漢字を廃止した韓国で「知的荒廃」?-呉善花(8)2014/02/02

 呉善花さんは漢字の復活を主張しています。 しかし漢字のないハングルだけの文に馴染んでしまった韓国人には、もはや困難でしょう。漢字を見ただけで拒否反応を起こす韓国人が多いものです。 学校で漢字教育を復活させようとする動きもあるようですが、ハングル絶対主義者の方が強いと聞きます。

 呉さんは韓国語にも日本語のような漢字の訓読みを導入しようと提案しています (呉善花『漢字廃止で韓国は何が起きたか』PHP 2008年10月 84~92頁)。 その提案が現状の韓国社会で現実的なのかどうか、疑問です。 それが素晴らしい提案であっても、呉さんは民族の裏切り者扱いされていますので、韓国では聞く人はほとんどいないだろうと思われるからです。

 漢字復活を願うなら、私の考えでは以前のような「漢字ハングル混じり文」にして、漢字の部分に「ハングルで振り仮名」するのはどうだろうかと、いつも思っています。 韓国では1980年代までは漢字ハングル混じりの新聞・雑誌が発行されていましたので、これに馴染んでいた世代が残っています。 この世代は漢字をハングル読みしながら理解していました。 また今の世代では漢字は読めなくても、こちらが漢字をハングルで読んで聞かせてやると理解できます。 つまり漢字は目で理解できないが、耳では理解できるのです。 とすると漢字に「ハングル振り仮名」すれば、この漢字は目で読んで理解できることになります。

 振り仮名機能は日本語ワードソフトにありますので、これを使えば「ハングル振り仮名」は可能です。 ただし日本語用のソフトにハングルを打ち込むことになりますから、ちょっと扱いにくいところがあります。 漢字語はハングルで打って漢字に変換した後、振り仮名機能で再度ハングルを打ち込むのですが、この作業が煩わしい。もっと簡単に漢字変換できて、同時にその漢字の振り仮名がハングルで表記されるような機能があればいいのだが‥‥と思います。 それはともかく、「ハングル振り仮名」は今のワードでも作成可能です。

 「ハングル振り仮名」があれば、韓国人は漢字の知識がなくても読めますしまた漢字にも馴染めるでしょう。 呉さんのように漢字に訓読みをしたければ、そのような「ハングル振り仮名」をつければいいように思われます。 一方で韓国語を学ぶ日本人は、ハングルで表記された漢字語を元の漢字に変えながら読みます。 だから漢字語は漢字で表記してそれに「ハングル振り仮名」を付ければ、日本人には漢字を読んで理解できるし韓国人は「ハングル振り仮名」を読んで理解できることになりますから、双方ともに利益となります。 このあたりが妥当なところじゃないかと思うのですが‥‥。

日本から発信するハングル文はかつてのような「漢字ハングル混じり文」にして、漢字には「ハングル振り仮名」を付ければどうでしょうか。  しかしここまで主張してしまうと、憶測・妄想と言われるかも知れません。

漢字を廃止した韓国で「知的荒廃」?-呉善花(9)2014/02/05

 韓国が漢字を廃止しましたので、漢字語はハングルで表記されます。このために韓国人は漢字を読めなくなってきました。このことによって、漢字を知っていればあり得ないような間違いが出てきます。

 インターネットでよく取り上げられるのが、韓国の国旗の太極旗に付されたキャプションです。清の李鴻章が1886年(明治19)に作成した『通商章程成案彙編』には韓国の最古の太極旗が掲載されているのですが、このキャプションに「大清国属 高麗国旗」とあります。漢字を知らない韓国の若者がこれを紹介したらしく、中国の属国であることが分からなかった例として、日本のインターネット上では揶揄されています。

 日本人では漢字を知っていますから、このようなミスはありません。故意になります。例えば沖縄の「守礼門」。この門の名前のなかの「礼」とは、中国皇帝の徳を慕って朝貢し礼儀を尽くすという意味ですから、守礼門は沖縄の琉球王朝が中国の属国であったことを示すものです。沖縄県ではこの守礼門を県の文化財に指定しており、また日本政府は二千円札のデザインにしました。

