情けない日本の古代史学者 ― 2010/10/02
こんな記事を読みますと、一部のことなのですが、日本の古代史研究者の情けない姿が見えてきます。
>日本神話は韓国が起源、日本の学者も認めた!―韓国メディア
>ソウル市内の国立中央博物館で4日、韓国の檀君(だんくん)神話と日本の建国神話を比較考察する「檀君の建国神話は、日本の建国神話の母胎」と題した学術会議が開催される。この席上で発表されるアジア史学会会長の上田正昭氏の論文が30日に事前公開され、韓国では「天孫(てんそん)が空から降りる韓国と日本の神話には類似性が多い」との記述に注目が集まっている。
>複数の韓国メディアは、日本の建国神話は、韓国の檀君神話の影響を大きく受けており、この事実は韓国だけでなく日本史学界でも認められていると報じている。
> 日本神話は、主に8世紀初めに書かれた「古事記」と「日本書紀」の記述がもとになっている。「国産み(くにうみ)」とよばれる国土創世譚では、イザナギとイザナミの男女の神が地上に降り立ち、日本国土を形づくる多数の子を生み出したとされる。「天孫降臨」はアマテラスの孫であるニニギが、日本の国土を統治するため地上に降臨したという説話。
>一方、檀君は13世紀末に書かれた「三国遺事」に登場する伝説上の古朝鮮初代王。古朝鮮は紀元前2333年に檀君が開いたとされる伝説の国であり、韓国ではこの神話は「史実」として国定教科書にも記載されている。 >日韓の神話を比較研究してきた上田氏は、日韓の天孫文化には、山頂に降臨する点などをはじめ、共通点や類似点が多いと主張。さまざまな事実を検証し、百済の神の存在が、日本で継続的に命脈を受け継いできたと指摘してる。
>また同会議に出席する、京都産業大学文化学部国際学科の井上満郎教授は「韓国の檀君神話の桓雄(かんゆう)と伽耶(かや)の首露王は、日本神話に登場する天孫ニニギと同じような要素を持っている。日本の天孫降臨神話が朝鮮半島系・中国系ということは疑う余地がない」と述べているという。
>国際脳教育総合大学院・韓日天孫文化研究所所長のホン・ユンギ氏は、日本の建国神話は、天孫が降臨する檀君神話などをはじめとする話を織り交ぜて作られたものであり、「3種の神器」も「3種の宝器」として檀君神話に登場する。日本の代表的な民族学者、東京都立大学の岡正雄教授も、すでに1949年にこれを認める発表をしていると述べている。
>ホン所長は「日本最高の聖なる神宮という伊勢神宮を建てたときに、元の場所に祀った神は檀君を信奉していた朝鮮の神だったが、日本の国粋主義の学者が伊勢神宮の檀君信仰を抹殺し、天照大神を新たに主神とした」と主張している>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101002-00000012-scn-kr
このなかに出てくる上田正昭さん。私も大学の授業を受けたので、あまり悪く言いたくないのですが‥‥。
拙論の第20題「古代渡来人考」の追記の最後で、 「しかしそれ以前に、「神話」を定着させることを容認した現在の歴史研究者の責任が一番重いと思います。」 と書きましたが、この「研究者」というのが、まさに上田正昭先生です。
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuudai
先生は韓国・朝鮮に昔から肩入れされておられましたが、こんな記事を読むと、前とは変わっておられないというか、ちょっと情けない、と感じました。
金達寿の「族譜」 ― 2010/10/08
金達寿はもうお亡くなりになりましたが、古くからの有名な在日作家です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E9%81%94%E5%AF%BF
彼は戦前から作家活動をしているのですが、この初期の時(1941年11月)に『族譜』という小説を発表しています。 彼の自伝である『わがアリランの歌』(中公新書 昭和52年6月)には、次のような記述があります。
「ちょうど十年振りに見る故郷、父やそれから馬山の叔母のもとで亡くなった祖母の墳墓などがあるその故郷も故郷で、このことはのち『族譜』という作品に書かれることになるが‥‥」(191~192頁)
このように彼自身も、この小説を書いたことを認めています。ところがこれが彼の作品集には入っていないし、彼の略歴などにもなかなか出てきません。ちょっと気になっていたのですが、どのようにしたら入手できるのか分からなかったので、そのままにして置いたものでした。
このほど、これが国会図書館に収蔵され、インターネットを通じて入手できることが分かり、さっそく手続きして送ってもらいました。さすがインターネットですね。わざわざ東京に行かなくても入手できるなんて、これだけでも、もうビックリ。
読んでみて、なるほど彼自身が隠したくなるような作品だったんだなあ、と妙に納得しました。
族譜にこだわり、両班を自慢して、周囲の百姓たちを侮蔑する老人(叔父)を描いています。またその時に施行された創氏改名については、何等批判することなく、淡々と描いています。それに作品の内容以前に、作者名を「大澤達男」と、日本名のペンネームを使っているのです。
