矛盾 ― 2018/05/31
韓国人が反日と親日という矛盾した態度をとることについて、作家の関川夏央さんは『「世界」とはいやなものである』(NHK出版 2003年7月)で、次のように書いています。
(韓国の作家や文人が)非公式の席ではまことに心優しく、かつユーモアに富んだひとびとなのに、ひとたびかりそめにも公的なにおいのする席につくと、卒然攻撃的かつ演劇的な雄弁家になりかわる現象をうんざりするほど経験していたからである。 ただの人であった彼らが、にわかに民族や国家を代表するえらい人になる、それも文芸家の仕事なのだろうか、といぶかしむことさいさいだった。
知識人たる作家たちは‥‥相手が日本となれば、これは日本批判か日本との異質性の強調と相場は決まっている。 日本批判ならば国内に誰ひとり反対者はなく、日本では聞いていなくてもみな聞いたふりをしてくれるから、いかにも順当な話題である。 異質性の追究の方は、もともと両国文化は似ていると想定したうえで、部分的異質性を数えあげるという段取りが一般的である。 この傾向は日本にも根強いが韓国ではいっそう著しく、『「縮み」志向の日本』などの俗論から、最近は『万葉集の謎』といった愚論もしくはこじつけまで脈々と絶えない。 (以上、239頁)
これに類する体験は、韓国人と実際に付き合った日本人ならば、しょっちゅうあることです。 日本人はこれを矛盾と感じるので、多くは当惑します。 だから韓国なんてコリゴリだと遠ざかる人がいれば、いつかは分かってくれるだろうとのんびり構える人もいます。 またこういった反日発言を喜んで受け入れて連帯しようとする日本人もいます。
ただ韓国人自身がこれをどう考えているのか、あるいはどう自己分析しているのか、そこがなかなか分からないところです。 そんなことは当の韓国人に聞いたらいいじゃないかと言われるかも知れませんが、これはなかなか難しいです。 なぜならそれは相手の矛盾を指摘することになるのですが、“確かに矛盾ですね”と聞いてくれる韓国人はなかなか見当たりません。 逆に反撃されることが度々です。
ところで日本人にはこんな人はいないと声高に言う人がいるようです。 しかしこれは間違いです。 日本人でも矛盾した主張をし、それを指摘されると逆ギレする人は結構います。 私の経験では、ちょっと昔ですが解放運動がそうでしたねえ。
一般人と同じように待遇しないのは差別だから同様に扱えと主張しながら、他方では自分たちは差別されているのだからと特別扱いを要求する。 しかし当人たちはこれを矛盾とは思っていませんでした。 もし「これは矛盾じゃないですか」などと口にしたら、お前は差別者だと糾弾される時代でしたから、じっと黙るしかなかったものです。 集団的・組織的な逆ギレには、個人の力では対応が難しいです。
【拙稿参照】
「同じ」と「違い」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuuhachidai
韓国の対日感情は理解が難しい http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/29/8813934
韓国人の対日感情 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/01/12/8317218
韓国人のアンビバレントな感情 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/01/8690297
韓国の反日感情はいつ形成された? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/08/8698008
反日意識はどのように継承されたか―植民地時代 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/04/03/8817737
世界で唯一日本を見下す韓国人 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/10/06/8216253
日本を見下す韓国(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/12/22/8285733
コメント
_ A.OTA ― 2018/06/01 03:23
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関川さんなんかが言及される「矛盾」の背後にはこういったアイデンティティ形成意識の違いがあるように思いますね。