解放運動に入り込むヤクザ ― 2007/05/04
飛鳥会事件について解放同盟中央本部が、「見解と決意」を表明しています。 http://www.bll.gr.jp/guide-seimei20061009-2.html
この中に次のような文言があります。
>部落解放同盟は、地域に居住するさまざまな階層の人たちによって構成されています。被差別状況のもとで、文字を奪われてきた人や反社会的行動に走った人や組織活動に不慣れな人なども多く組織に加入しています>
このように同盟には「反社会的行動に走った人」が多く加入しています。さらに同盟は、
>今後は、反社会的団体の構成員ではないということにとどまらず、それらの団体との関係遮断ができているかなども明確に判断し、反社会的団体との関係をもっている人やえせ同和行為を行う人については、組織からの一掃をはかります>
と「決意」を語っています。このなかの「今後は反社会的団体の構成員でないということにとどまらず」に注目します。 つまり同盟組織に多く加入している「反社会的行動に走った人」というのは、これまで反社会的団体の構成員(=暴力団員)であったということ、そして組織内に入り込んだ彼らについてこれまで「一掃をはかる」ことなく、野放しであったことを同盟自らが認めたということです。
『同和利権の真相』(宝島社文庫)の第2章「同和利権が“ヤクザ社会”の貯金箱になったカラクリ」には、大阪の解同幹部および関係者17人がどの暴力団の構成員かを具体名でもって明らかにしています(169頁)。 またそのリストに挙がっていませんが、最近の事件でさらに明らかになったのは、八尾安中事件および阪南畜産牛肉偽装事件当事者とヤクザとの関係です。 大阪で明らかにされただけでこの人数です。隠れている人や他府県の同盟を含めると、トンデモない人数になることは容易に推測できます。 同盟は、
>部落解放運動は「この事情を理解はしても絶対に容認しない」との立場から、これらの数え切れないほどの人たちを巻き込んで社会的正義を実現していく同志として運動のなかで人間変革をしてきたという自負と誇りがあります。>
と言っていますが、これまでの一連の事件で、小西、浅田、丸尾といった「同志」であったはずの者がヤクザと縁を切れず、大金が闇社会に流れたことが明らかになったように、全く信じることができないものです。
小西の言だったとおもいますが、「ヤクザをやるより解放運動の方が儲かる」と言ったのは、事実を表しています。
「法」を守るという価値観 ― 2007/05/11
佐藤勝巳さんは『在日韓国・朝鮮人に問う』(亜紀書房 1991)で次のように論じておられます。
>多くの在日韓国・朝鮮人が持つ価値観の一つに、法律とは破るもので守るものではないという考えがあると、かなり確信をもって思うようになった。両民族の間には“法”の受けとめ方に大きな落差があることを実感した。それは、この七年間の体験が、もとになったものである。>(15~16頁)
このことについて拙論 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuuichidai の(追記)におきまして、彼らは「法」はお上が下々を規制するためにあるもので、下位の者こそが「法」を守り、上位は「法」を守らなくてもいいという考えがあり、それは古代アジア的価値観であろう、と論じました。
つまりこれは、人類の古くから長年月にわたって存在してきた価値観であって、当然ながら近代とともに否定されるべきものなのですが、朝鮮人では否定されずにそのまま残存したものではないか、という推論です。
従って朝鮮人の民族的特性と言えなくもありませんが、日本人でもこの価値観の残滓が見られるものですので、なかなか否定することが難しいのではないか、と考えています。
例えば、解放運動においてはこの価値観がかなり残っていると思われます。 自分たち被差別者を上位に置き、周囲の差別者を下位に置いて、差別されているのだから何をしても許されるという考えがあると思われるからです。
また一般人でも、自動車を運転する時に警察にさえ見つからなければ少々の違反は構わない、という意識を相当多くの人が有しています。上位の目があるところだけは「法」を守る、他では守らなくてよいとするものですので、あの価値観が表に出てきたと言うべきものと考えます。
古代アジア的価値観は、朝鮮人では否定できずに残存し、日本人では否定してきたのだが完全否定には至っていない、ということになるでしょうか。
同和地区の低学力 ― 2007/05/18
同和地区の子供たちが低学力であるということは、何十年も前から指摘されてきたことです。 だからこそ同和教育といって、公費で子供たちに特別に勉強を教えたり、また返還しなくていい多額の奨学金を公費で支給してきたりしてきました。
しかし低学力はなかなか改善されることがありませんでした。解放運動はこのことを、今なお残る差別の厳しさとして訴えているようです。
地区が低学力であることの理由は単純です。
一言で言えば、学力の高い家庭は地区外へ引っ越し、逆に学力の低い人間が地区内に入り込んでくるからです。
同和地区出身者で、まともに大学を出た人は、まず地区に戻ることはないでしょう。実家に住み続けていても、結婚したり子供ができる頃には、出て行ってしまうことが多いものです。
昔、解放運動の幹部の方から「オレは大学出というのは嫌いやねん。大学出たヤツはみんなムラ(同和地区のこと)を出て行きよる。一人も帰って来ん。」と言われたことを思い出します。
つまり同和教育・解放運動の成果は地区外に流出して、地区内にとどまらないのです。その代わりに、勉強なんて全く縁のないような人が流入してくることとなります。
地区だけを取り出してみると、低学力がいつまでも続く状態となっているのです。
「三韓」は朝鮮でも使っていた ― 2007/05/25
朝鮮半島の地名としての「三韓」は日本だけに用いられ、朝鮮では用いられなかったと論じたことがあります。
ところが『高麗史』に1122年の睿宗(高麗第16代国王)崩御の記事中に下記の記録がありました。
「遺詔して曰く、朕天地の景命を荷い、祖宗の遺基を奉じて、三韓を奄有すること十有八歳」
この「三韓」は高麗領土全域のことで、睿宗はその遺言のなかで「三韓」を18年間治めてきた、と言っています。 ということは、朝鮮半島を「三韓」と称することは、朝鮮史上でもかなり古くからあったということです。 日本だけで使われていたという言説は誤りでした。
ところで「三韓」とは、もともとは馬韓、弁韓、辰韓のことで、朝鮮半島南部地域です。 これが後に高句麗、百済、新羅の三国を意味するようになり、朝鮮半島全体を指すことになります。 この経過がよく分からないところです。