在日の古代史(2)2023/07/08

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/07/01/9598436 の続きです。

古代渡来人説の前提となった北朝鮮の古代史研究

 李成市さんは、「古来渡来人説」は何も在日の中で突然現れたのではなく、北朝鮮の歴史研究から大きな影響を受けていたと論じます。 北朝鮮の古代史研究について、李さんは次のように説明します。

解放後の北の学界では、古代史が近代日本の植民地支配に利用されたという観点から‥‥いち早く戦前の日本人研究者による学説批判を徹底的に展開していた。 中心的なテーマは二つである。 一つは楽浪郡による420年間の郡県支配(B.C.108~A.D.313年)であり、もう一つは360年代から562年までの200年に及ぶ大和朝廷による朝鮮南部支配(任那日本府)説への批判である。 これらを学術的に否定しなければならないというのが北の学界にとっての絶対的な命題となった。 まさにこの二つの問題は植民地主義克服の象徴とみなされたのである。 (103頁)

解放後の北を代表する研究者である金錫亨氏は‥‥ 3世紀末4世紀初以来、朝鮮半島からの移住系住民が日本列島の北九州、出雲、吉備、畿内の各地に分国を作り、故国と連携を維持しつつ諸勢力が統合されていき、6世紀末7世紀前半に大和朝廷が成立したというものである。 北の学界では、楽浪郡を朝鮮半島の外である遼東半島に位置比定したように、任那日本府についてもベクトルを逆にして、日本列島にこそ朝鮮半島の人々の分国(コロニー)があったとみなすのである。‥‥古代の北部(楽浪郡)と南部(任那日本府)に対する支配を上記のように反論することによって、近代日本歴史学界の古代史を覆そうと試みたのである。 (104頁)

 日本の『日本書紀』や『古事記』の歴史書では、神功皇后の三韓征伐説話や任那日本府のように、日本の大和朝廷が朝鮮半島に進出して支配・経営したという歴史が綴られています。 その歴史観は日本が近代に朝鮮を植民地化したことを正当化する「植民地主義」だとして、それを克服することが北朝鮮の古代史研究者の「絶対的命題」だったわけです。

 そこで打ち出されたのが「分国論」でした。 それは古代の高句麗・新羅・百済は日本列島内にそれぞれ自分たちの「分国(=植民地)」を置いた、日本古代史料にある「三韓、高句麗・新羅・百済」はこの「分国」のことだ、大和朝廷は列島内の「分国」との交渉をまるで朝鮮半島に進出・支配したかのように史料に記述したのだ、と主張するものです。 

 同じように中国の「楽浪郡」は朝鮮半島の外あって、今の平壌から出土する「楽浪」遺物はそこに朝鮮民族の「楽浪国」があったことを示すものだとなります。 つまり朝鮮半島では任那日本府や楽浪郡のように他国に支配されたことはなかった、だから朝鮮民族は古代から一貫して自立していた、と主張することによって「植民地主義」の克服を図ろうとしたのでした。 北朝鮮の古代史研究の歩んできた道は、これだったのです。

金錫亨氏の分国論の影響のもとに、金達寿氏は『日本の中の朝鮮文化―その古代遺跡を訪ねて』(1970~1991年 全12巻)を刊行して、古代朝鮮半島から日本列島に渡来した人々の痕跡を訪ねるという著作を次々に発表することになる。 金錫亨氏の仮説があるとはいえ、実際に日本各地を訪ね歩いて、渡来人の果たした歴史的役割を日本人読者に訴求するという大きな効果があった。 さらに重要なのは、従来古代史の学術用語として用いられてきた「帰化人」を、「渡来人」と呼ぶ変えさせる運動を金達寿氏が中心になって展開したことである。 (105頁)

 北朝鮮の「分国論」の影響受けて、日本では金達寿が『日本の中の朝鮮文化』刊行し、日本全国を訪ね回ってここにも朝鮮からの渡来人が活躍した、あそこでも朝鮮文化が残っているなどと宣伝したのでした。 この運動の影響は大きく、「渡来人」という言葉が歴史教育でも定着し、日本各地の遺跡の説明版には大した根拠もないのに「渡来人」という言葉が入ることが多くなって、現在に至っています。

