関東大震災―自警団を擁護した政治家の発言2023/09/15

 関東大震災の際に起きた朝鮮人虐殺事件について、マスコミのほとんどが被害者側に寄り添った記事ばかりを出していて、加害者側である自警団の言い分を出していません。 過去の歴史を見る時、一方の立場だけを知るのではなく、対立する立場の見方も知って検討するのが筋だと私は考えています。 そこで拙コラムでは、自警団側から出た「詰問状」なる文書を紹介しました。  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/09/05/9615245

 これは当事者から出た文書ですが、それ以外に自警団側に立った政治家が、国会質問という形で自警団を擁護する発言していたので、これも紹介します。 政治家は憲政会・立憲民政党所属の永井柳太郎で、大日本育英会(後の日本育英会、現在の日本学生支援機構)の創立者として有名です。 彼は大震災の三ヶ月半後の12月15日に、国会で質疑演説をしています。 引用に当たっては、分かりやすくするために一部書き改めています。

政府はこれらの朝鮮人を保護し、指導し、教化することにおいて全力を尽くさねばならないのでありまして、平常の時におけるよりも、ことにそのことが大切なのであります。 しかるにこの度の大震災に際しまして、政府が朝鮮人を保護し指導すべき処置を過まったがために、遺憾なる事件を出来(しゅったい)したのであります。

最近政府のなすところを見ますと、しきりに各地におきまして自警団を検挙して、その検挙せられたる者がすでに数千名に達している。 起訴せられたる者、また数百名の多きを算しまして、鮮人事件の全責任は、ただただ自警団にのみ存するがごとき感があることは、私のすこぶる怪訝に耐えないところであります。

私はかの震災当時において、人心が不安に耐えなかった時において、鮮人襲来の報道に接して、ただでさえ不安に耐えなかった人心がますます不安に満たされました場合に、各地に自警団が組織せられて、それらの自警団の人々が身を挺して公安維持の大任に就きたることに対しては、衷心より感謝すべきであるのみならず、我々日本国民は、一旦緩急あるに際しては、各々出て国難に当たる精神を失わざることを見ざるを得なかったのであります。

故にその自警団に属して、公安維持の大任に就きたる者のなかで、特に功労ありし者は、その功労に対して政府が適度に表彰をして、それによってますます義勇奉公の精神を鼓舞し、社会奉仕の思想を激励するこそ当然と思うのでおりましたのに、そのこと、いまだ行われずに先立って、かえって自警団検挙のことが起こって、鮮人事件の全責任は挙げて自警団に存するがごとき感があることは、国民思想の向上発展のために、私はこれを悲しまざるを得ないのであります。

 自警団に「事件」の全責任を被せるな、自警団は「公安維持の大任に就いた」のであってその功績を認めよ、という主張です。

 次に、国家最高機関からの指示命令があったからこそ自警団は組織され「事件」が起こったのであるから、その責任を糾弾すると言います。

その時の内務省が各地の地方官にあてて発しましたところの電報(9月3日早朝発信)をここに写して持ってきております。 ‥‥「東京付近の震災を利用して、在留鮮人放火、投弾、その他の不逞手段に出んとする者あり」 「鮮人は不逞の行動を敢えてせんとす。現に東京市内においては、放火をなし、爆弾を投擲せんとしてしきりに活動しつつある」 「東京地方震災を利用して、鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんと既に東京市内において爆弾を所持し、石油を注ぎ放火せる者あり。‥‥鮮人の行動に関し、厳密なる取り締まりを加えられたし」

こういうような電報がその当時の内務省の最高官から発せられましたので、その命令に接したところの各地の地方長官はまたその命令を管下の郡役所に伝え、管下の郡役所はまたこれを管下の町村に伝達することに努めました結果、かの自警団の組織を見るに至ったのでありまして、自警団の組織は明らかに国家の急に応じ、公共の安寧を保持せんとする赤心に出でたるものであることは、一点の疑いもないのであります。

