在日韓国・朝鮮人の精神医療(2) ― 2026/07/26

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/07/20/9866477 の続きです。

 著者は西欧のマイノリティ精神症状を取り上げ、在日の精神症例を論じます。

西欧社会では皮膚の色が黒いほど差別されるという。 差別体験は被害妄想準備状態を生み、精神症状への発展を容易にするという。 皮膚の色は関係しないが、「差別体験と妄想」の関連は後述の(在日韓国・朝鮮人の)症例でも一つのテーマとなっている。 (38頁)

 この本では在日の症例を多数挙げていますが、ここではそのうちの二つを紹介します。 なお全文ではなく、抜粋です。 

【症例B, 妄想型統合失調症 F20.2】 男、1925年生、国籍:朝鮮、在日一世

同胞4人の長子、1940年、中学生の時「朝鮮人の一人として民族心に目覚め」、当時の反日学生運動に共鳴するようになった。 学生運動グループのシンパとなり、三・一独立運動の本を読んでいるところを学校当局に発覚し放校処分となった。 当時の教育は全て日本語で行なわれ、皇民化政策のため「皇国臣民の誓詞」を毎日唱えさせられた。 Bは現在でも「誓詞」を全部暗記している。 (51頁)

退学後一年間、思想改造のため感化院送りとなった。 1942年(17歳)、親の援助で勉学を目的に従兄と二人で来日した。 東京に居住し、私立中学を卒業した。 戦後は、鉄工場、金融関係、遊技場などの仕事を転々とした。 朝鮮戦争後、朝鮮国籍を選び、日本名を捨てて本名を名乗るようになった。 (52頁)

Bの発病の時期は正確には分からない。 家族は朝鮮戦争後、共和国に住んでいることは確からしいが、全くの音信不通。 現在は面会に来る在日同胞もいない。 本人も過去のことは詳しくは語りたがらない。 カルテによると、1960年(35歳)、心気妄想、幻聴などがあり、国電の陸橋から飛び込み自殺を図ったとされ、約1年間T病院に措置入院となった。 (52頁)

その後、どのような生活をしていたかはっきりしないが、1964年「浮浪者のような姿で徘徊。長髭。貯垢、悪臭、破衣。 車の中のトランクを窃盗した」とされ、10日間の勾留後、S病院に措置入院となった。 この件に関してBは「失業して汚い格好でぶらぶらしていたら、いきなり職務質問を受け、多少拒絶したら連行された。 窃盗は警察の捏造だ」と述べている。 本人の異常体験はこのころから始まったと考えられる。 (53頁)

S病院入院後、肺結核が見つかり、しばらく結核病棟で治療を受けている。 この間の精神症状については不明。 1973年(入院9年目、47歳)、S病院が医科大学となり、生活保護患者の治療を打ち切ったため、T病院へ市長同意で転院となった。‥‥ 幻聴に左右されたと思われる行動の記載(カルテ)が少しある以外はおおむね落ち着いていて、作業などにもよく出席する目立たぬ患者であったらしい。 (53頁)

しかし1977年(52歳)頃から、「警察に監視されている」という異常体験の記載が散見される。 1980年(S病院入院後16年目、54歳)、病室内で工作中に、ハサミで他の患者の頸部、腕などを突いて、全治2週間の傷を負わせるという事件が起きた。 この行動は以前からあった異常体験に基づくものである。 この体験は現在に至るまで一貫して変わらない。 (53頁)

「もう20年も前からポリスマンに監視されている。 二人ずつ二組に分かれて、自分の一挙手一投足を監視している。 お互いに無線で連絡を取り合っているのが聞こえる。 ポリスマンが自分がしていないことを捏造したのが始まりです。 『三歳の女の子に性的な悪戯をした』とやっていないことをでっちあげた。 それ以来、一秒たりとも休むことなく監禁・監視が続いている。 政治犯を犯罪人に仕立て上げる常套手段で、精神病院にぶち込んだ。 いろいろな手段を使って私を拷問にかけて自白させようとしている。 医師や職員も、警察の言いなりになっている。 幻覚剤を入れて頭を朦朧とさせたり、点滴に変な物を入れて苦しませて自白させようとしたりする。 患者を使って悪口を言わせるのもしょっちゅうです。 あの時も、ポリスマンが患者を使って自分を白痴呼ばわりをさせた。‥結局あれこれやって、最後に私を自白させ、北朝鮮のスパイにするつもりです」というような内容である。 (53・54頁)

