歴史の三分法論2007/04/28

> 1。ヨーロッパ以外にはうまく当てはまらない。 >  「アジア的、古代的、封建的、近代ブルジョア的生産様式」という発展段階は日本史以外にはうまく当てはまりません。 >  中国は「封建的」がなかったがゆえに、自立的に近代ブルジョア的生産様式にいたらず現代に至っています。とすると、中国は古代以前、古代、近代の3区分になるのでしょうか?タイ王国なら、それですむと思うのですが。 > 古代が長すぎませんか? > イラン、イラク、トルコ、エジプトなど中東地区も同様に考えるべくでしょうか?

 このマルクスの発展段階説は、拙論で論じましたように全人類史的=全世界史的に見た歴史であって、個々の地域や民族の歴史ではありません。  従ってヨーロッパ諸国でもそれぞれの国での歴史でも当てはまらず、ましてや日本史にも当てはまらないでしょう。

>2.そもそも、古代以前を「アジア的社会」というのは用語として適切ではないでしょう。奴隷制は経済的制度というより、異民族の戦争によると思います。 > インドのカーストはアーリア人の征服により、先住民を最下層のスードラとしたのが始まりと、バラモンの経典には出ています。 > 南米のインカ以前の考古学的遺物にもいけにえとしての奴隷らしきものが見つかってます。奴隷制社会とか、世界史に通じる用語がないのでしょうか?

  「アジア的」については、拙論で論じていますように、19世紀ヨーロッパの認識です。それが現在にも通用するものかどうか、また地理的認識を歴史上の概念の言葉に使うことが適切かどうかは、それぞれの研究者の意見です。なお「アジア的」は奴隷制より以前の段階として設定されています。

>3.何を持って古代というのか?古代以前と区分する指標がよくわかりません。 > 古代以前の開始は農耕の開始を持って歴史の開始と見ることができますが、古代と、中世の区分が見えません。西欧ではローマまでを古代としてますが、中国で似たような例を探すと、秦漢王朝までを古代とするか、隋唐王朝までを古代とするか分かれるところでしょう。 > 東ローマは西ローマ滅亡後も続き、古代なのか?中世へ入るのか? > インド史ではアラブ進入以前をもって古代の終わりとしていますが、根拠は知りません。日本史では鎌倉時代から中世とする様ですが、ここに社会進歩はあるのでしょうか?

 これは個別の歴史をよく勉強して、ご自分の意見を作ってください、としか言いようがありません。私の意見は書きますと長くなります。拙論で大雑把に論じておりますので、お読みください。

(参考)http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daigodai  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokudai  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuudai

> そもそも歴史は社会科学なのでしょうか?という疑問があるからでしょうが、 >  辻本さんの歴史区分を教えてください。

 拙論で「私は「西欧中心の発展段階説」が正しさを有していると思っている」と論じている通りです。西欧で発生した資本主義・民主主義・法治主義を最高到達点として考え、これに至る過程を全世界史としてとらえる見方です。この説が個々の地域史や民族史にそのまま当てはまらないということは上述しました。