在日の葬送の歴史―火葬の受け入れ(1)2026/01/22

 イスラム教はその教義から火葬を嫌い、土葬を旨としています。 今イスラム教徒が多く来日しており、彼らは亡くなった時に多くが土葬を望んでいます。 しかし今の日本では、30年ほど前まで各地に残っていた土葬風習がほとんど消え去って火葬となってしまいました。 すると今度は日本人の土葬へのタブー視が非常に強くなりました。 そのために、イスラム教徒たちが土葬を求める動きに対する日本人側の反発が激しく、物議を醸しているようです。

 今の日本で起きているこのような外国人の土葬問題を知ると、古くからの外国人である朝鮮人は亡くなった時に葬送をどのようにやってきたのかが気になります。 そこで在日韓国・朝鮮人の葬送の歴史について、調べてみました。

 実は朝鮮民族の葬送は儒教式の「土葬」あるいは古代からの伝統を継ぐ「草墳」で、「火葬」は仏教僧侶だけでした。 すると植民地時代に来日した朝鮮人は亡くなった時、民族の伝統である土葬・草墳にこだわることはなかったのだろうか、という疑問が湧きます。 なお草墳は植民地時代にかなり抑制されて一部に残るのみとなり、ほとんどの朝鮮人は儒教式土葬となっていました。 草墳については後日に紹介しますので、今ここでは土葬だけを扱います。

 昔の日本は地域によって違いが大きいですが、おおむね都市部では大半が火葬、農村部では地区(当時は「部落」と呼ばれていた)の多くが土葬でした。 ただし土葬の場合、埋葬地は地区の共有地であり、その地区の住民のみが土葬できるのであって、よそ者は土葬できませんでした。 120年以上前の1900年頃の日本では火葬率30%ぐらいで、残りの70%は土葬でした。 その後火葬が増えていきましたが、それでも40年前の1970年代で火葬率85%、土葬は15%ほどでした。

 朝鮮人も土葬は故郷の土地で行なうものでした。 たとえ来日した朝鮮人が日本で土葬しようとしても、よそ者ですから土葬する場所がありませんでした。 つまり朝鮮人は日本では土葬することができなかったのです。 しかし死はいつか必ずやってきます。 それでは彼らはどうしたのでしょうか。

 金賛汀さんの『在日コリアン百年史』という本の中に、次のような記述があります。

在日朝鮮人が日本に居住するようになり、彼らは、朝鮮の風俗習慣を日本に多く持ち込み、とりわけ冠婚葬祭は異国の生活の中でも遵守された。 朝鮮は儒教の国である。 儒教は形式を固く守ることによって成り立つことが多い。 儒教の強い影響下にあった人びとは、葬儀においてもその形式を守ろうとした。

当時、日本の都市部では火葬だったが、朝鮮では多くが土葬であった。 特に済州島では、土葬が固く守られていた。 1920年代後半頃から、済州島の人々は、日本で亡くなった人の死体を箱詰めにして、島まで搬送していた。 そのため定期航路の船会社とのトラブルが多かったという。 死体の搬送には何日間も親戚縁者が同伴するため経済的な負担も大きく、葬儀を終えて日本に戻るまでには一ヶ月もの日時を必要とし、戻ってきたときは、仕事を失っていた。

そのうえ、当時、日本政府は朝鮮人の渡航を厳しく制限していたため、葬儀で帰国したまま日本に戻れなくなったケースも珍しくなかった。 (以上、金賛汀『在日コリアン百年史』三五館 1997年11月 101頁)

 「朝鮮では多くが土葬であった」とあります。 上述したように朝鮮人ほとんどが土葬でしたが、僧侶は火葬で、また一部地域に古代からの伝統である草墳が残っていました。 「多くが土葬」という表現はこのことを指すようです。

 この本によると、在日朝鮮人が発行していた1935年の『民衆時報』(ハングル新聞)に、次のような投書があったといいます。 

【火葬を励行しよう】 私は読者の一人として、一つ問題を提起しよう。 もちろん、私が提唱する改良的な問題よりも、さらに進歩的な問題があることは知っている。 しかしながら、最も進歩的な問題でも生活改善を除くということはないのであるから、関西地方在住の労働者、常民(朝鮮の階級、平民)たちの、重大な利害関係に関する問題として私は火葬励行を提唱する

水の中でも、土の中でも、人の死骸は結局土になる。 全てに綺麗な火葬が、どうして土葬よりも悪いといえるのか。 土地の値段が高い日本で、土葬を行なうのは経済的に見ても大変なことであり、だからといって故国に土葬のために死体を送るというのは、済州島出身者以外は問題にもならない。 その島出身者の労働者は怒るかもしれないが、はっきりと目を見開いて生きようとする労働者ならば、地方熱と懐郷病を投げ捨てるべきである。

働き、生きているところが故郷であり、生まれ故郷は、必ずしも故郷ではない。

葬儀を行なうため死体を搬送して故郷に帰り、日本に戻ってきたときに仕事を失い、悔やんでいる親友たちがいかに多いことか、それらを軽視することはできない。 貧しければ貧しいほど、自由渡航が止められれば止められるほど、わずらわしい土葬から解放されなければ、一個の死体のために何人もの生命が飢餓線上で脅威にさらされる。 土葬から解放されよう。 火葬を励行しよう。 (以上、同上 100~101頁)

 ここで注目すべきは「土葬を行なうのは経済的に見ても大変なことであり、だからといって故国に土葬のために死体を送るというのは、済州島出身者以外は問題にもならない」という部分です。 朝鮮人が亡くなって土葬しようとした時、日本では土葬できませんから遺体は故郷に送るしかありません。

 済州島人の場合、当時大阪―済州島間に定期航路があって、済州島では一周して各地の港に寄港していました。 ですから遺体を船で搬送する場合、大阪港まで運んで定期船に積み込んで運送し、済州島の各港で下ろして故郷まで運ぶことになるのですが、やはり多額の費用がかかります。 一方、朝鮮半島本土(陸地)の人の場合は故郷へ行くのには関釜連絡船しかありませんが、その連絡船が遺体の運搬を禁じていました。 「済州島出身者以外は問題にもならない」とは、朝鮮本土の出身者はやろうにも出来なかったという意味のことです。

 いずれにしても従来の葬送方式である故郷での土葬にこだわっても、朝鮮本土の場合は不可能です。 また済州島の場合は可能でしたが遺体搬送に大変な費用がかかるし、当時のことですからおそらくは冷蔵できず密閉も不十分な搬送となりますので腐敗の進む遺体にはトラブルが多くなるし、故郷で土葬を含む葬儀にはかなりの日数がかかります。 不安定な仕事をするしかなかった朝鮮人は故郷まで家族の遺体を運んで葬儀をすれば、その間に仕事を失う可能性が高くなります。 そこで『民衆時報』の投稿者は、在日は火葬をしようと呼びかけたのでした。      (続く)

【土葬に関する拙稿】

土葬と火葬            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/27/9310074

京都高麗寺の国際霊園 土葬墓地  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/02/20/9564102