 この門が中国属国の象徴であることは、日本人は漢字解説が読めますから、十分に知っている話です。一方中国では今、沖縄が我が領土だとする主張が拡大しています。すると彼らが守礼門に注目し、日本も沖縄が元々我が中国のものであったと認めているではないかと主張するのは時間の問題でしょう。

 韓国人は漢字を知らないから中国の属国であったという歴史が分からないと揶揄する前に、我が日本では漢字を知っているからこそ中国属国の象徴を文化財に指定し、紙幣のデザインにまでしていることを考えてみたらどうだろうかと思います。

 以上のことは兎も角として、古い昔に属国であったかどうかなんて、歴史の興味に留めるべきものです。歴史のことで他国・他民族を揶揄嘲笑するではありません。それはレイシストがやることです。

漢字を廃止した韓国で「知的荒廃」?-呉善花(10)2014/02/08

 韓国で漢字が廃止されて数十年が経っています。漢字語はすべてハングルで表記されています。韓国人は漢字語を漢字はなく、ハングルで理解しているのです。ハングルは表音文字ですから、漢字語は漢字では読めなくても、聞くと理解できるというのが現状ということになります。

 今は漢字を知る世代が少なくなっていますので、ハングルで表記された漢字語が間違っている例が多くなっているようです。朝鮮日報の2014年2月3日付けの記事によると、弊害の「폐해」を「폐혜」としたり、辛辣の「신랄」を「실랄」、 毀損の「훼손」を「회손」とするような間違いが、文字や文化を仕事とする人たちにまで広がっているとのことです。

 これは自分が聞いたり発音する通りに書き表したが故の間違いで、漢字の読み方を知っていれば間違えるはずのないものです。学校の試験でこれを書けば当然「×」をもらいます。ところがこの類の間違いが、いま韓国社会で広がりつつあるのです。

 韓国では一つの漢字には一つのハングルが対応します(例外はありますが、極めて少数)。すると対応するハングルが間違っていれば、元の漢字に戻すことが難しくなります。

 漢字に戻すという作業が、今や韓国人には出来なくなっていますので、上述したように、漢字のハングル標記の間違いが頻発するようになってきました。一つの漢字に一つのハングルが対応するという原則が、これからはどんどん崩れていくものと思われます。

 日本人が韓国語を読んでいく場合、ハングル表記の漢字語は元の漢字に戻しながら読みます。漢字の音読み・訓読み以外にもう一つハングル読みが加わったようなものです。ですから漢字語のハングル表記が間違われると、漢字に戻すことが難しくなります。

 しかし韓国ではこれからこのハングル表記の間違いが増えていくと予想されますので、我々としてはますます読み難い韓国語となっていくことは確実でしょう。

漢字を廃止した韓国で「知的荒廃」?-呉善花(11)2014/02/10

 日本人は漢字に慣れているため、もし漢字が無くなればどうなるかを容易く想像できます。だから韓国での漢字廃止に対して、その想像をもとに意見を述べる人が多くなります。すなわち日本人は漢字を廃止したらどれ程困るのかが分かるので、きっと韓国でも同じだろうと想像を逞しくするのです。そうであるからか、韓国について知識がなく或いは韓国語すら読めないような人でも、意見を言いやすいという傾向になるようです。

 韓国の漢字廃止は、70年近く前の1948年のハングル専用法に溯ります。この時に漢字廃止を定めたのですが、例外措置として漢字の使用を認めるとなりました。このとき以降は公文書では漢字語はハングルで表記され、括弧書きで漢字を挿入する方式が主にとられました。一方新聞や論文などでは漢字ハングル混じり文が主流となります。

 それではそれ以前はどうだったのか。その3年前の1945年までは日本の統治下でしたから公文書はすべて日本語で、漢字仮名混じり文でした。解放(日本の敗戦)後は、この仮名部分がハングルに置き換わる漢字ハングル混じり文となります。そして韓国建国時である1948年に、ハングル専用法(ただし漢字は例外的に認める)が打ち出されたのです。

 そして1960年代後半以降に学校での漢字教育が廃止されてハングルのみとなり、1980年代に新聞等でも漢字をほとんど使われなくなりました。つまり日常的に漢字を見ることがなくなったのです。

