差別がまかり通る ― 2008/05/03
1980年代、解放運動が部落差別は全国津々浦々にあるとして、差別を掘り起こす活動をしていました。その時、「東京でも部落差別がまかり通っている」というような主張をしていました。
しかし東京に住んでいる人は、ほとんどすべてが「部落」「同和」を見たこともなく、「差別がまかり通っている」と言われても、一体どこの世界?というような反応でした。
それ以来「差別がまかり通っている」という主張は、どこの地域であれ、またどんな種類の差別であれ、何らかの意図があって「差別」を言いつのるものでないかと考えています。
在日のことでも、「朝鮮人差別がまかり通っている」という主張は民族差別と闘う運動団体が主張していました。その代表の一人であったYさん(大阪出身の在日)を思い出します。彼は今はお亡くなりになりましたが、著作や翻訳がいくつかあります。
彼の奥さんも北海道出身の在日で、Yさんとは大学時代に知り合い、大阪に住んでおられました。 その奥さんは、「大阪では差別がまかり通っている。だから闘うんだ」という活動家のご主人の意見に当惑していました。奥さん曰く
「大阪って怖いところでしょう。朝鮮人だからといって差別する人がいっぱいいるんでしょう。北海道ではそんなことする人は誰もいませんでしたよ。子供が出来るというのに、不安でたまらない。主人には一緒に北海道に帰りましょう、と言っているのですが‥。」
しかし実際に大阪に住んでみると、差別する人はおらず、「ぜんぜん違うじゃない。」とおっしゃって、そのまま住み続けておられました。
結局、「差別がまかり通っている」という主張は、差別問題に取り組む団体が、自らの存在をアピールするための極端な表現、あるいは虚偽であったと考えています。
朴容福さん ― 2008/05/09
「第75題 出生届を出さない親」で、朴容福さんという活動家の主張と行動を評しました。 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuugodai
彼のその後について、統一日報が2008年1月1日付けで記事にしています。
「娘は戸籍ないまま育った 朴容福さん(自営業・55歳) ◆親の口惜しさ知って
「昔は、帰化問題が深刻な悩みだった。1世の親を裏切るか裏切らないかという切実な問題意識があった。親とどう向き合うか。帰化は2世の悩み、苦しみでもあった。帰化は今、選択の問題になっている」 東京・三鷹に住む市民運動家、朴容福さん(55)=自営業=は語る。日本人女性と結婚し、娘が生まれた。娘の朴姓を守るため戸籍法や行政と闘ってきた。 ○ ○ 朴容福さんは言う。 「85年の国籍法改正が決定的な意味を持った」 娘の日本姓を拒否した朴さんは、国際結婚で生まれた子どもに父親である自分の姓を名乗らせるよう求める。父親姓の子どもの出生届は受理してもらえなかった。子どもはあくまで母親の戸籍に入るから、というのが役所の言い分だった。子どもの姓を決める親の権利が侵害されていた。「家族の尊厳の問題だった」。子どもの国籍と姓は守ったが、子どもは戸籍のないまま育った。 今、朴さんは、国籍は子どもの選択に任せている。本名だけは名乗るようにと伝えている。 「私は変えない」 朴さんにとって国籍とは、日本とどう向き合うかの問題。日本国家のあり方を問う問題に等しい。日本に対しては批判的にならざるを得ない。 「在日は100年の歴史がある。日本で生活を続けてきた重さや価値がある。在日の未来を見つめ続ける」。朴さんの信念だ。」 http://www.onekoreanews.net/past/2008/200801/news-tokusyu05_080101.cfm
この記事には、いろんな疑問が湧いてきます。
・まず朴さんの結婚した相手を「日本人女性」としていますが、彼自身の主張(1999年)では「日本国籍の在日」となっています。「日本国籍の在日」から「日本人女性」への変身は興味深いものです。あるいは別人なのでしょうか。
・「子どもの国籍と姓は守ったが、子どもは戸籍のないまま育った」 とありますが、韓国の戸籍に入らないと、韓国国籍は証明されません。これは日本でも同じです。もし韓国でも日本でもどちらの戸籍もないということでしたら法的には無国籍状態ですので、国籍を守ったことにはならないでしょう。どうも理解できません。 連れ合いの方はかつて韓国籍であったようですから、日本国籍を離脱して韓国国籍を回復することができます。そうすれば子供さん含めてすべての家族が韓国の戸籍に登載され、韓国国籍や姓を守ることができたのですが‥。
・「朴さんは、国籍は子どもの選択に任せている。」 戸籍がないのにどうやって国籍の選択ができるのでしょうか。韓国の戸籍はあるが、日本の戸籍はないということなのでしょうか。
