犯罪が少ない、②現政権支持率が高い、③ゆとり世代である‥‥ということは言えそうです。 他にもデータに基づいた特徴を探せば色々出てくると思われます。 しかしこれらにどんな相関関係があるのか? これをうまく説明してくれる論者がいませんねえ。

 これから10年・20年経つと、この世代が各界の指導者となって社会の中枢を担います。 その時に日本は、今の日本とは相当に違った社会様相を示すことになるではないでしょうか。