自警団に属する人々の活動は、ひとえに平素より信頼する官憲の報道を信じ、官憲の命令を奉じたるの結果に過ぎないのでありますから、もし自警団に罪ありとすれば、国法に照らしてこれを処断することは私、もとより拒むものではないが、その自警団をしてその罪を犯さしめたる、当時の官憲そのものの責任、またこれを糾弾せざるを得ないと言うほかない。

もし、当時この報道を出した者が何らの責任なく、この報道が事実であったとしてもこれを許すならば、その命を奉じて公安維持の大任に当たった自警団の人々もまたこれを許し、特に罪状ある者もまたこれを酌量するのが当然ではないかと思うのであります。 (以上 『現代史資料6 関東大震災と朝鮮人』みすず書房 1963年10月 478~480頁)

 その主張をまとめますと、政府最高機関から各地へ朝鮮人が「放火、爆弾投擲その他の不逞行動」をしているというデマ情報を流した、だから自警団を結成して「公安維持の大任」を果たすべく立ち上がった、この自警団の行動は「国家の急に応じ、公共の安寧を保持せんとする赤心に出たるもの」であり、悪意はなかった、ということです。

 そうであるのに政府機関の責任を問わず、すべての責任を自警団だけに負わせるのは間違いだ、自警団を許しあるいは酌量すべきだ、と訴えています。

 簡単に言うと、虐殺事件のきっかけを作って煽り立てた国家にこそ責任がある、だから実行者である自警団への処罰を軽くせよ、ということですね。 100年経った今、虐殺事件の国家責任を叫ぶ人たちがいますが、これと重なって見えます。

今回は自警団側を擁護した当時の政治家の発言を紹介しました。 朝鮮人虐殺事件を考える際の材料としていただければ幸いです。

【拙稿参照】

関東大震災―自警団は警察も襲撃した http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/09/10/9616540

朝鮮人虐殺事件―自警団の言い分  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/09/05/9615245

関東大震災朝鮮人虐殺事件の犠牲者数の検証(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/08/31/9613843

関東大震災朝鮮人虐殺事件の犠牲者数の検証(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/08/26/9612591

関東大震災―朝鮮人虐殺 寄居事件 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/08/21/9611387

水野・文『在日朝鮮人』(19)―関東大震災・吉野作造 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/04/8169265

水野・文『在日朝鮮人』(13)―関東大震災への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/19/8134282

関東大震災時の「在日朝鮮人虐殺者」の数 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/06/09/398058

関東大震災の朝鮮人虐殺  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/08/26/8163009

関東大震災の日本人虐殺  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/15/8189607

関東大震災「朝鮮人虐殺事件」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/09/01/8663629

「十五円五十銭」の練習―こんな在日がいるとは!? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/02/15/9347314

コメント

_ 竹並 ― 2023/09/17 00:07

>【辻本さま:…  政治家は憲政会・立憲民政党所属の永井柳太郎で、大日本育英会(後の日本育英会、現在の日本学生支援機構)の創立者として有名です。 彼は大震災の三ヶ月半後の(1923年)12月15日に、国会で質疑演説をしています。(引用文献:『現代史資料6 関東大震災と朝鮮人』みすず書房 1963年10月 478~480頁)】


上記の資料は、われらがミズポン(福島瑞穂-議員)も、これを使って国会質問してますね。
>[流言認める公文書を政府保管 ~関東大震災直後の朝鮮人虐殺巡り 福島党首が参院法務委で追及し明らかに] 社会新報 2023.06.22
     ・・・・・
警察が流言を広めたことを示す史料として最も代表的で明確なものだ。

(19)23年12月16日の帝国議会で「永井 柳太郎」衆院議員は、同電信文を読み上げ「政府自ら出した所のこの流言飛語に対して政府は責任を感じないのか」と追及したが、当時の山本権兵衛首相は「目下取り調べ中」と見解を示さなかった。
https://sdp.or.jp/sdp-paper/kantod/


