金時鐘氏は不法滞在者なのでは‥(1)2023/10/07

 在日朝鮮人の詩人・文学者として著名な金時鐘さんについて、本名が「金時鐘」と「林大造」の二つあることを拙ブログで論じてきました。(下記【拙稿参照】) これに密接に関係するのが在留資格です。 金さんは現在韓国国籍を有している外国人ですから、入管法あるいは入管特例法に基づく在留資格を持っています。 金さん自身が自分の在留資格についてどう語ってきたのか、ちょっと調べてみました。

 小熊英二・姜尚中編 『在日一世の記憶』(集英社新書 2008年10月)に、「朝鮮現代史を生きる詩人  金時鐘(キムシジョン) 男」と題する取材記事があります。 金時鐘さんに直接取材したもので、取材日は2006年3月9日です。

これまで沈黙していた済州道四・三事件について、語り出したきっかけは、金石範にせっつかれたこと。 彼との対談の前に、東京で四・三事件52周年記念講演会(2000年4月)という集まりがあって「もうしゃべってしまえば」と促された。

今までいえなかったのは、いくつか理由がある。 一つは、四・三事件に思いを馳せている人への配慮。 彼らはあの事件を「人民蜂起」といっていた。 ぼくが経験した惨劇を語ることで「人民蜂起」という正当性がなくなるのではと思ったんだ。

そしてもう一つは僕自身の在留資格の問題。 韓国に強制送還されると生きていけないから。

そして一番の理由は、思い出したくないことだった。 九死に一生を得て、宝くじに当たったように日本に逃れてきた。 酸鼻をきわめた経験は、思い出すと眠れなくなる。 あの事件で親父も亡くなり、逃げてきた自分に負い目がかぶさっていた。 (以上 565~566頁)

 金さんは金石範さんの勧めで2000年頃から自ら体験した済州島四・三事件を語り始めました。 ならば、なぜそれまで事件を語らなかったのか。 その理由として、もし語れば ①「人民蜂起」という正当性がなくなる ②自分の在留資格の問題で韓国に強制送還されるかも知れない ③思い出したくない、の三つを挙げています。 この二番目に「在留資格」が出てきます。

 これはどういうことかというと、四・三事件を語れば事件当時(1948年)に彼が韓国にいたことが判明することになり、戦前より継続して日本に居住していたとする在留資格との間に齟齬が生じるからです。 そうなると翌年の1949年に日本密入国したという事実までもが判明し、逮捕されて韓国に強制送還される可能性が出てきます。 金さんはこれを恐れて四・三事件を語らなかったのでした。 しかし2000年になって、金石範さんに促されてようやく語り出した、ということです。

 金さんは1949年に密入国した後に、外国人登録証を入手しました。 尹健次さんの「在日朝鮮人の文学―植民地時代と解放後,民族をめぐる葛藤」という論文には、次のような経緯が書かれています。

金時鐘は、1948 年4 月以後,済州島4・3 事件に関わったため、父が手配してくれた「密航船」で、1949 年6 月に神戸沖(須磨付近)で上陸する。 すぐに日本共産党に入党して活動をはじめ、組織の支援で外国人登録証を手に入れる。 (140頁)    

http://human.kanagawa-u.ac.jp/kenkyu/publ/pdf/syoho/no52/5208.pdf

 金さんは密入国翌年の1950年1月に日本共産党に入党し、この組織の支援で外国人登録証を入手しました。 当然違法です。 この時に不正入手した外国人登録証の名義が「林大造」と推定されます。 この情報を尹健次さんはどこで知ったのか書いていませんが、おそらく金さん本人から直接聞いたものと思われます。

 金さんはそれ以降今日までその外国人登録証(今は特別永住者証明書もしくは在留カード)を更新してきましたから、それは正規に発給された登録証と考えられます。 とすると金さんは「林大造」名の正規の登録証を入手し、「林大造」に成りすましたと推定できます。

 当時は戦後の混乱期であり、在日で届けを出さずに韓国に帰国した人が多かった時代です。 その場合この人は法律上日本にまだ在住していることになり、そういった人にも外国人登録証が発給され、時にはそれが売買されました。 密入国者がこういった外国人登録証を入手すれば警察の職務質問にも対応できるので、とりあえず安心して日本で暮らせるようになります。 おそらく金さんが入手した外国人登録証はこういう経緯のものだったのではないか、と想像します。 ですから金さんは不正に発給された「林大造」名義の正規外国人登録証を持っている不法滞在者ということになります。

