李良枝の心の軌跡―日本否定から日本肯定へ2018/09/19

 1988年の芥川賞作家である李良枝のインタビュー記事(『朝日ジャーナル』1989年4月21日号)を、5カ月ほど前に拙論で下記のように紹介したことがあります。

芥川賞受賞者 李良枝 ―韓国人を美化する日本人はおかしい http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/04/08/8821395

芥川賞受賞作家 李良枝(2)―日本語は宝物である http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/04/13/8824561

 ところで韓国の『東亜日報』2018年9月12日付けに、この李良枝について、彼女の心の軌跡を分かりやすく簡潔に説明した記事が出ました。 「富士山の傷」と題されています。http://japanese.donga.com/3/all/27/1461061/1

 李良枝は小学校時代に帰化した在日朝鮮人でしたが、1970年代の高校あるいは大学時代に自分が韓国人であること自覚します。 この当時の在日韓国・朝鮮人たちは「民族」に自覚すると、自分の身に沁みついた「日本」を否定するようになります。 李もそうでした。

彼女は富士山を見ながら育った。家からも見えるし、街からも見えるし、学校からも見えるのがその山だったから当然のことともいえる。富士山の雄大な姿は、感嘆と尊敬の対象だったし、「あまりにも堂々としているので、かえって憎しみの象徴」でもあった。その山に向かって愚痴をこぼしながら、そのゆったりとした懐の中で育ち、成長して熟したということだ。

ところがある日から、その山は違う形に見え始めた。韓国人であることを自覚してからだった。その時から、その山は「恐ろしい日本帝国主義と祖国を侵略した軍国主義の象徴」だった。寛大で壮大な姿の富士山が、今は「否定して拒否しなければならない対象」だった。富士山に関する感情の分裂と傷はそう始まった。

 当時の在日の若者たちは「民族」に目覚めると、本名を名乗り、韓国・朝鮮語を勉強しながら、差別抑圧し植民地支配を反省しない日本政府と日本社会を糾弾し、そしてそんな日本と結託している韓国の軍事独裁政権(朴正熙や全斗煥)と闘う韓国民主化運動に連帯する活動に参加したのでした。 自分の生まれ育った日本を嫌い、日の丸や君が代、天皇を否定する日本の革新・左翼思想と合流することが多かったものでした。

 李良枝も日本の象徴である富士山を「否定し拒否する」ほどに反日感情を高ぶらせ、韓国に留学して巫俗舞踊(ムソク)や伽耶琴(カヤグム)、語り歌(パンソリ)といった伝統芸能に没頭します。

彼女は富士山を後にして韓国に来て、韓国語と韓国文化を熱心に身につけ、カヤグムと土俗舞踊に傾倒した。何とか富士山で象徴される日本を突き放したいと思った。

 李は自分の生まれ育った土地で毎日見ていた富士山を日本の象徴だから切り捨てようとしました。 しかしそれが切り捨てられないことに気付きます。

ところが、彼女は富士山を否定すればするほど、「まるで恵み深い人に対して陰で悪口を言っているのと同じ不思議な呵責」を感じた。逆説的にも、彼女は富士山が自分の心の中の深いところを占めていることを、韓国に来てから気づいた。混乱した。「由煕」をはじめとする小説は、その混乱の感情の告白だった。苦心に苦心を重ねた末、彼女が到達した結論は、「自分の中に染みている日本」を否定せず、そのまま認めようというものだった。

富士山が見える町を去ってから17年が過ぎたある日、李良枝は自分が住んでいた町を訪れた。富士山は相変わらず同じ姿で同じ場所にいた。今、彼女は穏やかな心で富士山の美しさを味わうことができた。そうなるまでに17年がかかった。長い間自分を苦しませた分裂的で両家的な感情と和解したから可能なことだった。傷の癒し方はそのままを受け入れる肯定の精神にあった。

 結局はあれほど否定し拒否してきた日本の象徴「富士山」を受け入れることで、心の安定を得たのでした。 それを記事は「長い間自分を苦しませた分裂的で両家的(ママ)な感情と和解」「傷の癒し」と表現しています。 ここで朝日ジャーナルのインタビューで、彼女が自分を「由熙」という主人公に仮託して「由熙にとって日本語は宝物だった」と言い切った考えが理解できます。http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/04/13/8824561

 なお東亜日報の記事にある「両家的」というは、「양가적(両価的)」の誤訳と思われます。 ハングルでは同音になりますので、漢字変換の間違いでしょう。 「양가적(両価的)」とは対立した価値を同時に有していることを意味します。 韓国国立国語院の『標準国語大辞典』にも採録されていない言葉ですから、最近出てきた言葉のようです。 「愛憎相半ばする」に近い意味ですね。

 東亜日報の記事は、李良枝の「日本否定」から「日本肯定」への心の軌跡を簡潔に説明したものです。 原文は http://news.donga.com/Column/3/all/20180912/91941371/1 ですので、関心ある方はご参考に。

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