日本から親韓派がいなくなる(続)―西岡力2014/02/23

 西岡力さんの古い論考を紹介します。 20年以上前のものですが、日本の「嫌韓」現象が現れていることを論じたもので、今も通用するものです。

 西岡力「日韓に求められているもの」(『現代コリア327号』1992年12月号 18~21頁)

日本人と韓国人はケンカの仕方が大きく異なっている。‥‥韓国人のケンカは口ゲンカが主であり、お互いに相手に対する不満はその場ですぐに口にするのが普通だ。‥公開の席でたいへん激しい日本攻撃をしてくる韓国人たち‥‥   一方、日本人は出来るだけ相手に対する不満の表現を抑えるように努力する。いやな気持ちでいても、それを言葉で表すことをできるだけ避け、表情や言いまわしなどでそれとなく相手に伝えようとする。‥いよいよ我慢の限界を超えた場合に初めて、直接的な表現で不満を表現し、それは相手との関係を切るという意思表示を意味する。

日本人は十余年間、日韓関係において我慢し続けてきたといえる。それがいよいよ限界に近づいてきており、直接的な物言いで韓国批判をする人が増えているのはその結果なのだ。

全斗煥政権から盧泰愚政権までの約十年以上の間、韓国の対日外交は公的な席上において日本を攻撃し、そして日本から何かを引き出すという、言ってみれば「糾弾外交」のようなスタイルを取ってきた。‥‥日本側は、過去「加害者」であったという負い目、こちらの方が大国なのだから少しは無理をいわれても耐えるべきだという意識、とにかくその場のトラブルをしのぎたいという姿勢などの結果、韓国側の問題点への指摘をかなり控えてきた。‥‥日本側がこれまでやるべきことをやってこなかったことは事実であるから、まずその点を自らの手で正すことを先に行なう。そうすれば、その誠意が韓国側にも伝わるはずだ。

まず日本側がやるべきことをすべきだという考え方が日本側関係者にあって、かなりの努力をしてきた。     しかし、どうも結果はまったく逆に動いてしまったかのようだ。‥韓国は日本から何かの譲歩を引き出すには、交渉の席で「過去」を語って糾弾するのが得策だという、対日交渉術が定着しつつあるかのようにさえ見える。

日本人のなかで「嫌韓」感情が広がっているのは事実であるが、その中には多くの韓国人は日本人を仇のように憎みつづけていて、韓国人に会うのは危険であるかのようにさえ思っている向きもある。‥そのような誤った認識に基づく「嫌韓」感情は、あまり心配する必要はない。ウソは事実を前にすれば崩れていくものだからだ。

それよりも心配なのは、韓国と何かの関係を持って数年以上経つ日本人たちが、もう我慢できない、もうやめたい、と口をそろえて語っている点なのだ。これは理由のある摩擦であるので、一度そうなった人の認識を変化させるのはたいへん困難だ。

事実は事実として最初から表に出して置くことが、結局は摩擦の大きさを必要以上に大きくしないことにつながるのだ。そういう問題意識に立って、私は「本名を使い礼儀を尽くした上での韓国批判」こそが日韓友好のために今、日本人に求められていることだと考えている。

  「韓国は日本から何かの譲歩を引き出すには、交渉の席で「過去」を語って糾弾するのが得策だという、対日交渉術が定着しつつあるかのようにさえ見える」 というのはその通りですが、今は「見える」という段階をとっくに過ぎて現実となっています。

  「それよりも心配なのは、韓国と何かの関係を持って数年以上経つ日本人たちが、もう我慢できない、もうやめたい、と口をそろえて語っている点なのだ」 という情況は、20年後の今日の日本の姿と変わらないでしょう。 これについては先に紹介したように、韓国の記者が 「今はこのような親韓派の日本人たちがほとんどいない。会えば一様に韓国批判である。 このように今日本では親韓派・知韓派の元がなくなっている」 と記した通りです。   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/02/16/7223713     

 1990年代に教科書問題や従軍慰安婦問題が日韓の外交問題となった時、日本人の反韓感情の増大を憂慮する意見が韓国内で出ていました。 しかし今の韓国では、このような憂慮を表明することが難しくなっているようです。 従って現在は情況がはるかに悪くなってきていると言えるでしょう。

 ところで西岡さんが韓国を批判するのに「本名を使い礼儀を尽くした上で」と記しているのは正論です。 しかしこのブログ・HPでは匿名を使って嫌韓・反韓を露骨に投稿するレイシストたちがいます。困ったものです。