この小説自体の出来不出来の評価は私には手に余りますが、当時の朝鮮人たちが、創氏改名や族譜について、さらには日本の統治下にあったことについて、どのうような感覚をもっていたのか、を考えるのに、なかなか興味深いものと感じました。
戦後、朝連・総連などで左翼活動した彼には、戦前のこの小説はちょっとした傷になっていたのかも知れません。
韓国のマスコミが語る「中国の歴史歪曲」 ― 2010/10/17
韓国の有力紙『朝鮮日報』に次のような小さな記事がありました。 ちょっと興味をもったので、訳してみました。
>高句麗領土、朝鮮半島内に縮小し、渤海を唐の地方政権だと言い‥
>中国の歴史教科書 歪曲 深刻
> わが同朋が多く暮らしている中国延辺地域で、最も多く使う人民教育出版社など、中国歴史教科書7種類、総126冊を分析した結果、韓国史歪曲が深刻であることが分かった。
> 6日、ハンナラ党の朴ヨンア議員が東北アジア歴史財団から提出された ‘中国歴史教科書の我が国に関する記述の現況’ 資料によると、中国歴史教科書の大部分が高句麗の領域を朝鮮半島内に縮小して叙述していることが分かった。例えば中国四川教育出版社の中国歴史教科書は、魏・蜀・呉が対立していた三国時代の、魏の領土が朝鮮半島中部地方にまで及んでいたものと表示していた。東北アジア歴史財団側は「高句麗史の叙述と関連する歴史教科書の大部分が、高句麗の領域を朝鮮半島内に縮小した」と明らかにした。
> わが国の歴史も一部を貶下(侮辱の意味)した。唐の対外関係を叙述する際に、新羅が唐に進出した留学生や商人たちの為に設置した新羅坊を、まるで唐が設置したように記した。人民教育出版社教科書は「新羅は唐の制度を模倣し、政治制度を作った」と書き、渤海を靺鞨族が建国した唐の地方政権と規定したりした。>(2010年10月7日付け)
一読して、なぜこれが「歴史歪曲?」と疑問を抱きます。
高句麗の最盛期の最大領域は満州地域のかなり広い範囲を含みますが、末期になると朝鮮半島の北半部を中心とする地域に限られるようになります。
また魏が朝鮮半島の北部や中部に楽浪郡と帯方郡を置いて統治していたのは、いわゆる「魏志倭人伝」にある通り、歴史的事実です。
新羅坊を、本国である新羅が設置したのか、唐が設置したのか、何とも言えないところです。
新羅は律令制を敷きます。これは日本も同様ですが、おそらく導入当初の律令は中国を模倣した考えるのが自然だと思われるのですが‥。
渤海の歴史は、建国時について『朝鮮を知る辞典』(平凡社1986)から引用すると、「彼らは大祚栄を中心に、靺鞨人および高句麗人によって構成されていた。初め大祚栄は唐に対抗するため突厥に援助を求めたが、まもなく唐に渤海郡王に冊封された。以降渤海を国号とするようになる」とあります。靺鞨人の国と言ったら半分間違いであり、同様に高句麗人の国と言っても半分間違いということになりましょうか。
我々は歴史の歪曲と言えば、原史料の調査が不十分だったり、史料の取り上げ方が偏っていたり‥というようなことを意味しますが、韓国では歴史の見方が自分たちと違っていることを「歪曲」と言うようです。
歴史の見方というのは、個人でも百人百様、国によっても違うのが当たり前です。歪曲か否かは、歴史史料を実証主義的に厳密に取り扱ったかどうかで決めるべきだと思うのですが‥。
中高年女性の韓流ブーム ― 2010/10/30
日本の中高年女性の韓流ブームは、スゴイというか、そのエネルギーにビックリします。彼女らの韓国好きは、政治や社会問題とは全く懸け離れたレベルにあります。純粋に好きだから、という一点のみですねえ。
思い起こせば1970年代、韓国に興味がある人と言えば、かなり偏った人ばかりでしたねえ。韓国語学習に例をとると‥。
左翼・革新系のイデオロギーにかぶれて、朝鮮の統一や韓国の民主化に一役買いたいと思った人たち。あるいは、在日の民族差別問題に関わろうとした人たち。こういう動機で韓国語を勉強しようとした人は少なくありませんでした。私もその一人でした。
韓国のキーセンに溺れて、何とかコミュニケーションしたいと必死に韓国語を勉強しようとした中年男性たち。当時は、韓国のキーセン観光(=買春旅行)反対運動が盛んな時期でしたが、それをものともしない人がいました。なお、キーセン観光は日本男性だけでなく、在日の男性もかなりの割合でしたねえ。この事実を知って、キーセン観光はアジア女性に対する性侵略だ!!と主張する運動が白々しく見えたものでした。
このような数十年前の昔を知る私には、今の中高年女性の韓流・韓国語学習熱には、もうビックリ。その純粋性というか、無邪気さは疑うべきではありません。日本と朝鮮の関係史が常に「不幸な歴史」と表現される状況のなかで、この韓流ブーム現象は特筆すべき現象と言えます。
しかし、いい年をした女性が 「えー! 韓国はベトナムと戦争していたのですか?」 「何で北朝鮮と韓国の二つに分かれているの?いつ分かれたの?」などという発言を聞くと、単に好きなだけでなく、もう少し勉強してほしいなあと思っています。