 ハングル専用法ができて70年、漢字を教わらなくなって50年、社会の中から漢字が消え去ってから30年経っているのです。

 韓国人はハングル専用で完全に慣れており、漢字への拒否感が出てくるほどです。しかし漢字語は表音文字のハングルで表記されて今も残っています。新聞等では使用語彙の70%ほどが漢字語ですから、漢字語は漢字では分からなくても耳で聞くと理解できるというのが現状です。

 漢字廃止により数十年前の漢字ハングル混じり文が読めなくなってきているのはその通りですが、それは時の流れです。日本で言えば、新漢字・新仮名の活字文に慣れた現代人が、旧漢字・旧仮名の崩し字を読めないのと同じです。日本人がちょっと専門的に勉強すれば旧漢字・旧仮名・崩し字を読めるようになるのと同じく、韓国人も専門的に勉強すれば漢字ハングル混じり文が読めるものです。

しかし韓国人が漢字を知らないことは、これまで祖先たちが数千年もの間親しんできた漢字が自分たちの文字ではないという感覚になりますので、過去との断絶が生じることになります。これでは困るというので、韓国では漢字復活論も出てきていますが、今のところ少数意見のようです。

 ハングル専用でいくのか、漢字が復活するか。どちらにしても我々日本人には関係のないことなのです。しかし漢字を復活してくれた方がハングル表記の漢字語をいちいち漢字に戻さなくてもいいですので、韓国語を読むのに楽になります。ただそれだけで、それ以上もそれ以下でもないでしょう。

 韓国に関する知識が乏しく、韓国語も分からない日本人が何故かしら韓国の漢字問題に意見を持ちたがるのには苦笑するしかありません。

韓国の性犯罪は半減(2)2014/02/13

 先に韓国のKBSニュースで、性犯罪が半減したというニュースを紹介しました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/01/17/7195563

 その続報が、同じくKBSニュースで報道されましたので紹介します。翻訳は辻本です。

性暴力被害を受けた比率が、最近3年の間に半分ぐらいに減ったとしました。「本当か?」という疑問を持つ方たちが少なくないようです。繰り返される性暴力事件報道に接するたびに、さらにそう考えられます。しかし政府の公式的な調査結果では、性暴力被害が減少したという結果となったのはその通りです。女性家族部が全国の満19歳から63歳の国民3,500人を、昨年8月から10月まで3ヶ月間調査した結果です。

性暴力被害経験とそれに対する対応、性暴力に対する意識等、敏感な内容を問うだけに、対象者たちに実際に面接調査するやり方で進められました。3年ごとになされる調査で、国家統計で公式記録されるぐらいに結果の信頼度が公認されています。

調査結果を具体的にみましょう。対象者たちがこの1年の間に経験したと答えた性暴力被害の割合は、類型別に見れば淫乱電話27%、性器露出1.7%、セクハラ1.4%、強姦0.1%等でした。1年間だけでなくそれまでの人生経験で被害を受けたという比率は、淫乱電話51%、性器露出21.3%、セクハラ9.9%、わいせつ行為5.3%等でした。淫乱電話と性器露出の割合が相対的に高いことが分かります。

このような類型をすべて含めて性暴力被害を経験したという割合は、前に調査した2010年の2.9%から昨年は1.5%を記録して、半分近い水準にまで減りました。またこれまでの人生経験のなかで被害を受けたとする割合は19.6%から10.2%に減り、同じく半分の水準を見せました。

理由は何か?様々な分析が可能ですが、何よりも注目されるのは大幅に強化された性暴力犯罪処罰です。2008年、児童常習性犯罪者に対する電子バッジがされたのに続き、2011年には児童・青少年相手の性犯罪者に対する身分公開と満16歳未満を相手にした性犯罪者に対する化学的去勢制度まで導入されました。特に化学的去勢の場合、昨年3月からは被害者の年齢に関係なくすべての性暴犯罪者に適用することができるようになって、対象が大幅に拡大されました。

このような強力な処罰が、効果があったのか?2011年~2013年の間に身分公開された後、児童・青少年相手の性犯罪者がまた同じ犯罪を犯す再犯率は0.1%に過ぎませんでした。電子バッジは、やはり2008年施行以降の4年間、電子バッジを着用した性犯罪者がまた同じ犯罪を犯す割合は2.08%で、制度施行前の3年間の再犯率14.8%に比べて8分の1近く減ったという研究論文もあります。