で、この電信文(無線)と松野-官房長官の記者会見(R5.8.30.)での発言については、大石英司ブログに興味深いやり取りがありましたので、開陳ご容赦。
     ----- ↓ -----

>>(松野官房長官 :) また お尋ねの内務省警報局長から各地方長官宛に発出された、取締りに関する電信文と承知をしておりますけれども、従前からこれも国会質問や質問主意書に対してお答えしてきているとおり、その内容について政府内に事実関係を確認することのできる記録が見当たらないものと承知をしております

 警保局長が出した連絡文書なんか、訓令でも通達でもないのだから、事実関係を確認することのできる記録が見当たらないのも当然。

投稿: お盆が来た仮面 | 2023.08.31 20:37
http://eiji.txt-nifty.com/diary/2023/08/post-dc7a4e.html#comment-144136259


>> 防衛省に保管されている公文書の中で大震災直後に内務省から全国に発信した電信文というのもあります。 ここには東京付近の震災を利用する朝鮮人が各地に放火、現に東京都内で爆弾を所持し石油を注いで放火するものがあると、こういったような内容が記されているそうです。 で(松野官房長官の…)事実関係を把握できる記録が見当たらないという意味が分かりません。

 くどくなるが、内務省から全国に発信した電信文ではない。 一局長級の連絡文書であって、宛先は山口県知事。

投稿: お盆が来た仮面 | 2023.08.31 20:57
http://eiji.txt-nifty.com/diary/2023/08/post-dc7a4e.html#comment-144136276


> 虐殺否定の論拠にはならん話だね (投稿: Q | 2023.09.01 11:34)

 私は、殺傷のあったこと自体は否定していない。
 ただそれが、内務省・警察なり軍なりが、意図的にデマを流して、民衆に殺傷を扇動したことはなかったと主張している。

投稿: 叡智な人エイチマン(元に戻しました) | 2023.09.01 11:46
http://eiji.txt-nifty.com/diary/2023/09/post-dfabf3.html#comment-144136614


>> 3日朝には内務省警保局長が全国の地方長官宛に〈東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内において爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。 すでに東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に各地に於て充分周密なる視察を加え、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし〉と通達した。

 警保局長は、内務大臣の下の事務次官の更にその下。 当然、戒厳宣告を決定した閣議に列席する資格はない。 何故、戒厳宣告が決定されたか、知るべき立場にいなかった。 だから、朝鮮人に関する流言が、戒厳宣告の理由になったかは、この電文では明らかにできない。 警保局長が自分の判断で、朝鮮人に関する情報と、戒厳宣告決定を勝手に結び付けた可能性もある。
 本当に朝鮮人の謀反に対して処置するのであれば、戒厳など必要ない。 地方長官・警視総監が軍に対して要請する「出兵」で十分。
 当然のことだが、電文は電波をキャッチした受信局が文章に起こさなければ、人間が読むことはできない。 受信局が壊滅していた関東一円で、これが受信できたのは、船舶と海軍基地程度しかなかったであろう。 だから、この電文が流言の元となった可能性はない。

投稿: 叡智な人エイチマン(元に戻しました) | 2023.09.01 12:25
http://eiji.txt-nifty.com/diary/2023/09/post-dfabf3.html#comment-144136654


呉鎮副官宛打電 九月三日午前八時十五分了解
 各地方長官宛 内務省警保局長 出
 東京附近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。 既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に、各地に於て充分周密なる視察を加へ、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加へられたし。

