高句麗広開土王碑は全世界人民のもの ― 2013/08/22
まずは標題と直接関係ない「任那」。5~6世紀ごろ、朝鮮半島南部にあったとされる「任那」という国がありました。『日本書紀』には、この任那に関する記事がすこぶる多いですが、朝鮮側資料には僅かに出てくるのみで、韓国の歴史学ではほとんど全くといっていい程に無視されています。 しかし僅かとはいえ朝鮮側資料に出てきます。調べてみると、それは次の三例のみであるとされています。(田中俊明、井上秀雄など日本の朝鮮史研究者による)
① 高句麗広開土王碑文(414)
② 真鏡大師宝月凌空塔碑(924)
③ 『三国史記』列伝「強首伝」(1145)
このうち①の広開土王碑については、私も「朝鮮側資料」だと思っていました。ところが最近になって、岩波書店『日本書紀 上』(日本古典文学大系67 1967年3月)の587頁にある「任那」の補注では、「朝鮮資料」としては②と③の二例のみを挙げており、①は最古例資料として中国の史書『宋書』と一緒に並べて挙げられていることを発見しました。
つまり広開土王碑は朝鮮側史料ではなく、中国側資料の中に入れているのです。ということは、広開土王碑は日本の歴史学界では中国側資料に入れる考え方と、朝鮮側資料に入れる考え方の二つがあることになります。
現在広開土王碑は中国領内にありますから、中国が保存・管理の責任を負っており、実際にその責を果たしています。これから考えると、広開土王碑は中国側資料と言えます。
一方韓国では、高句麗はわが民族の国であるからその遺跡・遺物もわが民族のもの、高句麗が支配していた土地もわが民族のものとする考え方が根強くあります。従って広開土王碑を中国側資料だと言えば、韓国から総スカンを食うことでしょう。逆に日本人研究者が広開土王碑を「朝鮮側資料」に入れるのは、韓国側のナショナリズムに肩入れすることになります。
しかしこちらは日本ですから、高句麗が韓国・朝鮮かそれとも中国かなんて、関係ないものです。韓国側の「高句麗の故地である満州は我が領土」というナショナリズムに巻き込まれてはいけません。高句麗は高句麗であって韓国でも中国でもないと答えるだけでしょう。あるいは、高句麗は北半部が中華人民共和国領、南半部が朝鮮民主主義人民共和国領、そして大韓民国の領内には高句麗はわずかな痕跡しかないと答えるぐらいでしょう。だから広開土王碑は中国人のものでも韓国・朝鮮人のものでもない、全世界人民の財産だと答えるのが一番いいのかなと思います。
【拙稿参照】
高句麗は韓国か、中国か http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/22/1812668
高句麗―韓国か中国か http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/09/28/3787613
『韓国・朝鮮史の系譜』(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/05/07/6803186
『韓国・朝鮮史の系譜』(4) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/05/10/6805823