今度の調査の回答者たちは、性暴力減少のためにすべき政策は第一番に「加重処罰などの加害者に対する法的措置強化(29%)を選びました。実証的データが提示されたなかで、国民的共感が得られているだけに、性暴力犯罪に対する強力な処罰の方向はこれからも続いていくものと思われます。

しかし、ここで看過してはならないものが一つあります。性犯罪者に対する厳格な処罰も重要ですが、処罰の後になされる治療や再教育も重要だという点です。処罰の究極的な目的は単純な断罪や懲戒を超えて、再発を防ぐことにあるということを忘れてはなりません。

성폭력 피해를 입은 비율이 최근 3년 새 절반 가량 줄었다고 합니다. '정말일까?'하는 의문을 갖는 분들이 적지 않을 듯합니다. 잊을 만하면 터지는 성폭력 사건 보도들을 접할 때면 더욱 그렇습니다. 그래도 정부의 공식적인 조사 결과상으로는 성폭력 피해가 감소한 것으로 나타난 게 맞습니다. 여성가족부가 전국의 만 19세~63세의 국민 3500명을 지난해 8월부터 10월까지 석 달 간 조사한 결과입니다.      성폭력 피해 경험과 그에 대한 대응, 성폭력에 대한 의식 등 민감한 내용을 묻는 것인 만큼 대상자들을 직접 만나는 면접 조사 방식으로 진행됐습니다. 3년마다 이뤄지는 조사로, 국가 통계로 공식 기록될 만큼 결과의 신뢰도가 공인돼 있습니다.      조사 결과를 구체적으로 볼까요? 대상자들이 지난 1년간 겪었다고 답한 성폭력의 비율을 유형별로 보면 음란 전화 27%, 성기 노출 1.7%, 가벼운 성추행 1.4%, 강간 0.1% 등이었습니다. 평생 동안의 경험 비율은 음란 전화 51%, 성기 노출 21.3%, 가벼운 성추행 9.9%, 성희롱 5.3% 등이었습니다. 음란 전화와 성기 노출의 비율이 상대적으로 높은 것을 알 수 있습니다.       이 같은 유형들을 모두 포함한 성폭력을 겪었다는 비율은 앞선 조사 시기였던 2010년 2.9%에서 지난해는 1.5%를 기록해, 절반 가까운 수준으로 줄었습니다. 평생 동안의 성폭력 경험 비율 역시 같은 기간 19.6%에서 10.2%로 줄어, 마찬가지로 절반 수준의 감소세를 보였습니다.       이유가 뭘까요? 다양한 분석이 가능하겠지만, 무엇보다 주목 받는 것은 대폭 강화된 성폭력 범죄 처벌입니다. 2008년 아동•상습 성범죄자에 대한 전자발찌가 도입된 데 이어, 2011년에는 아동•청소년 성범죄자에 대한 신상 공개와 만 16세 미만을 대상으로 한 성범죄자에 대한 화학적 거세 제도까지 도입됐습니다. 특히 화학적 거세의 경우 지난해 3월부터는 피해자 나이에 상관 없이 모든 성폭력 범죄자에게 적용할 수 있게 대상이 대폭 확대됐습니다.       이런 강력한 처벌이 효과가 있었을까요? 2011년~2013년 사이 신상이 공개된 뒤 아동•청소년 성범죄자가 또다시 같은 범죄를 저지른 재범률은 0.1%에 불과했습니다. 전자발찌 역시 2008년 제도 시행 이후 4년간 전자발찌를 착용한 성범죄가가 다시 같은 범죄를 저지른 비율은 2.08%로, 제도 시행 전 3년간 재범률 14.8%에 비해 1/8 가까이 줄었다는 연구 논문도 있습니다.        이번 조사의 응답자들 역시 성폭력 감소를 위해 요구되는 정책의 1순위로 '가중 처벌 등 가해자에 대한 법적 조치 강화(29%)'를 꼽았습니다. 실증적 데이터가 제시된 가운데 국민적 공감대까지 형성돼 있는 만큼 성폭력 범죄에 대한 강력한 처벌 기조는 앞으로도 계속 이어질 것으로 전망됩니다.       하지만 여기에서 간과해서는 안 될 한 가지. 성범죄자에 대한 엄격한 처벌도 중요하지만, 처벌 이후 이들에 대한 치료와 재사회화 역시 중요하다는 점입니다. 처벌의 궁극적인 목적은 단순한 단죄나 응징을 넘어 범죄의 재발을 막는 데 있다는 것을 잊지 말아야 할 것입니다.