破綻した広開土王碑改竄説は韓国で生き残る

 高句麗好太王(広開土王)碑はそれまで、日本では古代に大和朝廷が朝鮮半島に進出したと解釈するものだったし、韓国や北朝鮮では日本ではなく高句麗の進出記事と解釈するものでした。 ところが考古学者の李進煕はこのような碑文の解釈どころか、大日本帝国陸軍参謀本部の酒匂景信が石碑に石灰を塗布して改竄したものだという衝撃的な説を発表しました。 これはあまりにショッキングな説だったので、歴史学界だけでなく社会にも広く知られることになりました。 さらに、日本帝国主義は朝鮮侵略のために史料の改竄までするほど卑劣だったという主張につながりました。 

李進煕氏は‥‥南北の学者の広開土王碑文の解釈に異を唱え、従来「倭が海を渡って百済・新羅を破り臣民にした」と読まれてきた箇所には、陸軍参謀本部によって広開土王碑が改竄されたとの説を唱えた。‥‥解放後の南北の学者は、それまで「倭が百済・新羅を臣民にした」と読まれてきた文章に‥‥「百済・新羅を臣民にした」のは倭ではなく、高句麗の軍事行動の結果であると解釈した。 しかし李進煕氏はこうした解釈の変更を全く問題にしなかったのである。 そして新説として発表したのが陸軍参謀本部により広開土王碑改竄説であった。 (105頁)

 その後、日本と中国の研究者たちが現地調査や各種拓本の比較検討を行ない、石碑改竄はあり得ないと結論づけられました。 李進煕もその後石碑を直接見に行っていますが、改竄説について発言しなくなりました。 李進煕の石碑改竄説は破綻したと言っていいです。 李成市さんも次のように断定しています。

李進煕氏が主張する陸軍参謀本部による「碑石の改竄」「拓本すり替え」などは実在しなかった‥‥この事実は、1980年代以降に続けられた研究によって、国際的に共有され支持されている。 李進煕氏の仮説は成立する余地はない。 (111頁)

 ところが韓国では、この改竄説が日本帝国主義の陰謀論として今なお信じられているのです。 李成市さんは次のように述べます。

李進煕氏の広開土王碑改竄説については、日帝陰謀論を増幅させた副作用は取り返しがつかない深刻な問題でもある。 今日、日本と中国の学界では改竄説はほぼ完全に否定されている。 しかし、このたび本稿の執筆のために、改めて韓国で中堅の古代史研究者たちに確認したところ、第一線で活躍している一部の研究者を除けば、ほとんどの研究や一般の国民は改竄説を信じているといってよいという。 改竄説を信じないとしても、碑文には、倭が高句麗の強力な敵として活躍したことを書くはずがないと信じている人は、研究者の中でも大多数である。 こうした歴史研究の基づかない陰謀論がまかりとおってしまう素地を作ったのは李進煕氏の碑文改竄説と言わざるを得ない。 (108頁)

 日本帝国主義は朝鮮植民地化のために石碑を改竄したという陰謀論は韓国人の「反日」情緒に合うのか、韓国では今なお根強く残っているようです。 こうなると、事実・根拠に基づく学問的議論が難しいでしょうねえ。 (続く)

【朝鮮史に関する拙稿】

在日の古代史(1)―古代渡来人と広開土王碑改竄 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/07/01/9598436

高句麗―韓国か中国か          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/09/28/3787613

任那は歪曲??           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/04/09/7608023

高句麗広開土王碑は全世界人民のもの   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/08/22/6954699

「韓」という国号について(1)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/05/09/7630067

「韓」という国号について(2)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/05/14/7633517

「韓」という国号について(3)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/05/19/7636889

「韓」という国号について(4)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/05/24/7645246

「韓」という国号について(5)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/05/29/7657652

「韓」という国号について(6)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/03/7661140

「三韓」の用例(1)―中国古代     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/08/7664404

「三韓」の用例(2)―朝鮮古代     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/13/7667715

「三韓」の用例(3)―日本古代     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/18/7671200

「三韓」の用例(4)―朝鮮古代金石文  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/22/7678138

「三韓」の用例(5)―中国古代金石文  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/26/7680561

「三韓」の用例(6)―沖縄金石文    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/30/7690495

「三韓」の用例(7)―朝鮮王朝実録   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/04/7697561

「三韓」の用例(8)―近代日本     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/10/7704555

「三韓」の用例(9)―「三韓」で一つの言葉  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/14/7707210

「三韓」の用例(10)―まとめ     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/18/7709750

「朝鮮」という国号         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/09/21/7802232

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック