『北朝鮮の真実』2011/10/10

重村智計の近著『北朝鮮の真実』(日本文芸社)を購読。

 内容的には目新しいことはありませんが、北朝鮮についてかなり分かりやすく解説しています。 このなかに、疑問な点がいくつかあります。

 「金正日総書記に影武者がいる」(30頁) 重村氏はかなり以前から影武者説を唱えておられます。その根拠の一つとして、北朝鮮を訪問した日本人がこの影武者に会ったことを証言したから、ということです。しかも3年をおいて、二人の日本人が会ったことになっています。

 もし影武者がいたとすれば、北朝鮮の国家秘密に属するでしょう。そんな人物を、短期訪問の日本人にわざわざ見せることがあり得るのか?という疑問です。

 あるいはまた、小泉首相の第2回訪朝時(2004)の金正日の声と、拉致された韓国の映画監督と女優が1986年に脱北した際に持ち出した金正日の声を比較して別人だという結果が出て、これも影武者説の根拠の一つとしています。

 20年近い時間が過ぎた声が、同一人物かどうか判定できるものなのか、という疑問です。

全国行脚する活動家たち―韓国2011/10/15

 日本の左翼系活動家諸君が反権力という一点のみで、闘いを求めて全国行脚していた時代があったことを、書いたことがあります。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/09/05/5330599

 これと同じようなことが、今の韓国の活動諸君でも行なわれているようです。韓国の新聞『朝鮮日報』の記事を訳してみました。(2011年10月10日付け)

>済州島、釜山、そしてソウルに来たデモ隊   済州島カンジョン村のデモ隊の中心勢力が、釜山韓進重工業デモに参加、「この勢いで韓米FTA阻止」を! 150余名がバスに乗ってソウルへ

 釜山の韓進重工業における非正規職解雇反対闘争を支援して‘5次希望バス’という名前で、釜山でデモを行なったバス デモ隊のうちの一部が、9日午前までデモを行なった後すぐにソウルに移動して、午後には‘韓米自由貿易協定(FTA)阻止決議大会’に合流した。彼らは済州島のカンジョン村の海軍基地建設反対デモにも参加した。韓進重工業の非正規職解雇反対、海軍基地建設反対、韓米FTA等々、すべて違う課題でもって、済州・釜山・ソウルなど全国を舞台にデモを続けている。

 韓進重工業のバス デモ隊はこの日午前10時30分頃解散した。彼らはこのバス デモを予定より3時間ほど早くデモを終えた理由は、この日午後にソウルで予定された‘韓米FTA決議大会’集会に参加するためであった。デモ隊は「この勢いで、韓米FTAも阻止しよう!’とスローガンを叫んでデモを終えて、150余名がバスに乗りソウルに向かった。

 彼らはこの日午後4時40分頃ソウルに到着し中区の徳寿宮前で‘韓米FTA阻止 汎国民運動本部に合流した。200余名に過ぎなかった集会は、参加者数がいきなり膨れ上がった。

 民主労総、平和と統一を開く人達、進歩連帯などの旗がはためいた。彼らは「韓米FTAを阻止しよう!」「李明博政府を打倒しよう!」などのスローガンを叫んだ。民主労総は希望バス デモを主導する中心団体であり、平和と統一を開く人達は海軍基地建設と関連して済州島のカンジョン村で行なうデモ隊の中心勢力である。彼らは300余の団体が名前を連ねる韓米FTA阻止汎国民運動本部にも参加している。

 警察関係者は「ソウルの韓米FTA反対運動、釜山の希望バス デモ、済州島のカンジョン村闘争は、場所と素材は違うが、人員を動員してデモを企画する中心団体はほとんど違いがないものと把握している」と語った。この関係者はまた、「彼らは‘希望バス’‘平和飛行機’などの名前をつけて反政府デモを‘祭り’として全国を遊覧するようにデモを行なっている」と語った。>

  以上のような記事でした。彼らはこれまで、米国産牛肉反対闘争や龍山立ち退き反対闘争、大学授業料半額実現闘争等々にも顔を出してきたようです。まさに「民主主義者は忙しい」ですねえ。

 闘いを求めて、そのためには問題の中身は考えることなく、全国の集会やデモに参加する―そんな活動家諸君の姿は、日本の70年代と現在の韓国とで共通するように見えます。とすると、韓国の活動家諸君の将来の姿も、日本と同様の歩みをしていくだろうと予想するのですが、どうなんでしょうねえ。

朝鮮語学習を始めた時2011/10/30

 1974年頃に、2年足らずという短い間でしたが、朝鮮語勉強したことがあります。  拙論では  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuuhachidai  に

「思い起こせば20数年前の七四年頃に、朝鮮総連のHさんに朝鮮語の手ほどきを受けたときは、朝鮮語のできない朝鮮人は民族性を失った者である、という総連の考え方をその通りと思ったものだ。」

と記しています。このHさん、後に小田実の奥さんになった方です。

 Hさんは朝鮮総連でもかなりの実力者の娘だったそうで、朝鮮学校を卒業し、また朝鮮学校の先生もしておられました。当時は朝鮮総連の力が大きかった時代で、南の韓国の朴正熙政権の悪辣非道ぶりが宣伝され、多くの人たちが信じていたものでした。Hさんも、総連の考えをそのまま授業に持ち込む方でした。

 最初は私も総連の考えに同調していたので、Hさんの主張にはその通りだと賛成していたのですが、主体思想の本を読んだりしていくうちに、だんだん嫌になり、そのうちに金日成の思想は社会主義・マルクスレーニン主義から外れる思想だ、少なくとも哲学と言えるものではない、と言うようになりました。  結局、余りに総連寄りのHさんが嫌になり、朝鮮語の勉強も止めてしました。

 しばらくして、確か1977か78年頃だったと思いますが、金日成が日本のベ平連のような組織を念頭に置いたのでしょうか、ベトナム戦争での北の勝利を機に、日本で民主人士を獲得せよ、と言ったことがあります。(今手元に資料がなく、アヤフヤですが)

 しばらくして、Hさんがベ平連の創始者である小田さんと結婚したと聞いて、もうビックリ。その時は、金日成の言葉を実行したんだなあ、と思いました。

 小田さんはたくさんの本を出していますが、北朝鮮に関して批判めいたことは書くことはありますが、基本的にすべて北を擁護するものでした。拉致事件に関しても、日本が北と国交しなかったから拉致事件が起きた、小泉首相はこの責任を謝罪しろ、というトンデモナイ主張を開陳したことがありました。奥さんの影響は極めて大きいんだろうなあ、と思っています。

 この6年前程から韓国語の勉強を再び始めています。30年前から繰り返されてきた挫折を、今取り返しているということですねえ。今は韓国の新聞を、辞書片手でですが読めるようになりました。