 さらに金さんはこの外国人登録証を入手した際に、同名の米穀通帳も入手したようです。 金さんの『「在日」のはざまで』という本の中にある「日本語のおびえ」に、次のような一文があります。

かく言う私にも二つの名前が併存している。 日本国政府の政令によって保障されている名前と、「筆名」という本名である。  理由は簡単だ。 出入国管理令が制定された当時の、いわば戦前から持ち越された「米穀通帳」の名がそのまま登記されたことによって、私の本名は副次的な筆名になり変わったのである。 もちろんその日本人まがいの名の継承は‥‥ (金時鐘『「在日」のはざまで』 立風書房 1986月5月 65頁)

 かつての日本では米の配給制度があって、米穀通帳がないとお米が買えない時代がありました。 そして米穀通帳は当時の身分証明書として通用しました。 例えば宝くじ高額当選した場合今でも本人を確認できる身分証明書が必要ですが、それが昔は米穀通帳でした。 米穀通帳はそれくらいに信頼性が高いとされていたのです。 現在で言えば運転免許証か健康保険証のようなものだったのです。 

 金さんは「林大造」名の米穀通帳も入手しました。 しかも「戦前から持ち越された」ものと言いますから、この米穀通帳によって戦前から引き続き日本に居住してきたことを証明できるものでした。 ですから金さんは外国人登録証と米穀通帳の両方を入手することによって、完璧な在日朝鮮人になれたわけです。 つまり「金時鐘」という人間は「林大造」という実在する在日朝鮮人に成り変わり、「金時鐘」という本名はペンネームになりました。

 次に金さんがこの不法状態を認識していたかについてですが、これは明白に認識していた言わざるを得ません。 密入国してから50年経って、金さんは尹健次さんとの「『在日』を生きる」と題する対談のなかで、次のように語っておられます。

金時鐘: ‥‥正常でない入国の事実を話すことになっている。

尹健次: いやーぁ、改めてびっくりしますね。 日本にいらして49年でしょう。 50年として、半世紀越えるわけでしょう。 それでもなおかつ日本に来たいきさつを心配しているという事実に、驚愕します。 50年も住んで、まだ捕まるかもしれないということの恐怖心というのは何なのかと。

金時鐘: 現に捕まった人がいますよ。 あれも40数年経っているのに捕まっているんだ。 ただ金時鐘は反天皇とか反政府のことはあまり言わないから、もうちょっと置いてやろうかぐらいなことだと思う。

尹健次: 逆の意味でいうと、捕まって、金大中救援運動ではないけれど、金時鐘救援運動をやった方が、日本は国家がよくなると思いますよ。 日本社会改善のために、一回捕まってください(笑)。  (以上 対談「『在日』を生きる」―藤原書店『歴史のなかの「在日」』2005年3月 450頁)

 つまり自分がかつて密入国し、不正の外国人登録証(今は特別永住者証明書)を持つ不法滞在者であり、いつ逮捕されてもおかしくないことを自覚しておられたのでした。

 さらに金さんの不法滞在はずっと続きます。 2019年に在日総合誌『抗路』での座談会で次のように発言しておられます。

金時鐘: ‥‥もう一つややこしいのは、「金時鐘」は日本ではペンネームに過ぎないんだ。 法的には「林大造」という外国人登録名がある。 私の「在日」の由来とも絡んでいる名前でもある。 (『抗路』第6号 2019年9月 15頁)

 金さんは不正の外国人登録名である「林大造」を70年以上も使い続けておられるわけです。 密入国という罪と、さらに外国人登録証を不正に入手して使用してきたという罪も犯しているのですから、罪を重ねたとも言えます。 (続く)

【拙稿参照】

本名は「金時鐘」か「林大造」か http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/23/8948031

金時鐘さんが本名を明かしたが‥‥ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/10/26/9169120

金時鐘『朝鮮と日本に生きる』への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/28/7718112

金時鐘さんの法的身分(続)     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/13/7732281

金時鐘さんの法的身分(続々)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/26/7750143

金時鐘さんの法的身分(4)    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/31/7762951