 この電文には、欄外に「この電報を伝騎にもたせやりしは二日の午後と記憶す。 当時の衆人の印象は斯の如かりしなり。 事後又は他地方の人には考へも及ばざるべし」という言い訳が書き添えられている。
 震災が落ち着いた後になって、この文書を作成・発出したことについて、警保局長が問責され、弁解をせざるを得なかったことを物語っている。 ということは、警保局長 後藤文夫は、戒厳を決定した内閣、そして上司たる内務大臣の情勢認識とは異なる認識を以て、この文書を作成したということになる。 内閣の認識通りの文書を発出したならば、この文書について責任を問われることはなかったはずである。

投稿: 叡智な人エイチマン | 2023.09.02 19:03
http://eiji.txt-nifty.com/diary/2023/09/post-5ae3e5.html#comment-144137641


 ついでに言うと、この警保局長文書は、海軍の電信網を通じて発出された。
 この電文から流言が広がったとすれば、受信局を通じてクラスター状に流言が広がった筈であるが、そのような形跡はない。 ということは、この警保局長文書によって流言が広がったということは、あり得ない。

投稿: 叡智な人エイチマン | 2023.09.02 21:02
http://eiji.txt-nifty.com/diary/2023/09/post-5ae3e5.html#comment-144137710


『朝鮮人虐殺「事実関係を把握できる記録ない」と松野官房長官が発言→誤り。 防衛省も「文書保管」を認める国会答弁』
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_64f02477e4b096f15d7f121a
> 一方で、この電信文が流言の拡散や民衆による朝鮮人虐殺につながったのではとの福島(瑞穂)議員の指摘に対し、警察庁の楠芳伸・官房長は「警察庁におきまして調査した限りでは、ご指摘のような事実関係を確認することのできる記録が見当たらない状況」だとして、回答を拒んだ。

 見当たらないではなく、存在しないと言い切っちゃっていい。

投稿: 叡智な人エイチマン | 2023.09.04 11:52
http://eiji.txt-nifty.com/diary/2023/09/post-50f64c.html#comment-144138726


『〈関東大震災朝鮮人虐殺100年〉東京・横網町公園で追悼行事』
https://chosonsinbo.com/jp/2023/09/02-112/
>当時の政府は、「朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり」などと電報で流言を垂れ流し、軍部が全権限を握る戒厳令を発令したことが決定的な影響力を発揮し、政府・軍・警察・自警団という日本の国家および民衆が、一斉に朝鮮人狩りに乗り出した。 約6千人の朝鮮人を殺害した【国家的ジェノサイド】である。

 何でこんな見え透いた虚構新聞を出すのだろうな。 この電報は、受信局から外へは出ていない。 実際に出た形跡はない。 戒厳は、軍に行政警察権の一部を付与する制度であって、全権限を付与するものではない。 軍や警察の第一線では、暴徒から朝鮮人を守った実例が幾つもある。 約6000人が殺されたという具体的証拠もない。

投稿: 叡智な人エイチマン | 2023.09.04 12:59
http://eiji.txt-nifty.com/diary/2023/09/post-50f64c.html#comment-144138778

     ・・・・・

_ 竹並 ― 2023/09/18 22:25

加えて…

>【引用記事: 最近政府のなすところを見ますと、しきりに各地におきまして自警団を検挙して、その検挙せられたる者がすでに数千名に達している。 起訴せられたる者、また数百名の多きを算しまして、「鮮人事件」の全責任は、ただただ自警団にのみ存するがごとき感があることは、私のすこぶる怪訝に耐えないところであります。】

上記、永井代議士の「鮮人事件」という呼称ですが、それは、その背後に「鮮人問題」が存在する(脚注 1)、という思考の順序の反映ではないか?と愚考いたします。

で、現在、マスコミが、これに「朝鮮人 虐殺」事件という呼称を付しているのは戦後的というか(僕には)ホンカツ朝日的に見えますが… 当時、大正時代に「虐殺」を使っていたのは、共産主義者みたいですね(脚注 2)。


(脚注1)
関東大震災における朝鮮人虐殺が起きた朝鮮人側の要因(1): 沈丁花の「反日は差別なり」
     ・・・・・
◎ 関東大震災前夜の朝鮮人の状況!