 韓国は性犯罪に対してかなり強力な対策をとってきました。今その効果が現れてきているようです。  韓国に比べて日本の対策はいかがなものか。韓国のようにもっと強力な対策があってもいいのではないか、と思います。

 日本は韓国に比べれば性犯罪は少ないとは言えますが、本来あってはならない犯罪です。かの国の性犯罪は多いんだとして、溜飲を下げるような論調は困ったものです。

【拙稿参照】

韓国の性犯罪 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/08/31/6560292

『SAPIO』の間違い記事 「韓国の強姦は日本の40倍」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/11/09/6628993

韓国における強姦と強制わいせつ件数 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/03/17/6748307

韓国の盗撮事件   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/07/02/6884663

韓国の盗撮事件(2)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/07/09/6895271

韓国の盗撮事件(3)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/08/29/6964341

日本から親韓派がいなくなる―『週間朝鮮』2014/02/16

 韓国の週刊誌『週刊朝鮮2293号』(2014年2月10日)に、JPニュース代表のユ・ジェスンさんという方の論考があります。韓国の記者が書く記事としては、ちょっと異例的なものなので紹介します。

‥‥昨年の年末に、日本の記者たちと忘年会をした。‥‥韓国語を忘れないために2~3ヶ月に一回は韓国に旅行するという朝日新聞の記者が酒に酔って心の内を滝のようにぶちまけた。      「‥‥一体これからどうしようというのか?安部首相も正気ではなく、朴槿恵大統領も決して一国の指導者らしくなく、言行が軽く、日本に不満があるなら日本に直接当たって言えばいいものを、何故外国にまで行って人のことを言うのか。 怒らせることもないのに。 今は失望して、これからはもうこれ以上私的に韓国を訪問することは絶対にしないぞ!」 他の記者たちの話も、これに似ていた。

最近いわゆる親韓派の日本人たちに会えば、昨今の韓日関係について切々と訴えたり、そうでなければ韓国特派員を経験した記者たちのように両国関係が ‘うんざりする’ という表現をしょっちゅう使う。 過去にはある問題で韓日両国が対立することがあれば、彼らは一部の右翼政治家の歴史認識の不足から来るものだといって、韓国の立場に立って話したりしていた。 実際に日本の記者たちは、記事やコラムの形で韓日関係の歴史について無知の日本人たちに理解を求めようとしたし、親韓派の外交官たちはどうすれば両国が仲良く関係を続けることができるか、お互いの情報交換はもちろん民間交流にも先頭に立って来た。     しかし今はこのような親韓派の日本人たちがほとんどいない。 会えば一様に韓国批判である。 このように今日本では親韓派・知韓派の元がなくなっているのである。

現在韓国人の立場から最も深刻なことは、これまでの数十年間、韓国と韓国人に対して愛情をもって交流してきた親韓派の日本人たちが背を向けていることだ。 それでも韓国言論の東京特派員たちは、彼らの切なる訴えなんかに目もくれてやらない。 彼らが背を向ける理由が、明らかに一定部分われわれにあるのだが、韓国の言論メディアのどこもこれに関心がない。

先週会った複数の韓国の特派員はこのように話した。 「本当に韓日関係は深刻だ。歴史問題では我が韓国が正しいのだが、李明博前大統領の独島訪問過程で出てきた国王(天皇のこと)謝罪要求発言は時と場所がそれだけに‥。 独島が我が土地だという事実だけを象徴的に見せてやれば十分だった。 結局藪をつついて蛇を出してしまった。 また朴大統領が海外訪問までして日本を批判するのは、第三者から見ても決して大人とは言えない姿だった。 外交というのは時にはリップサービスもしながら、国益のために押したり引いたりの駆け引きを最大限しなければならないのだが、そのようなこともせず、外国との首脳会談でただひたすら批判からはじめるのは、かえって相手国に意地悪しているという結果をもたらした。」