この事件以来、ずっと保護室に隔離されることになる。 その上、このような危険な患者は民間病院では見られない旨の申し入れが東京都衛生局になされ、都立M病院に転院になった(1980年、S病院以来16年、55歳)。 M病院では保護棟(重症患者対応病棟)に隔離され‥‥この時点で、著者が主治医となった。 初対面では、Bは礼節をわきまえたおとなしい人で、融通性もよく、表情も自然で、外見からは特段の印象を受けることはなかった。 しかし前記の異常体験は確固として持続していた。 Bは非常に知的な人で、病棟では静かに思想関係の本などに読み耽っている。 (54・55頁)

Bの行動として注目を引くことは、自分にとって不利な状況は全てポリスマンに関係付けて解釈されることである。 ものが紛失したりすると「ポリスマンが職員や患者を使って盗ませた」という。‥‥ 総じて妄想の話さえしなければ、精神病者には見えない「手のかからない患者」であった。 「社会主義の共和国に帰りたい。 しかしポリスマンが邪魔するから帰れない」とよく口にする。 そこには強い日本人への不信感があり、「先生もいつかは買収されますよ」などという。 (55頁)

その後、結核病棟で躁病患者が露骨な民族差別的な侮辱をしたため、病状が悪化してきた。 「昨夜、中曽根総理と厚生大臣と院長と警察が自分の肛門の写真を撮る話をしていた。 肛門の写真を撮っておいて、肛門から毒物を入れて自白させようと計画している」「私を試験台にして、先生が学位をとった。 今度は○○先生がロボトミーで脳の機能を調べる。 『お前の脳は特別だから切る』といっている。 自分には面会人もなく、身内もなく、その上朝鮮人だから何でもいいようにされてしまう」などという、今までよりも切迫した妄想が出現してきた。 ‥‥ 1年余り、外出も自由で比較的落ち着いた生活をしていた。‥‥しかし、1983年春、看護者の些細なやり取りの後、病棟を抜け出し、駅のホームから侵入する電車に身を投げ自殺した。 (55・56頁)

【症例についての説明と考察】

民族性の問題が病者に与える影響は一般に見えにくいものである。 ‥‥ Bの妄想世界が開示する民族性の問題は著者にとって重大かつ深刻に映り、むしろこの病の根幹を成すほどに思われる。 Bは死に至るまで、朝鮮人としてのアイデンティティに揺らぎを感じたことはない。 Bに思想的影響を与えた三・一運動は歴史的に見て朝鮮人の日本人観を決定的にした事件であった。‥‥日本帝国主義に対する怨念は、Bの妄想形成の下地になっている。 体験の中に取り込まれた「ポリスマン」は言うまでもなく国家権力の体現者であり、民族心を失うまいと努力する彼の前に、日本の朝鮮統治を凝縮したような象徴的な幻覚妄想が出現したのである。 この場合、その異常体験が強固で持続的なことは強調されていい。 (56・57頁)

次に、日本の精神医療がBにとってどのような意味を有していたのかについて考えてみよう。 Bの言葉にある「面会者がいない。身内がいない。朝鮮人だから」という理由に加えて、「妄想が取れない」「生活保護受給者」などという理由が、治療者に社会復帰の努力を放棄させ、入院を長期化させたことは確かである。 この長期収容=拘禁がBの妄想をより強固に、より体系化されることに寄与した。 このような医療で肥大化した精神病院が医科大学へと発展し、生活保護受給者を切り捨て、やがて患者は病院のたらい回しにされることになる。 (57頁)

Bの転院のきっかけとなった「ハサミで他の患者を刺した」という表現は強烈であるが、全治2週間ということからそれほど深刻なものではなかったと思われる。 しかし、この「事件」が危険性の予測を増大させ、「問題患者」として公立病院に転院になった。 在院8年目にして一度あった「暴力行為」を取り上げて治療を放棄し、「厄介な患者は税金で運営されている公立病院へ」という民間病院の姿勢が、公立病院を精神科の「高度専門医療機関」としてではなく、治安を優先させた「特殊病院」へ追いやり、やがて「心神喪失者医療観察法」を生み出したことは記憶に新しい。 ‥‥多少とも真剣に関わった者であれば、Bが危険な患者ではなく治療的信頼関係を築くことこそ優先されるべきであると気づくはずである。 Bの罹患したB型肝炎、肺結核なども彼の生活史を含め、この精神疾患と表裏一体をなすものと考えられる。 (61・62頁)

