第三次教育令ー朝鮮語教育は廃止されたのか2018/10/12

 朝鮮植民地時代、学校での朝鮮語教育を廃止したとして評判の悪い政策が1938年の第三次教育令です。 その内容は平凡社『韓国・朝鮮を知る事典』(2014年3月)によれば、次の通りです。

日中戦争開始後38年の第3次教育令では、朝鮮語は随意科目として実質的に廃止されるに至った。(109頁)

そしてわずかに残されていた朝鮮語の時間も、日中戦争後の皇民化政策のもとで1938年の第3次教育令によって<随意科目>と指定され、ついに完全に形骸化してしまう。(355頁)

 このように朝鮮語は学校で必修であったのが、1938年に「随意科目」となってしまい、教えることがなくなったとされています。 随意科目ですが、実質的に朝鮮語科目がなくなり廃止されたという説明です。

 一方、私は在日1世のお年寄りから、自分の父親は学校の先生で朝鮮語を教えていた、裁判でも日本語と朝鮮語の通訳をしていたから、うちの家はハイカラだったという話を聞いたことがあります。 随意科目だから朝鮮語の授業があったんだなあと、その時は思いました。

 以上のように朝鮮語の「随意科目」化については、朝鮮語の授業は廃止されたという解説と朝鮮語の授業があったという体験談とがありました。 実際はどうだったのだろうかと気になっていたのですが、三ツ井崇「近代朝鮮における日本語の社会史・試論」という論文を読んで、ああ、そういう実態だったのかと新たな知識を得ました。 この論文は須川英徳編『韓国・朝鮮史への新たな視座』(勉誠出版 2017年5月)に所収されているものです。

 この論文中に、植民地時代に教員としての経験を持つ吉野鎮雄(車炳燉)の証言があり、それを紹介します。

(朝鮮語授業は)南総督の時代は‥‥随意科目となりました。 そのときになると、朝鮮人の校長先生は、随意科目だからこれはやらなくていいといって、廃止した学校が多いんです。 日本人の校長先生だというと、そういうことはいけないと。 朝鮮人が朝鮮語を習わないでどうするんだといって非常に叱られて、それまた復活してやるというような傾向だったんです。

私が加平の上面の学校の簡易学校ですが、そこの上面の学校に赴任したときには‥‥この(沈宜鳳)先生がいたんです。 この先生のときに朝鮮語が随意科目になったんですが、その沈先生はやめるといったんです。 その次に日本人の校長先生が来てから「いや、これは復活させなければだめだ」っていって、朝鮮語を教えたんです。 その学校はもちろん四年制の学校だったわけです。‥‥沈先生のときには朝鮮語をやめさせちゃった。    それから加平郡に私が初めて行ったときは、朝鮮人の視学(地方教育行政官)がいるんです。 郡視学が。この視学先生が朝鮮語を非常に大事がる先生で、できるだけやってくださいと、こう穏やかにいうんです。

その次に、私が仁倉の普通学校にいたときに校長先生が‥‥あとから郡の視学になって来たんです。 玖島という、広島の方で‥‥その先生は朝鮮語をやらなくてどうするんだと。 いまになって君たち‥‥日本語のわかっていない年寄りが多いんだと。 学校に行った者が(年寄りに)手紙も書けないというようなことじゃ何もならないから、やらなきゃならんと。 この玖島先生はそういう主義で、みんな朝鮮語をやらせたんです。

それから前の李という視学、これはのちに仁川の松林の普通学校(仁川第二松林尋常小学校)の校長になって行ったんですが、その先生もそういったんです。 四年制の学校を卒業しても手紙一本書けないということではこれは恥だと。 学校教育の成果が上がっていないという、いちばんの証拠になるんだと。 朝鮮語はやったほうがいいという、おだやかに訓示しておった。 (以上 192~193頁)

 この証言から、朝鮮語科目を廃止しても復活する場合があったということが分かります。これは随意科目になったのですから、廃止があれば復活もあるという当然の結果です。 また朝鮮人校長が朝鮮語科目を廃止したことが多かったようですが、朝鮮語教育を推進しようとする朝鮮人教育者もいたことも分かります。

 そして朝鮮語教育の目的を、日本語のできないお年寄りとの手紙をやりとり出来るようにするということに置いていることに注目されます。 考えてみれば身近な人と文字でコミュニケーション出来るようにするというのは、初等教育の目標として自然なことです。

 1938年の第3次教育令によって朝鮮語は必修から随意科目になったのですが、以上によってこれを「実質廃止」とか「完全形骸化」と評価する『韓国・朝鮮を知る事典』の解説は実態とかけ離れていることは明らかでしょう。 また日本人校長が朝鮮語科目を維持したことを見識の高さのようにいう見解があるようですが、これも実態とずれているようです。

 「随意科目」は言葉通りに各学校の判断に任されたもので、ある学校では朝鮮語授業を維持し、またある学校では廃止したということです。 そして日本人校長は維持、朝鮮人校長は廃止という傾向性はあったようだが、一概にそうとは言えなかったが正解ですね。

 そして朝鮮語教育を維持・推進しようとした教育者は日本人も朝鮮人も、日本語を知らないお年寄りに手紙を書くことが出来る子供に育てるという初等教育の目標を考えていたということです。

 植民地時代は朝鮮語が禁止されたという俗説が広まっていますが、正確な歴史事実を知ってほしいですね。

【拙稿参照】

日本統治下朝鮮における教育論の矛盾 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/02/01/1156247

植民地下の朝鮮で実施された選挙   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/01/03/7530641

『現代韓国を学ぶ』(6)       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/06/11/6476173

朝鮮語を勉強していた大正天皇   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/09/24/6111974

「朝鮮語は禁止された」というビックリ投稿 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/01/15/8324407

『図録 植民地朝鮮に生きる』   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/11/02/6621470

朝鮮語は容認されていた―愛国班  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/10/8724405

朝鮮語は容認されていた―愛国班 (2)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/14/8727138

日本統治下朝鮮における朝鮮語放送  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/06/8721782

学校で朝鮮語を禁止した理由    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/01/20/8327730

尹東柱のハングル詩作は容認されていた http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/07/11/8618283

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