苗代川焼の陶工は「拉致」されたのか? ― 2013/08/25
「豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に島津藩に”拉致された朝鮮人”陶工集団の子孫」 の拉”致”は大間違い。 当時、李氏朝鮮では、両班を筆頭に工人・陶工は奴隷の扱いだった。乞食同然だった。 朝鮮征伐で丁重に扱い、招いたもので、日本に来て数年後、朝鮮に帰っても良いと言い渡したが、日本に住み着いた。、日本の方が、断然、待遇が良いからだ。
近世初期の唐津焼や苗代川焼の創始者が、豊臣秀吉の朝鮮出兵に起因することは間違いないでしょう。これが「拉致」だったのかどうかは、難しい問題ですねえ。
当時の朝鮮では陶工は賎民扱いでしたが、日本では技術者は高く評価されていました。特に朝鮮の焼き物は「大井戸茶碗」等、主に茶道では珍重されました。
だから朝鮮の陶工が、日本での待遇が良かったのは事実と思われます。だからこそ来日した朝鮮陶工たちは世界に名を馳せるような優れた陶磁器を製作したと考えられます。
しかし日本に来た経緯が「拉致」かどうかは、裏付けとなる資料がなく、不明と言わざるを得ません。今のところ、当時の日本の大名は戦国時代の作法をそのまま異国の朝鮮でも適用した可能性が高い、そうなると今の目で見ると「拉致」となります。
「拉致」自体が価値観を付随する言葉ですから、なかなか難しいですね。
東郷茂徳が名前を変えた理由 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/04/21/1453694