中国のカニバリズムを取り上げるのはレイシズム2013/10/04

 中国には「カニバリズム(食人肉)」はあるが、日本には「カニバリズム」はないと言う人がいます。これについては、間違いであることは既に確定していると思っていたのですが、まだそういうことを言っている人がいるとは、困ったものです。

 大正時代に京都帝国大学の東洋史学教授の桑原博士は、中国のカニバリズムについて次のように記しています。

支那人間に於ける食人肉の風習‥‥目下露國の首都ペトログラードの食糧窮乏を極めたる折柄、官憲にて支那人が人肉を市場に販賣しつつありし事實を發見し、該支那人を取押へて、遂に之を銃殺せり。‥‥一體支那人の間に、上古から食人肉の風習の存したことは、經史に歴然たる確證があつて、毫も疑惑の餘地がない。‥‥支那人の人肉を食するのは、決して稀有偶然の出來事でない。歴代の正史の隨處に、その證據を發見することが出來る。‥‥雷同性に富み、利慾心の深い支那人は、この政府の奬勵に煽られて、一層盛に人肉を使用することとなり、弊害底止する所を知らざる有樣となつた。‥‥私も最近二三年間、この問題の調査に手を著け、多少得る所があつた。その調査の結果全體は、遠からず學界に發表いたすこととして、今は不取敢支那人の人肉發賣といふ外國電報に促されて、古來支那に於ける食人肉風習の存在せる事實の一端を茲に紹介することにした。(『東洋学報』)

 博士は中国のカニバリズムについて本格的な論文(「支那人間に於ける食人肉の風習」)も発表しています。そしてその論文の前提は、カニバリズムは日本にはなかったというもので、野蛮な中国と文明の日本という自民族優越主義に基づく対比です。桑原博士の弟子にあたる宮崎教授は、次のように論じて批判しました。

ここに注意すべきは先生は最初、この風習(カニバリズムのこと)は中国には見られるが、日本には古来嘗て行われたことがなかったと、堅く信じておられたらしい点である。この主題を心にとめつつ見聞するところを総合すると、事実は必ずしもそうとは断定できぬのではあるまいか。‥‥今日の我々は桑原論文を他国他民族のこととしてではなく、我々自身の上に引きあて、内在する魔性を懺悔するの念を込めて読み直すべきだろう。(『東洋文明史論』)

 このように日本にもカニバリズムはありました。中国のように人肉を販売する例は、江戸時代にあります。刑場の役人は死刑に処した死体から人肉(主に肝)を取り出して薬として販売しており、これが公認されていたのです。有名な例では山田浅右衛門がいます。山田家は人間の肝の販売で巨富を築いたと言います。さすがに明治時代になって禁止されたのですが、これ以降日本ではいつの間にかカニバリズムはなかったとする間違いの俗説が広まったようで、桑原博士のように著名な史学者もそのレイシズムに毒されたということです。今はこういった方面の歴史研究が進み、日本にはカニバリズムはないというような間違いはなくなったと思うのですが、そうでもないようです。

 刑場の処刑人の人肉を薬として販売する風習は、古代日本では約400年間処刑がありませんでしたから、中世以降におそらく中国から渡ってきたのではないかと推測することは可能でしょう。

 以上はカニバリズムが公認された例ですが、それ以外では飢饉や補給を断たれて飢えに苦しんで人肉を食べたというような話は日本の歴史上でもよく出てきます。また薬用目的に殺人して人肉を切り取る事件は明治以降に時々報道されています。あるいは近年では佐川パリ人肉食事件のような猟奇殺人事件があります。日本のカニバリズムは探せば結構出てくるものです。

 結局、我が日本の例には目をつぶり、中国のカニバリズムを取り上げることは、レイシズムとしか言いようがありません。