特派員は実際に記事としてこのような話を書くことが出来ないと訴える。 もしあるがままに書いたら、すぐに(韓国の)読者たちから袋叩きに合うからという。 特派員本来の姿勢に戻って日本に対する肯定的な記事を少しでも書けば、どんなに正しい内容であっても「売国」というカテゴリーに捕われて厳しい罵倒を受けるというのだ。 日本の右翼が怖いのではなく、韓国の読者たちがもっと怖いというのである。

それだけでなくソウルの本社デスクでも「扇情的」な記事だけを望むという。 そのために韓国の読者たちは、一部の特派員による(日本人の)妄言一辺倒のニュースだけに接するようになり、日本全体を見るのではなく、扇情的な一部日本人だけを見るほかない。 このような悪循環が現在も続いているのである。

このような一連の繰り返しは後日、どれほど多くの人的・物的な国益損失に繋がっているか、それについて深刻に考える人たちが現在誰もいないという事実が、まさに大韓民国の不幸だということができる。

 韓国人記者でも日本についてこのように冷静に書く人がいるんだなあという感想とともに、これを書いたユ・ジェスン記者、本国で「売国」「親日派」と批判されないか、ちょっと心配になります。

実は韓・中を見下している「毎日新聞」社説2014/02/19

 毎日新聞の2014年02月17日付け社説 「オバマ氏訪日 すきま風吹く日米関係」 は、次のような文で締めくくられています。

http://mainichi.jp/opinion/news/20140217k0000m070079000c.html

 安倍政権は韓国や中国に対しては、成熟した民主主義国家として関係改善に積極的に動き、アジアに貢献する姿を示すべきではないか。世界が見ている。

 この社説自体ではあからさまに言っていませんが、「関係改善に積極的に動け」 とは、日本は歴史問題や靖国問題等で韓国・中国に譲歩せよということです。 なぜ日本側が譲歩すべきかについて、毎日新聞はわが日本が「成熟した民主主義国」であるからというのです。

 つまり毎日新聞の社説は、こちらは成熟した民主主義国である、しかし相手側は「成熟」しておらず或いは「民主主義国」ではないのだから、こちらが先に積極的に譲歩すべきだという主張なのです。

 これは細川・羽田政権時代の大蔵大臣、民主党鳩山政権時代の財務大臣だった藤井裕久さんがインタビューで、日本の外交は 「中韓は子供と思って我慢」 せねばならないと言っているのと変わらないものです。

「中韓は子供と思って我慢すればいい」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/12/27/7157809

 藤井さんは、こちらは大人なんだから子供みたいな相手にはこちらの方が折れてやらねばならないと主張しています。 実際に彼が政権の重責を担っていた時期の政権は、そんな考えで中国・韓国と外交をしたのでしょう。 「子供と思って我慢」という考えは毎日新聞の「成熟」論と同じレベルで、相手方を子ども扱い・未成熟者扱いするものなので、結局は見下しているのです。

 毎日新聞や藤井さんが求める日本の外交は、「金持ち喧嘩せず」という日本の諺を想起させます。 その意味は裕福な人は貧乏人と喧嘩しても損なだけだ、向こうの言うことは適当に聞いてやればいいというものです。 この諺が国家の外交の場で作用し、わが日本は先進国、相手は開発途上国なんだから少々の無茶なことでも聞いてあげねばならないというものです。 今回も毎日新聞は、これをしてあげてこそ「アジアに貢献する」ものだと主張したものです。

 毎日新聞の社説は韓国・中国を見下すもので、主権国家は対等であるという本来のあるべき思想からは程遠いものと言えるでしょう。

日本から親韓派がいなくなる(続)―西岡力2014/02/23

 西岡力さんの古い論考を紹介します。 20年以上前のものですが、日本の「嫌韓」現象が現れていることを論じたもので、今も通用するものです。

 西岡力「日韓に求められているもの」(『現代コリア327号』1992年12月号 18~21頁)

