韓国人が台湾植民地支配を論じる(3) ― 2023/10/01
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/09/26/9620637 の続きです。
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日帝の徴兵は台湾21万、韓国は2万
日中戦争当時、約21万人の台湾人が日本軍に徴集されて中国軍と戦ったのに対し、韓国は1938年から1943年までの間、徴集された兵力が約2万人に過ぎなかった。 この数字は、当時の朝鮮が台湾の人口の4倍程度であることを勘案する時、驚くべき違いだった。 朝鮮人の場合、むしろ8万人の兵力が中国国民党軍と共産党八路軍または朝鮮独立軍に入って日本軍と戦っていたと記録されている。 日本に徴集された朝鮮人の場合、当時の日本軍の高位層では反乱を起こす可能性をいつも警戒するくらいだった。 1942年に朝鮮総督として赴任し、学徒兵制度を試行した当時の朝鮮総督である小磯国昭(1880~1950)は、彼の日記に「朝鮮出身兵士たちが前線でイギリスやアメリカと協力して、我々に銃口を向けるかも知れないという恐怖がある」と記述することもあった。 甚だしくは「日本の青年たちだけ死ぬことは出来ない。 そうなれば、朝鮮人ばかり増えて、もっと大きな脅威になるだろう」という見解まで登場するくらいだった。
日本が1945年8月15日に降伏宣言をし、その年の10月、大陸の中華民国政府が任命した行政長官兼警備総司令官が台湾の台北に到着し、日本の台湾総督から公式的に降伏を受け入れ、台湾人たちの熱烈な歓迎と期待のなかで業務を始めた。 当時の行政長官だった陳儀(1983~1950)は日本の陸士出身で、台湾通として知られていた人だった。 しかし台湾で業務を始めてからの状況は、台湾人たちの期待に及ばないどころか、全ての面で惨い状況ばかりが続いた。
当時国民党政府は、台湾に対する理解が十分ではなく、甚だしくは政府の一角では、台湾人たちを日帝の中国侵略に手助けした潜在的協力者くらいに考えるほどであった。 特に戦争が終わって、徴兵および徴用で海外へ行って台湾に帰国した人たちに対しては日本に協力した「売国奴(漢奸)」として追及して、露骨な弾圧をすることもあった。 さらに台湾の行政府の要職だけでなく教師や末端公務員、警察、軍人まで、大陸から渡ってきた外省人たちが大部分を占め、住民たちに対する搾取も酷かった。 当時流行していた「犬が去り、豚が来た(狗去猪来)」という言葉が彼らの心情をよく代弁してくれていた。 「日本人は犬のように台湾人を虐めはしたが、国民党は豚のように台湾人の財産を食べ尽くしている」という意味だった。 このような雰囲気の中で発生した2・28事件は数万人の死亡者が生じ、台湾人たちの心に深い傷跡を残した。 全ての政治的・経済的条件が、日本支配の時よりも劣っていて、台湾人たちの特にエリート階層の間では自然と日帝時代に対する郷愁が深まっていった。
その後、1949年の国府遷台(中華民国政府を台湾に移転すること)で蒋介石の国民党政府が入ってくると、今度は日本を重要な政治的・経済的パートナーと考えて、緊密な関係を続けこととなった。 日本に対する台湾国民の好意的感情とともに、共同の敵である共産党政府に対する対応意識が大きく作用したのだ。 反面、韓国は独立後20年が経った1965年になってやっと国交が正常化するくらいに、関係正常化の速度が遅かった。 国交が正常化する時も、韓国は植民地の賠償金を粘り強く要求して受け取ったが、台湾は求償権請求を自ら放棄し、最初から要求すらしなかった。
台北を彩る日帝の建物群
台湾の首都である台北を西側から分ける中華路という大通りがある。 ある日、この通りに沿って観光名所として有名な西門町近くに近付いて行って、一方の歩道の大きな壁面に意外な場面を見ることになった。 「台湾 歴史 風貌 絵画彫刻」という題目の下、17世紀のオランダ支配遺構から今までの台湾の歴史から、発展の契機となった重要な場面を作品として制作し常設展示しておく所であった。 ところで内容の相当部分が日帝植民地時代の建築業績であった。 展示を通して、当時の相当数の建築物が今まで変わらず台湾の重要な機関、および官公署の建物などとして利用されているのを知ることができた。
特に台湾の「七大クラシック鉄道駅建築(台湾七大経典車站建築)」という小さな題目で、日本人たちが作っておいた鉄道駅を自慢するように並べているのを見て、驚くしかなかった。 わが国ならば、想像すらできない試みであるからだ。 これ以外にも、台湾では日本統治時代の痕跡が所々に色濃く残っているのを見ることができる。 古くからの日帝時代の家屋も今でも市内中心部で見ることができるほどだ。
台湾地下街は台北の鉄道駅から始まって、何と五つの地下鉄まで連結される巨大な地下商店街として毎日多くの訪問客がやって来る所である。 ところで、この地下商店街の出入り口の一つの壁面には日本風がはっきりと表れた壁画がいくつか展示されている。 さらに、すぐ横には日本式で願をかける絵馬と短冊も一緒に行かれている。 わが国民の立場では、口をあんぐりさせるしかない。 現在台湾のどこでも見ることができるコンビニの両雄であるセブンイレブンとファミリーマートも日本企業で、百貨店も主流が日本系列だ。わが国でも日本式の店を容易く見ることができるが、台湾ではその種類と数が我々とは次元が違う。
台湾人の60%「一番好きな国が日本」
台湾での実質的な大使館業務を担当している日本台湾交流協会では、定期的に台湾人の選好国家と国家親密度などを調べる世論調査を現地専門世論調査機関に依頼して施行している。
一番最近である2022年に20歳以上の成人1068人を対象に、電話やオンライン調査で行なった統計によれば、好きな国の何と60%の回答者が日本を選び、中国、アメリカがそれぞれ5%と4%ではるか離れて2・3位を占めた。 親しくせねばならない国としても、日本が46%と1位で、アメリカ、中国がそれぞれ24%と15%だった。 国家信頼度もやはり日本が60%と圧倒的1位だった。 2008年に始まり7回目であるこの調査で、日本は国家選好度記録で歴代最高を更新していると報道している。 (終わり)
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以上、『週刊朝鮮2756』2023年5月1日 58~62頁を翻訳しました。
今回の最初の部分に、「1942年に朝鮮総督として赴任し、学徒兵制度を試行した当時の朝鮮総督である小磯国昭(1880~1950)は、彼の日記に『朝鮮出身兵士たちが前線でイギリスやアメリカと協力して、我々に銃口を向けるかも知れないという恐怖がある』と記述することもあった。 甚だしくは『日本の青年たちだけ死ぬことは出来ない。 そうなれば、朝鮮人ばかり増えて、もっと大きな脅威になるだろう』という見解まで登場するくらいだった」という記述に驚きました。 こんな資料があるのですねえ。
韓国人が台湾植民地支配を論じる(1)―『週刊朝鮮』 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/09/21/9619300
韓国人が台湾植民地支配を論じる(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/09/26/9620637
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