 

【症例J, 妄想型統合失調症F20.2】 男、在日一世、韓国、1925年生

1939年(14歳)、勉学を目的に兄と来日した。 O市内の中学に編入し、成績もよかったため、私立大学の法学部を卒業した。 卒後は、日本の会社に就職できず、同胞の経営する金融会社に就職した。 名前は仕事の関係で日本名、本名を使い分けていた。 仕事は比較的順調に行なっていた。 1955年(30歳)、所用で東京に行った際に不自然な行動が見られ、警察を経由して精神科に強制入院となった。 その時の体験は以下のようなものである。 (100頁)

「O市で汽車に乗った頃から、近くの座席で不自然な動きをする複数の男性の動きが少し気になっていた。 どこかで顔を見たような気もして、O市で以前に接したことのある暴力団関係の人のように感じた。 東京についてからも自分の後をついてくるように感じた。そのうち『自分を尾行しているような感じがした。 朝鮮人はずるい、警察に突き出さずにばらしてやる』と聞こえてきた。 そういえば、車中で読んだA新聞にも、公金横領のことが出ていたし、NHKでも放送していた。 何かつながっているように感じた。 恐怖に駆られて交番に飛び込んだが、名前を言うと、『在日登録証を出せ』といわれ、はじめから犯罪人扱いされた。 警察に一泊させられ、翌日入院させられた」 (100頁)

その後退院して職場に復帰した。 数年は順調であったが、1963年(38歳)、東京に出た時、また不安がつよくなった。 NHK、A新聞、警察ぐるみで自分の行動を監視しているように思え、急いで帰りの汽車に乗ったが、途中下車して警察に飛び込んだところ、以前と同様の対応をされ、翌日S病院に措置入院となった。 家族は皆帰国し、O市の知人も今回は引き取りを拒否したため帰るところが無くなり、措置入院解除後も生活保護となり、長期入院となった。 筆者がJの主治医になったのは1990年代のことであり、入院も20数年に及び、病状も安定していた。 (101頁)

表情、会話などからは全く病気という印象は受けない。 インテリで哲学、宗教、朝鮮文化などの本をよく読み、他の患者からも尊敬されている。‥‥ しかし半年に一回くらい、激しい表情で訴えてくることがある。 新聞記事などへの自己関係付けから、幻聴、被害関係妄想(「朝鮮人」「犯罪者」という内容の幻聴。 NHK、A新聞が自分のことを流しているという妄想)が一時的に強くなることがある。 (101頁)

【症例の種類と考察】

戦前、留学を目的に来日し大学まで卒業したが、学歴を生かしきれず、同胞の営む会社に就職した男性に、ある日突然、幻覚妄想が出現した症例である。 統合失調症の中核的症状や人格の崩れを全く伴わない定型的な妄想型統合失調症である。 妄想の内容は、既にいくつかの症例で見られたような、日本国家による迫害というテーマである。 生活歴を聞くと、仕事の上でも日常的に民族差別・蔑視にさらされていたことが分かる。 (101・102頁)

 

 以上、多数の症例のうち二例だけを選び、内容の一部を抜粋して引用・紹介しました。 私は1970~80年代のことですが、何人もの在日活動家から〝朝鮮侵略、強制連行、民族差別”など、何かにつけて〝日本が全て悪い”と訴えるのを聞いてきました。 時には〝われわれ在日はいつ殺されるか分からない中を生きている”とまで言う人がいましたねえ。 私が〝在日一世たちから話を聞いても強制連行の歴史はあり得ない”〝通名(日本名)を押し付けられているというが在日自らがごく自然に通名を名乗っているではないか”なんて言うと、凄まじい批判を浴びたものでした。 素人判断で申し訳ありませんが、彼ら活動家は被害者意識に凝り固まって、〝精神医療の対象にならない程度の軽い「妄想型統合失調症」を患っていたではないか”と今になって思い出されます。

 それとは反対に、20年ほど前から「朝鮮人は死ね、殺せ、ゴキブリ」などと叫んでいた在特会や嫌韓を主張するネトウヨなどの一部日本人らも同じように、〝精神医療の対象にならない程度の軽い「妄想型統合失調症」を患っていた”ように思われてなりません。      (終わり)