日本人と韓国人はケンカの仕方が大きく異なっている。‥‥韓国人のケンカは口ゲンカが主であり、お互いに相手に対する不満はその場ですぐに口にするのが普通だ。‥公開の席でたいへん激しい日本攻撃をしてくる韓国人たち‥‥   一方、日本人は出来るだけ相手に対する不満の表現を抑えるように努力する。いやな気持ちでいても、それを言葉で表すことをできるだけ避け、表情や言いまわしなどでそれとなく相手に伝えようとする。‥いよいよ我慢の限界を超えた場合に初めて、直接的な表現で不満を表現し、それは相手との関係を切るという意思表示を意味する。

日本人は十余年間、日韓関係において我慢し続けてきたといえる。それがいよいよ限界に近づいてきており、直接的な物言いで韓国批判をする人が増えているのはその結果なのだ。

全斗煥政権から盧泰愚政権までの約十年以上の間、韓国の対日外交は公的な席上において日本を攻撃し、そして日本から何かを引き出すという、言ってみれば「糾弾外交」のようなスタイルを取ってきた。‥‥日本側は、過去「加害者」であったという負い目、こちらの方が大国なのだから少しは無理をいわれても耐えるべきだという意識、とにかくその場のトラブルをしのぎたいという姿勢などの結果、韓国側の問題点への指摘をかなり控えてきた。‥‥日本側がこれまでやるべきことをやってこなかったことは事実であるから、まずその点を自らの手で正すことを先に行なう。そうすれば、その誠意が韓国側にも伝わるはずだ。

まず日本側がやるべきことをすべきだという考え方が日本側関係者にあって、かなりの努力をしてきた。     しかし、どうも結果はまったく逆に動いてしまったかのようだ。‥韓国は日本から何かの譲歩を引き出すには、交渉の席で「過去」を語って糾弾するのが得策だという、対日交渉術が定着しつつあるかのようにさえ見える。

日本人のなかで「嫌韓」感情が広がっているのは事実であるが、その中には多くの韓国人は日本人を仇のように憎みつづけていて、韓国人に会うのは危険であるかのようにさえ思っている向きもある。‥そのような誤った認識に基づく「嫌韓」感情は、あまり心配する必要はない。ウソは事実を前にすれば崩れていくものだからだ。

それよりも心配なのは、韓国と何かの関係を持って数年以上経つ日本人たちが、もう我慢できない、もうやめたい、と口をそろえて語っている点なのだ。これは理由のある摩擦であるので、一度そうなった人の認識を変化させるのはたいへん困難だ。

事実は事実として最初から表に出して置くことが、結局は摩擦の大きさを必要以上に大きくしないことにつながるのだ。そういう問題意識に立って、私は「本名を使い礼儀を尽くした上での韓国批判」こそが日韓友好のために今、日本人に求められていることだと考えている。

  「韓国は日本から何かの譲歩を引き出すには、交渉の席で「過去」を語って糾弾するのが得策だという、対日交渉術が定着しつつあるかのようにさえ見える」 というのはその通りですが、今は「見える」という段階をとっくに過ぎて現実となっています。

  「それよりも心配なのは、韓国と何かの関係を持って数年以上経つ日本人たちが、もう我慢できない、もうやめたい、と口をそろえて語っている点なのだ」 という情況は、20年後の今日の日本の姿と変わらないでしょう。 これについては先に紹介したように、韓国の記者が 「今はこのような親韓派の日本人たちがほとんどいない。会えば一様に韓国批判である。 このように今日本では親韓派・知韓派の元がなくなっている」 と記した通りです。   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/02/16/7223713     

 1990年代に教科書問題や従軍慰安婦問題が日韓の外交問題となった時、日本人の反韓感情の増大を憂慮する意見が韓国内で出ていました。 しかし今の韓国では、このような憂慮を表明することが難しくなっているようです。 従って現在は情況がはるかに悪くなってきていると言えるでしょう。

 ところで西岡さんが韓国を批判するのに「本名を使い礼儀を尽くした上で」と記しているのは正論です。 しかしこのブログ・HPでは匿名を使って嫌韓・反韓を露骨に投稿するレイシストたちがいます。困ったものです。

