木村幹さんの論考を読む-毎日新聞「論点」 ― 2020/08/02
2020年7月31日付け毎日新聞に、「論点 戦後75年『負の歴史』と向き合う」と題する特集記事が出ました。 https://mainichi.jp/articles/20200731/ddm/004/070/004000c
三人の論者が出てきますが、そのうちの木村幹さん。 この方の授業を受けたことがありますので、特に注目して読みました。 しかしその内容に違和感がありましたので、それをちょっと書いてみます。
関係築けぬ75年こそ 木村幹・神戸大大学院教授
日本と韓国の間では、元徴用工の強制労働や従軍慰安婦といった戦時中の歴史を巡り確執が続いている。1910年の韓国併合から終戦までの35年にわたる植民地支配は負の歴史だが、それ以上に結局良好な関係を築けなかった戦後の75年間こそ、私たちが向き合うべき負の歴史だと強調したい。
「35年にわたる植民地支配は負の歴史」とありますが、 植民地支配を受けた側からすれば「負の歴史」となるでしょう。 しかし支配した側からすればどうなるのでしょうか。 「負の歴史」なんて主観的なものですから、それぞれの立場で或いはそれぞれの個人の考え方によって違ってくるのではないでしょうか。
なお「良好な関係を築けなかった戦後の75年間こそ、私たちが向き合うべき負の歴史」という点は、私も賛成します。 ただし「私たち」だけが一方的に向き合うべきものではなくて、双方が向き合うべきものだと考えています。
植民地支配はどう転んでも褒められるものではない。経済成長に貢献した等、韓国側に対するメリットを挙げる人もいる。だが参政権も与えられず、自分たちの運命を自分たちで決められなかった体制に不満を持つのは当たり前で、理屈をつけて相手に感謝されようとするのはかなり虫がいい。
私も以前はこういう考え方をしていましたが、今は少し違っています。 日本では相手方と過去の話をする時に、「色々とご迷惑をかけたかも知れませんが、大変お世話になりました」「いえいえ、こちらこそお宅にお世話になりました」というような感謝のやり取りは自然なものです。 これは対等な立場であることを互いに確認するという意味もあります。
日本が韓国と歴史の話をする時にこういうやり取りを想定して、相手側から「植民地化されて苦労しましたが、その時に日本からも色々学びました。そのおかげで今の韓国があります」というような返事を期待したと思われます。 これによって日韓が対等であることを確認しようとしたということになりましょうか。 しかし実際には韓国からは「日本が一方的に全て悪い、謝罪しろ」と強く批判されたという経過になりました。
つまり韓国は自分たちが善=正義であり日本は悪=不正義だ、だから日本と対等でないと考えているのではないか、と日本人には感じられたと思われます。 木村さんは「理屈をつけて相手に感謝されようとするのはかなり虫がいい」と言っておられますが、日本を極悪人扱いして謝罪を求めることもまた「虫がいい」と書き加えてほしかったですね。
植民地支配に関する批判的な韓国の教科書の記述が、日本側の期待に沿うことは永遠にないだろう。そもそも異なる国や国民に関する歴史記述は、その主題や目的が違うのだから同じになるわけがない。
これは当然のことだと思いますが、逆に「日本の教科書の記述が韓国側の期待に添うこともない」ということも書いてほしかったです。 どの国であれ、自分の国の教科書を他国からの圧力で変えることは、いいことではありません。
元徴用工や従軍慰安婦に対する補償について、日本政府は65年の日韓基本条約に伴う請求権協定で協力金を支払い、既に解決済みだという立場をとっている。だが韓国では、人権問題であること等を理由として、謝罪や補償を求める運動が依然続いている。日本企業に支払いを命じた韓国最高裁の判決に日本の政府や世論は反発し、両国関係は悪化している。ここまでこじれた背景には、我々が歴史認識の異なる現実に真面目に向き合ってこなかったことがある。
これも当然ですね。 韓国は日本を対等ではなく上下関係とする歴史認識であり、日本側は対等な歴史認識を目指している、しかし現実には木村さんの言うように「我々が歴史認識の異なる現実に真面目に向き合ってこなかった」ということですね。
なお日本人の中には、わが日本は加害者、韓国は被害者という上下関係の歴史認識を有している人もいますね。 対等を否定しようとするのは、いかがなものかと思います。
例えばこれまで両国では、問題の和解を若者世代に託したり、グローバル化に伴う国際交流を過度に評価したり、あるいは圧力をかけて他国の歴史認識を強制的に変えようとしたりしてきた。確かに若者は植民地支配の当事者ではなくしがらみがないかもしれないが、だからといって彼らによって自動的に解決されはしない。また、歴史認識の相違が市民の交流で溶解するというのも楽観的に過ぎる。
ここは以前に「日韓交流は相互理解に役立ってきたか?」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/12/13/8747383 で論じたことがありますので、ご笑覧いただければ幸い。
日本の一部には、日清、日露戦争を経て「アジア唯一の列強」になっていく明治以降の日本史を自分のアイデンティティーにし、そこから韓国に対する優越感を維持しようとする人たちがいる。そういう人たちは、既に日本が多くの分野で韓国に肩を並べられている現実を受け入れようとしない。
こういう上下関係の歴史認識を持つ右寄りの日本人もいますねえ。 韓国とは正反対の認識ですが、上下関係で見ようとする点で共通性があります。 私には、同じ穴のムジナに見えます。
日韓関係の悪化が続けば、貿易や観光にも当然影響が及ぶ。だからこそ、両国ともこの「分かり合えなかった戦後」を歴史として冷静に受け止め、真面目に向き合うべきだ。歴史認識の相違を認めたうえで、民族主義的な感情を排し、経済や安全保障など自国が目指す目的を実現すべく合理的な判断ができなければ、「失うもの」ばかりが増えることになるだろう。
最後の結論です。 当然と言えば当然ですが、よく整理してまとめられた結論だと思います。
【拙稿参照】
木村さん、「嫌韓」は1990年代にはありましたよ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/25/9250442
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。