民族差別と闘う運動への疑問を持ったきっかけ2012/04/07

 あれは何時のことだったろうか、1970年代後半頃だったかと思う。

 民族差別と闘う活動家のK君の運転する車に乗っていた時、警察の検問にかかった。警官が免許証の提示を求めながら「お名前は?」と問われて、K君は「Fです」と日本名を答えた。 私は、このK君が在日の子供たちに「本名を名乗れ」と強く迫っていたのを見ていたので、これにはビックリした。

 そしてこの事実を、同じく民族差別と闘う活動家のR君に話すと、「相手が警察ならそれでいいんだ」と言った。  私はこれにもビックリして、「だったら、相手によって本名を名乗ってもいいし、日本名も名乗ってもいい、ということか? 何が何でも本名を名乗らなければならない、という運動の考えは間違いなのか?」と疑問を呈した。

 この経験が、民族差別と闘う運動に対する疑問を持つきっかけとなった。

 次に、この運動団体は「天皇制こそが民族差別の根源だ」と、反天皇を主張し始めた。これにもビックリした。

 これを強くアピールした活動家Yさんは、天皇の名の下で朝鮮は併合され、朝鮮人は苦難の嘗め、日本人から差別された、民族差別を正当化するものが天皇制だ、というような論理を展開した。

 私は彼に「天皇制がなくなって共和制になると、民族差別がなくなるということか? 世界には君主制の国と共和制の国があるが、君主制には差別がすべからく存在し、共和制には差別が存在しないということか?」などと疑問を呈した。

 同じくYさんは「日本の単一民族国家観こそが民族差別だ」とも主張した。 私は「韓国や北朝鮮も単一民族国家だ、あなたの祖国も民族差別が強いということか?」と問うた。Yさんは「朝鮮は単一民族国家ではない、オランケがいる」となどと言っていた。 その時は私には朝鮮史の知識がなかったので、それ以上は言わなかった。

 それからしばらくして、オランケとは北方の女真族、満州族たちの蔑称あることを知った。その時にようやく、こちらに朝鮮に関する知識が乏しいことに乗じて、嘘八百言ったんだなあ、と分かった。

 その後、朝鮮史を独学で勉強していくと、民族差別と闘う運動家たちが語る歴史に、かなりの歪曲・虚偽が含まれることを知ることができた。   強制連行、創氏改名で日本名を強制された、朝鮮語の使用を禁止された、「鮮」「京城」は差別語である等々、このような歪曲・虚偽の歴史観に基づく活動が展開することに大いなる疑問を感じたものであった。

古代文化の記事に「独島(竹島)」が出てくる韓国の新聞2012/04/15

 韓国の『朝鮮日報』のなかに、「新聞は先生」という子供向けの記事が連載されています。4月12日付けでは、古代の百済文化の記事です。その冒頭文を訳してみました。

独島が自分の土地だと教科書で主張した日本が、政府の報告書でも同じ主張を繰り返して問題を引き起こしています。我が祖先が彼らに、より進んだ文物を伝えてあげたのだが、彼らは意地を張るので、もどかしく腹が立つほどです。今日は日本に先進文化を教えてあげた百済時代をたずねて、公州に行ってみましょうか?〉

 1500年も前の百済を説明するのに、いきなり現在の問題である「独島(竹島)」が出てきます。「独島(竹島)」は日本海にあって、百済とは反対側ですから、何の関係もないはずなのに何事か?と思って読んでみたら、  百済は日本に先進文化を教えてあげた恩人であるのに、「独島(竹島)」を自分の土地だと主張するとは‥‥!。この恩知らずめ!  という趣旨のようです。

 子供向けの記事に、こんなことを書くとはねえ。おそらく韓国では、このようなことが子供の時から刷り込まれているのでしょうねえ。  困ったものです。

自主的、民主的、平和的統一2012/04/22

 1970、80年代、北朝鮮は「自主的、民主的、平和的統一」を説いていました。

 この言葉だけを見ると、誰も反対する人はいないでしょう。

 しかし北の言う「自主的」とは、韓国からアメリカを追い出すことを意味します。  そして「民主的」とは、韓国に人民革命政権樹立することを意味します。  さらに「平和的」とは、韓国がこのような国になってこそ北と統一の話し合いができる、という意味です。

