これまでの在日とその将来について(仮説)2006/05/01

 在日が共通の被差別体験を持つのは、おそらく1970年代まででしょう。佐藤勝巳さんは、1970年の民族差別糾弾闘争(日立闘争)では参加する在日がおしなべて被差別体験を持ち、彼らの怒りを抑えるのに苦労したが、1979年の民族差別糾弾闘争では参加する在日の若者に被差別の体験がなく、怒りが見られなかった、ということを報告しています。(『在日韓国・朝鮮人に問う』亜紀書房 1991年 84頁)

 これはその通りで、1980年代になると、在日の若者に差別の話を聞かせても、一体どこの国の話かと言わんばかりにキョトンとしているという話を聞くようになりました。

 日本人側も70年代までは、朝鮮人にはエラい目に合わされたとか、犯罪に遭って犯人はどんなヤツかと聞いたら朝鮮人だった、というような話はよくあったものでした(拙論第76題参照)が、80年代からはあまり聞かなくなりました。

 そして今は韓流ブームとやらで、韓国に対する日本人のイメージは良くなっています。  日本人と在日の間の「差別」という関係は解消に向かっていることは実感できます。少なくとも以前に比べて格段に良好になっていることは誰も異存はないでしょう。

 それではこれからもこの良き関係が続いていくのでしょうか。残念ながら私は楽観できないと思っています。理由は次の通りです。

1、1990年代後半ころより、来日韓国人の犯罪が急増しています。従って被害者である日本人は、犯人は誰かと思えば韓国人だった、という体験をする場合が多くなってきました。つまり在日に関わる前述のような過去が、来日によって今再現されているのです。こういった人が在日と出会うと、お前はアイツと同じ韓国人だ、という意識になるでしょう。来日の犯罪の増加がこのまま続きますと、在日を含む韓国人全体のイメージダウンとなり、「差別」という人間関係が復活する可能性があります。

2、北朝鮮による拉致事件の発覚がありました。これによって北朝鮮だけでなく、在日含めた朝鮮民族のイメージがダウンしました。このまま事件が解決せず、さらに11件16人以外にも拉致被害者がいることがはっきりすれば、彼らのイメージがもっとダウンしていく可能性があります。

3、前に書きましたように、帰化できるのは素行善良な外国人だけです。従って帰化したくてもできない在日は素行不良と見られることになります。一方、考えがあって帰化を拒否する人がおられますが、同じ在日です。帰化していないで在日のままの人は、イメージダウンとなる可能性があります。

 在日の将来は決して楽観してはならない、だからこそ在日・韓国・北朝鮮の状況を観察していく必要がある、というのが私のスタンスです。