「賄賂は腐敗ではない」民本主義と法治主義―趙景達2014/02/28

 朝鮮近代史研究者として有名な趙景達さんの『近代朝鮮と日本』『植民地朝鮮と日本』(ともに岩波新書2012、2013年刊)を購読。

 日本による植民地朝鮮の歴史について、歴史発展段階説の「近代」という視点を批判して、「儒教民本主義」という古き良き政治文化が日本の侵略によって葛藤を強いられたという観点からの朝鮮近代史の通史です。 読んでみて、こんな歴史認識もあるのかとちょっとビックリするとともに、歴史の本のなかに「傲慢」「破廉恥」「露骨」「残虐」「悪辣」のような感情的な表現が随所にあるのはいかがなものかという印象を受けました。

 ところでこの「儒教民本主義」という聞き慣れない言葉について、趙さんは近代の「法治主義」と比較して次のように説明しています。

儒教民本主義にあっては、教化主義が優先されて規律主義(法治主義)が従とされた。(『近代朝鮮と日本』8頁)

儒教民本主義の論理は教化中心であり、近代国民主義の論理は規律中心である。(『近代朝鮮と日本』162頁)

 趙さんによれば、朝鮮はもともと「規律主義=法治主義」ではなく、「儒教民本主義=教化主義」だというのです。 つまり日本は植民地を支配によって近代的な法治主義を強制することによって、朝鮮の伝統である教化主義との葛藤を醸し出したという歴史観です。 それではこの「民本主義(教化主義)」というのがどういうものであり、対する「規律主義(法治主義)」とはどういうものか。 趙さんは『植民地朝鮮と日本』の最後で次のように簡潔にまとめています。

独裁時代(1987年の民主化以前のこと)には賄賂で交通違反を許すことが結構あった。だがそれは、単に腐敗というものではなく、違反者の事情を斟酌してのことでもある。 韓国社会というのは、本来規律よりも教化を重視する社会なのだ。人々は優しく、それでいて時にしたたかである。     近代化というのは規律化であり、こうしたことは許されないはずである。 日本の植民地支配は確かに厳烈な規律化を推し進めた。 だが、朝鮮人の行動規範が植民地化によって徹底的に規律化されたなどとは到底思えない。 そもそも、近代の規律化を西欧史の文脈から発見したフーコーの議論が、そのままアジアの近代に適用できるのか疑問である。 近世日本はすでに高度な規律社会であったが、民本主義においては朝鮮よりはるかに後進的であった。 ある意味では、日本の植民地支配とは規律主義と民本主義(教化主義)のせめぎあいであったと言える。 (『植民地朝鮮と日本』244頁)

 趙さんによれば、役人に賄賂を贈って黙過してもらうことは「腐敗」ではなく「斟酌」だということです。 そしてこれを腐敗だとして否定する西欧の「規律主義(法治主義)」はアジアには適用できないそうです。 賄賂を容認するのが「民本主義(教化主義)」ということなのです。 そしてこの民本主義において日本は朝鮮よりはるかに後進的だったと論じています。 もうビックリ仰天するしかありません。

 法治主義は西欧の近代思想の一つとされています。趙さんは西欧近代主義を批判する余り法治主義を否定し、ついには賄賂を肯定するにまで至ったということでしょう。 賄賂が蔓延する「民本主義(教化主義)」よりも、それを否定する西欧近代の「規律主義(法治主義)」の方がはるかに優れたものとするのが常識だと思うのですが‥‥。

 趙さんによれば、日本は植民地支配した朝鮮において、この法治主義を「確かに厳烈な規律化を推し進めた」としています。ですから民本主義の立場からすると日本の植民地支配は、

朝鮮の儒教民本主義は、日本の植民地支配によってどのような葛藤を強いられ、にもかかわらずいかに自己を貫徹しようとしたのか。‥‥ 植民地朝鮮がそうした苦闘から生み出した思想や、あるいは逆に屈服していった人々の精神懊悩とその論理なども抉り出しつつ、植民地の本質である暴力の問題について考えてみたい。(『植民地朝鮮と日本』まえがきⅰ頁)」

となるのですが、民本主義を否定して法治主義を施行することを「屈服」「暴力」と表現するのは、いかがなものでしょうか。

 ところで趙景達さんは日本の国立大学の教授だそうです。 学生が趙先生に「斟酌」を求めて賄賂を贈ろうとしたら、先生は「民本主義」を発揮されるのでしょうかねえ。