1910年日本は朝鮮半島を併合した。
これによって日本と朝鮮半島は同じ国となり、
そのため朝鮮人は大挙して来日することになる。

その数は関東大震災の直前の10年間で20倍
(3,635→80,415)にもなる急増ぶりを示している。

<日本国内における在日朝鮮人数>
(警察資料「朝鮮人概況」より、数字は12月末)

     (在日朝鮮人数) (増減)
 1913年   3,635人
   14年   3,542人(   ▲93)
   15年   3,917人(   375)
   16年   5,624人( 1,707)
   17年  14,502人( 8,878)
   18年  22,411人( 7,909)
   19年  26,605人( 4,194)
   20年  30,189人( 3,584)
   21年  38,651人( 8,462)
   22年  59,722人(21,071)
   23年  80,415人(20,693)
   24年 118,152人(37,737)
   25年 129,870人(11,718)
   26年 148,015人(18,145) 

このように朝鮮半島からの来日数は急激な上昇を示していた。
これは日本人の中に警戒心を引き起こす。
それは欧米の状況を見ればわかる。

アメリカではトランプ政権時代、メキシコからの移民流入を阻止するため「国境に壁を作る」と公約した。
また欧州で極右政党が台頭しているのは、彼らが移民排除を訴えているからだ。

このように従来住んでいた人々にとって外国人の急激な流入は社会に不安を起こす。
朝鮮人の急激な人口増加は、日本人(=内地人)の警戒を引き起こした。

◎ 当時の日本人の朝鮮人に対するイメージ!

当時の日本人の、朝鮮人に対するイメージはどうか?
日本人は朝鮮人に対して暴力的なイメージを持っていた。
http://gakku2007.blog.jp/archives/24874028.html


(脚注 2)
同年(=1922)7月15日、暁民会、水曜会、建設者同盟などが連合して、日本共産党(第一次共産党)が結成された。 同月、信濃川【朝鮮人 虐殺】事件が発生した。 これを受け、在日朝鮮人は、在日本朝鮮労働者状況調査会を結成し、在日朝鮮人労働者の実態調査を始めた。 朴広海は、同会に参加し、茨城県、長野県、群馬県、愛知県の飯場を、実際に働きながら調査した。
     ・・・・・
1924年3月16日、東京朝鮮労働同盟と日本労働総同盟は、「関東大震災 被【虐殺】日支労働者 合同追悼会」を開催した。 出版社従業員組合共済会、芝浦労働組合、自由労働連盟など日本人労働者350人も出席した。 金天海は、朝鮮人代表として、日本労働総同盟に対して、「日本政府に【朝鮮人 虐殺】を抗議しよう」と提案した。 日本労働総同盟幹部は、金天海の提案に賛同しなかった。 その後、金天海は、近代的工場労働者を組織するために、東京南部、京浜工業地帯で活動した。
     ・・・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%A4%A9%E6%B5%B7

_ 辻本 ― 2023/09/19 00:46

>当時、大正時代に「虐殺」を使っていたのは、共産主義者みたいですね

 吉野作造は大震災3ヶ月後に、雑誌『中央公論』に「朝鮮人虐殺事件に就て」と題する論稿を発表しています。
 吉野は共産主義者ではないし、『中央公論』は共産主義雑誌ではありません。

_ 辻本 ― 2023/09/19 01:06

>このように朝鮮半島からの来日数は急激な上昇を示していた。
>これは日本人の中に警戒心を引き起こす。
>それは欧米の状況を見ればわかる。

 朝鮮人の渡航者数の上昇が「日本人の中に警戒心を引き起こす」の根拠が、100年後の今の欧米の状況とは‥‥ビックリですね。
 明治大正時代は、特にアメリカでは、急増する日本人・中国人移民を排斥する「黄禍論」が猖獗を極めていましたが、これと比較すればいかがですか。

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