にあんちゃん(2)―物議を醸した部分 ― 2023/04/26
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/21/9578840 の続きです。
在日朝鮮人について書かれているもう一つは、後々で問題になった部分です。 念のためにその部分をスキャンしました↑。
兄妹四人は、苦運のどん底におちてしまいました。 兄さんの職がないのです。 それどころか、家だってないのですから。
ここにおられませんのです。 なぜかって、きのどくだし、おれといっても、こっちからことわります。 なぜかというと、《わたしが しごとを しないからかも しれませんが,わたしの わるくちを,いって おられるのです。 わたくしには つめたく あたる のです。 それも にあんちゃんの おられない ときだけです。 『びんぼう ちょうせんじん でていけ。 おいがたの いえにおらせん』》といわれるのですから、おればつめたい目でにらまれて、やせるばかりです。 <1954年6月17日 木曜日 晴れ> (小学五年) 192頁
このうち二重括弧《》内は、日記ではローマ字です。 分かりやすいように漢字混じり文に書き直しますと
私が仕事をしないからかも知れませんが、私の悪口を言っておられるのです。 私には冷たく当たるのです。 それも、にあんちゃんのおられない時だけです。 「貧乏 朝鮮人 出ていけ。 おいがたの家に、おらせん」
「にあんちゃんのおられない」は「二番目の兄ちゃんがいない」という意味です。 「おいがた」は「オレのところ」、「おらせん」は「おられないようにする」という意味で、おそらく北九州地方の方言でしょう。
長兄は仕事を探している時、弟妹を知り合いの宮崎さんという家に一時的に預かってもらったのですが、それが一時的ではなく1年にもなってしまいました。 その時の日記が上記で、宮崎さんから「貧乏な朝鮮人は出ていけ。ウチの家におられないようにしてやるぞ」と言われたと書いたのです。 しかも肝心な部分がローマ字なので、本当のことを隠すためにあえてローマ字にしたのではないか、という憶測を生むことになったようです。 ですから宮崎さんは“冷たい”というバッシングを受けたのでした。
ところが日記の作者である安本末子さんは、のちに『朝日ジャーナル』(1981年11月6日号)のインタビュー「安本末子さん 日本には感恩の情 朝鮮には深い愛情 『にあんちゃん』から童話の世界へ」で、次のような恐縮と謝罪を繰り返し口にしています。
私が実名で出たことは仕方がないにしても、宮崎さんとか、滝本先生は、ずいぶんお世話になったのに、ちょっと敵役みたいなかたちで出てしまって、とくに宮崎さんについては、冷たい仕打ちをしたみたいなことを実名で書いてある。
当時、宮崎さんは乳飲み子を抱えた五人家族で、二間の炭鉱の長屋に住んでいたんです。 そこへ兄がほんとに困り果てて、一時的でいいからということで頼んだんですけど、こちらはズルズルと一年近く居すわってしまった。 だから、どんなに大変だったかっていうのは、よく分かるんです。‥‥
それが日記では実名で出て、しかも「家にかぎ掛けていきますよ」っていわれたとか、細かく、何も分からずに書いているんですね。 だから、いや、とんでもないことをしてしまった。 恩をあだで返したという思いが、心にズシンときて、非常に重たかったわけです。 その後、マスコミに出るのを非常に嫌ったことの一番の理由は、そこにあったんです。
―杉浦明平さんが66年に書いた文章に、宮崎さんはその本が出たために、ひどい目に遭ったようだということが出ていました。
具体的には知らないんですけど、予想はできます。 あんなけなげな兄妹四人に冷たくして、みたいな見方をされたんじゃないでしょうか。 読者の中には、10歳の子供が書いたことだと受け止めてくださった人は多いんですけど、だからといって実名で出してしまったことが許されるわけじゃないっていう思いは、ほんとにズシンときましたね。 (以上 36~37頁)
宮崎さんに対して申しわけないと、心に突き刺さっている部分がもう一ヵ所。 朝鮮人だからって陰口をされた、というふうに書いてある。 直接いわれたわけではないのに、ああ、そんなふうに思われているのか、かなしい、というふうな記述だったと思うんです。 ただ、いま思い返してみて、私が朝鮮人だという差別を何か受けたかというと、何も思い浮かばないんです。 (39頁)
さらに著述家の成美子さんはその2年ほど後に安本さんに直接取材して、『朝鮮研究』232号(1983年7月)に次のように報告しています。
「本当に差別を受けなかったのですか?」と私はずいぶん執拗に安本末子さんに食い下がった。 「びんぼう ちょうせんじん でていけ」という言葉をローマ字で日記に記さざるを得なかった少女の屈折した感情が差別と無縁であるとは思えなかったのである。 末子さんは頑固に頭をふり、ローマ字を習いたての女の子が得意になって書いたにすぎず、それがはからずも一年以上もお世話になった家の人を傷つけ申し訳ないことをしたというのだった。 (晩聲社『在日二世の母から在日三世の娘へ』1995年9月に所収 280頁)
宮崎さんが何気なく呟いた言葉を子供が聞きつけて、安本さんに伝えたのでしょうか。 宮崎さん宅も貧乏で子沢山なのに、そこに他人の子供が二人も転がり込んで1年も居候している(兄と姉は働きに出て、あまり帰って来ない)のですから、そんな呟きはあり得ると思うのですが、どうなんでしょうか。 そして安本さんが小学5年生になってローマ字を書くことに興味を覚えた際、その聞いた呟きを日記に書いたと思うのですが‥‥。
担任の先生と家族以外に誰も読まれないと思って書いた日記が出版され、実名がそのまま出てきたのですから、書かれた人はビックリ・大迷惑だったでしょうねえ。 (続く)
にあんちゃん(1)―在日朝鮮人少女の日記 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/21/9578840
コメント
_ 菜七子 ― 2023/04/28 13:09
_ 辻本 ― 2023/04/28 21:48
これは初版にはなかったもので、増補版に入れられた部分ですね。
作者が書いたものではありません。
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お兄さんの日記の部分で、自分は朝鮮人だが、朝鮮人は嫌いだという箇所もありますが。