・「朴さんにとって国籍とは、日本とどう向き合うかの問題。日本国家のあり方を問う問題に等しい。日本に対しては批判的にならざるを得ない。」 とありますが、彼にとって国籍は、日本よりも祖国である韓国あるいは北朝鮮とどう向き合うのかの方がより重要な問題であるべきでしょう。祖国を抜きにする志向、これも理解できるものではありません。
朴容福さんの主張と行動については、「親の執念、子の迷惑」「日本に対し闘いたいだけ」と評しましたが、この感想は今も変わりません。
活動家の転落 ― 2008/05/17
藤田敬一さんのHPに、解放運動活動家が無残としか言いようのない転落した姿を報告しています。 http://www.h7.dion.ne.jp/~k-fujita/top/top_bak_old.html (2007年12月29日付け)
「12月に入り、ある人物をめぐるいやなウワサがとどきましてね。「人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦(いたわ)る事が何んであるかをよく知つてゐる」はずの、あるいは「よく知つてゐる」と豪語してきた彼が、「人間を冒涜(ぼうとく)してはならぬ」という先人の戒めを破り、人間的堕落の坂道を転げ落ちているというのです。急いで友人二人に電話したところ、事実はウワサをはるかにこえていました。「約束は守る。借りたら返す。買うたら払う」は、市民生活の常識です。それを長年にわたって破ってきたとは。情けなさに身もだえする年の暮れ。」
かなり抽象的な記述ですが、私の体験上、確度の高い事実であろうと思います。 ここ数年の間に解放運動活動家の様々な不祥事・犯罪が明るみに出ましたが、決してごく一部と見てはならないものです。 「同和教育」「同和研修」を繰り返し受けさせられた我々がこのような人物に出会ったとき、「差別された可哀そうな人だから」「糾弾されると怖いから」と我慢せねばならない時代が続いてきましたし、今もその傾向があります。
韓国人でもなく日本人でもない ― 2008/05/24
拙論第37題で、『民族の世界地図』(文春新書 21世紀研究会編 平成12年5月)におけるソフトバンクの孫正義についての記述に誤りを指摘した。
>「ソフトバンクの孫正義のように、韓国人でもなく日本人でもない、国際人として世界を股にかけて活躍する人が出現しはじめている」(38頁) 孫正義はかつて韓国籍であったが、現在は帰化して日本国籍となっている。彼は日本人として世界を股にかけて活躍しているのである。従って「日本人でもない」は誤りである。> http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuunanadai
ところで、執筆者はなぜこのようなことを書いたのだろうかと疑問を感じていたのだが、そのネタ元が判明した。それは朴一の『<在日>という生き方』(講談社選書メチエ 1999年11月)のなか210~211頁である。
>第七章 日本というシステムと闘う―孫正義の挑戦」 「1、日本人でもなく韓国人でもない」>
という節の見出しが立てられているのである。 ところがこの見出しは、その中身を読めば、孫の次の言葉からとられたものであることが分かる。
>アメリカに行けば日本人でも韓国人でもないわけで、アジア人はみんなAsian>
つまり「韓国人でもなく日本人でもない」は、アメリカの状況説明であって、孫の生き方を説明したものではないのである。 孫が「韓国人でもなく日本人でもなく」活躍したという言説は、やはり誤りと言わざるを得ない。
韓国ドラマに出てくる「白丁」 ― 2008/05/31
「白丁」は、日本では封建時代の最下層身分であった「穢多」「非人」に相当する言葉で、いわゆる差別用語と言ってよいものです。 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuunanadai
日本ではこういった言葉が出てくると大騒ぎになりますが、韓国では日常的に使われる言葉で、テレビにも出てきます。
最近の韓国ドラマ『テルン選手村』にも「白丁」という言葉が出てきます。それはオリンピックを目指すスポーツ選手のドラマですが、そのなかで金メダルは「聖骨」(新羅の身分制度である骨品制の最上位)、銀・銅メダルは「真骨」(骨品制で二番目)‥‥そしてオリンピックに出場すらできない二軍連中は「白丁」と説明されていました。
日本語字幕ではさすがにそのまま書けずに「農民」となっていましたが、音声でははっきりと「ペッチョン」(白丁の朝鮮語読み)でした。
文芸評論家の川村湊さんは、差別用語が日常的に使われる韓国社会を「韓国では差別がゆるい」と評価しています。http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/04/28/344906 しかし差別用語が平気で堂々と使われる社会を「差別がゆるい」と評するのは、やはりいかがなものか、と思います。