 つまり北の「自主的、民主的、平和的統一」は、南朝鮮解放路線をソフトに言い換えただけです。

 しかし日本では「自主的、民主的、平和的」という言葉だけをみて、北を支持する無邪気な人が多かったものでした。

 北の南朝鮮解放路線は今も継続しています。  核とミサイルを持つ軍事大国としてアメリカと対等に話をして、朝鮮半島に口出しさせない(自主的)  南に親北民主政権を樹立する(民主的)  この政権とのみ統一協議する(平和的)

 金正恩政権はこの路線を受け継ぎ、更なる軍事大国化を目指すと思われます。

和田春樹『北朝鮮現代史』2012/04/29

 最近出た『北朝鮮現代史』(和田春樹著、岩波新書)を購読。

 著者の基本的考えは、

(この)本を書き上げようとしていたとき、金正日委員長が亡くなった。日朝国交正常化を願ってきた日本人の一人として、私は、この10年間(小泉首相の北朝鮮訪問以降のこと)その実現を切実にのぞんでいたであろう隣国の指導者の死に対して悲痛な感情を抱かずにはおれなかった。〉(237頁)

とあるように、極めて北朝鮮寄りです。内容は客観的に書こうとしたみたいですが、やはり奇妙というか、理解できないところが出てきます。これを少し紹介してみます。

(朝鮮戦争は)朝鮮を統一民族国家として再建した、という民族主義者の願望を実現しようとはじめられた戦争〉(69頁)

 この本では、一方で「金日成と朴憲永は(1949年)八月、シトゥイコフ大使(ソ連)との懇談において武力統一への意思を明確に表明した」(51頁)とあるように、朝鮮戦争は共産主義者が一貫して準備を行ない、始めたものと記述していますから、矛盾したものとなっています。

 1970年代の韓国の民主化運動については、次のように記述しています。

韓国の民主化運動は北朝鮮と無関係ではじまり、無関係で進んでいた。北朝鮮はこの運動に影響力を行使することをめざし、工作員を送り込もうとした〉(141頁)

 北朝鮮が国家を挙げて韓国の民主化運動に「影響力を行使しよう」としたのですから、北朝鮮と全く「無関係で進む」わけがありません。  韓国の民主化運動は、その理念からすると韓国だけでなく北朝鮮の民主化にも取り組むべきものでしたが、その気配が全くありませんでした。民主化運動に北朝鮮の影響があったと考えるには、十分と思います。

 次に、これまた矛盾した記述。

結局、金正日は自分がもっていた国防委員会委員長、党総秘書、党軍事委員会委員長、最高軍司令官という四つのポストのどれ一つも金正恩に譲らずに死んだ。それは明らかに金正日がそうすべきでないと考えたからにほかならない。‥‥一二月三〇日、労働党中央委員会政治局は会議を開き、金正恩を人民軍最高司令官として「高く奉ったことを宣布した」と発表した。〉(234頁~235頁)

 金正日は12月17日に亡くなり、28日に国葬されたのですが、そのわずか二日後の30日に金正恩は「最高軍司令官」になっています。金正日は「そうすべきでないと考えた」はずのポストの一つです。この本では、偉大な金正日将軍様のお考えを党政治局が簡単にひっくり返した、ということになります。うっかりミスなのでしょうが、ちょっとお粗末ですねえ。

 これ以外では、拉致問題にしろ、韓国の天安艦事件にしろ、北朝鮮の代弁人のような記述が目立ちます。

 ところで拙論で、金日成が国民に「白い米と肉のスープ」が食べられるようになると約束したのは1962年としたのですが、 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/02/14/5680393    この本によると、それはもっと古く1957年12月20日に金日成が行った演説 「朝鮮人民は遠からず、白米のご飯に肉のスープをとり、絹の服を着て、かわら屋根の家に住めるようになるでしょう。これは空想ではなく、明日の現実です」 であることが分かりました。(95頁)  これだけが、この本を読んだ成果でした。