水野・文『在日朝鮮人』(3)―強制連行と強制送還2016/04/17

1939年(昭和14)、日本の戦争遂行を目的として朝鮮人強制連行・強制労働が始まった。‥‥政府当局が当時「集団移入」と呼んでいた朝鮮人強制連行は、39年からの募集、42年からの官斡旋、44年からの徴用の三方式で行われた。(66~67頁)

 この本によれば「朝鮮人強制連行」は1939年から始まります。 ところがこの本には次のような強制送還の記述もあります。

連絡船乗船の際の(渡航)証明書のチェックが厳格になされ、朝鮮南部や西日本の海岸地方では「密航船」の摘発が強化された。「密航」を摘発されたものは、内地側だけで38年(昭和13)に約4,300名、39年には約7,400名に上った。摘発されたもののほとんどは朝鮮に送還された。(50頁)

 日本に不法に渡航して摘発され、朝鮮に送還された人の数が1939年に7,400名。 日本に行こうと希望する朝鮮人がどれほど多かったか、推測できます。 一方では、この年から日本に無理やり連れてくる「強制連行」が始まっているというのですから、どういうことなのでしょうか? 日本渡航を希望する朝鮮人を除外して、行きたくないという朝鮮人ばかりを集めて連れて来たのでしょうか? この本を素直に読めば、そういうことになります。

水野直樹・文京洙『在日朝鮮人』(1)―渡日した階層 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/06/8066021

水野・文『在日朝鮮人』(2)―渡航証明と強制連行 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/11/8069125

コメント

_ 日本国公民 ― 2016/04/17 23:32

宮田節子氏や梶村秀樹氏を初めとして、1945年以降の朝鮮研究は、病理的な様相を呈している。39年の募集が強制だとはお笑いだ。梶村氏は、面長が膝詰め談判をしたから、強制だと説いていた(「朝鮮史」講談社現代新書)ものはいい様だと、笑ってしまったが、「日立民族差別裁判」の判決文にも「在日は強制連行された」と出ているので笑い事ではすまないかもしれない。外国では今でもこのデマが歴史書に引用されている。これはかなり深刻な問題だ。

_ 大森 ― 2016/04/18 00:46

最近「大山倍達正伝」を読んだところ彼も密航で日本に来たと知ってちょっと驚きました。
韓国で障害沙汰を起こしたのが災いしたようですが富農階級で兄弟も日本に留学していたのに不許可とは戦時下でもなかなか厳しかったようです。
日本に対する憧れがかなり強く当時の韓国人にとっての日本とはどういうものだったか、個人の立場によってかなり違いがあったのではと推察されます。
戦中・戦後の在日朝鮮人の動向にも詳しく意外と面白い本ではありました。

_ かい ― 2016/04/21 06:32

 徴用と移住は性質が違うから、政府内の別組織によって取り扱われると考えれば、矛盾でもないような気がするが。
 現代でも、日本に密入国する者は厳しく取り締まるが、その一方で、留学生制度と称して、実質、外国人労働者を受け入れている。

_ (未記入) ― 2016/04/21 16:54

徴用は本人の意思を無視して無理やり連れて行くこと。移住はその反対に自ら望んで行くこと。

現代の密入国や留学生、外国人労働者は、すべて自ら望んで来ている。無理やりに強制連行された人はいない。

これを同じと見るには無理がある。

_ かい ― 2016/04/22 10:53

> 現代の密入国や留学生、外国人労働者は、すべて自ら望んで> 来ている。無理やりに強制連行された人はいない。

要するに、わたしの言いたいことは、当時、日本に来たい朝鮮人が多くても、徴用して炭鉱や工場で働かせるのとは、別のことだろうということだよ。

「徴用」と「留学生」と称する労働者が違うというのは、その通りだ。要するに、一方では、連れて来て、他方では、追い出すということがあってもおかしくはないだろう、ということをいいたいだけだ。

「強制連行」という用語については、よく問題にされるが、保守派の主張では、戦時動員は、どこの国でもやったことで、不当性を含意するような、「強制連行」という言葉は、戦後作られたもので、おかしいということだ。

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