韓国の法意識 ― 2007/11/10
07年4~5月頃の韓国で大きな話題になったことの一つに、財閥総帥による報復暴行事件があります。日本ではほとんど報じられませんでしたが、あらましは次の通りです。
韓国第9位の大財閥[ハンファ(韓華?)グループ]の会長の息子が、飲み屋のトラブルで喧嘩し、怪我をして帰宅。それを見た会長が激怒して、自社員や私設警護員ら30人を引き連れて報復。それも車で工事現場等に連れ出して暴行、また別の場所へ連れて行ってまた暴行と、これを3回繰り返すという執拗さ。 ついに犯行がバレて逮捕となった事件です。
事件の経過はともかく、韓国の朝鮮日報の社説でこの事件が取り上げられました。そのなかで次のような一文がありました。
>金が多ければ多いほど、権力が大きければ大きいほど“適法”よりは“適正”の基準を満たさなければならない。しかし今度の金会長の行動は、法的には不法であるだけでなく、常識では想像することはできない。>(5月11日付け、訳は辻本)
ここで注目してほしいのは「“適法”よりは“適正”の基準を満たさなければならない」という部分です。
「適法」かどうかは法律というかなり客観的な基準があるのですが、「適正」というのはある人には適正に見えても他の人には不適正と思われる可能性があるもので、主観的です。 しかしこの新聞の論調の前提には、主観の方を重要視し、逆に法律を軽視する考えがあるようです。
日本では法律を守ることが第一で、これが適正かどうかの決め手となるものです。少なくとも適法と適正とは矛盾しません。 ところが韓国では違います。「適法」と「適正」が矛盾した関係にあり、「適法」よりも「適正」を優先する考えなのです。
韓国の大手紙、しかも社説にありますから特殊な考えではなく、一般社会にも染み込んでいる法意識と思われます。
(参考論考) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuuichidai の追記 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuugodai の註5
コメント
_ (未記入) ― 2012/04/30 14:03
_ 辻本 ― 2012/04/30 20:28
_ 77walker ― 2012/04/30 23:41
出自をある程度示す方が、どういう人間の意見がはっきりするかと思うので、
簡単に自己紹介させていただきます。
私は父が車関係の仕事をしていたため、80年代は米国で生活をしました。
基本的に、米国の米国に都合の良い社会教育を受け、貿易摩擦が盛んな時代だったこともあり、教育や、マスメディアに対して懐疑的な立場です。
こういう背景から、左翼思想に当てはまるような思想をこれまで持っていましたが、反日に関する内容を読み、右翼思想を持つ人々の中の言い分にも一理あると最近自分の考え方のバランスを再考中です。
また、自分自身、日本に帰ってから日本語に自信が無く・常識を共有できていない、などの理由で、完全に馴染めなかった学生時代を経験し、自分のアイデンティティーに悩むことがあったので、マイノリティの苦しみについては共感的に捉える傾向があると思います。
韓国問題については、去年になってはじめて韓国ドラマを見て、一時期はまり色々見ている間に、日本を憎むような発言に何度か出会い、不思議に思い調べるようになりました。
マイノリティに類するので、立場の違いから批判のような書き込みをしていますが、少し変わった経験からの意見として、こういう見方もあるのだと汲んでいただけると幸いです。
_ 77walker ― 2012/04/30 23:58
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日韓対立・在日を巡る世論問題の理由や概要を知りたくて比較的に中庸な視点で緒論に触れられている辻本様の論考を参考に勉強させていただいています。
ところで、この件については、他の記事に比べて、少し揚げ足取りなのではないかという印象を受けました。
>金が多ければ多いほど、権力が大きければ大きいほど“適法”よりは“適正”
という朝鮮日報の社説に対し、
"韓国は個人の主観になる「適正」を優先させるようだ"
とありますが、私はこの記事をこう読みました。
韓国では、権力者は今でも強い階級社会構造を継承していて、権力の維持・拡大の為に、昔の王貴族並みに力任せな横暴を働くことも辞さないところがあるようですが、当然、その横暴が世間に広まるようなことがあれば本末転倒になるので、それらを行うときは、世間に目に触れることがないように圧力や暴力をもって情報封殺を行ったり、法の目を潜るよう裁判では偽証をもって行うわけです。そのせいで、韓国の庶民の間では、依然として「権力者は不可侵」の存在として恐れ、また敬い、階級社会が存続しているように思います。
さて、その状況で辻本様が言われているように「法よりも個人の主観に基づいた適正を」といったことがこの批判記事の趣旨であるならば、果たして批判の力があるのかないのかわかりません。
私は、そうではなく、この記事は「力があれば法はいくらでもかいくぐれるだろう、だが力を持つものこそ、社会の正道に照らし合わせて行動してほしい」というのが趣旨のように思うのです。
つまり、この記事内での「適正」という意味は、本人の主観を離れた「社会的に認められるような適正」だと感じました。
私は、辻本様のこれまでの中庸な視点を見ると意図的に穿った見方を公表される方では決してないと感じているので、どうも単純にここでの文脈で言う「適正」という言葉が含むニュアンスが異なる可能性を見落とされているような気がします。
「適正」という言葉は、日本人の私でも、いまいちはっきりしない言葉です。
しかし、「正道に適す」という文字通りの意味であるならば、あくまで「社会的な正道」として理解し、「個人の主観による正道(弱いものは悪である、という論理も主観では正道と捉えられる可能性があります)」という理解はすべきではないと思います。
辻本様の理性的で客観的な論考は、混乱が生み出す暗い闇を照らす光を紡ぎ、今後の日韓の架け橋を担うことになるものであると感じています。
お互い、悪いところを見ると、どうしても疑いのまなざしが押さえられなくなりますが、どうかその尊い中庸の視点をもって、苦々しい思いがあろうとその中庸を貫く感性・理性を曇らせないで頂きたいと、まだまだ無知で未だ日本のために何も有効なことが出来ていない私は心から願ってやみません。